Last Modified: 2015年9月15日(火)15時59分44秒

PBPクレーム最判の千葉補足意見の言及する最判について

松本直樹

1. 千葉補足意見の言及する最判についてのコメント

 

2. 千葉補足意見の一つ目

裁判年月日 平成 9年 9月 9日 裁判所名 最高裁第三小法廷 裁判区分 判決
事件番号 平9(行ツ)120号
事件名 審決取消請求事件
裁判結果 棄却 上訴等 確定 文献番号 1997WLJPCA09096009

奈良県生駒市壱分町四五〇番地の一八二 

上告人 

濱田秀雄 

右訴訟代理人弁護士 

武田純 

東京都豊島区東池袋三丁目七番四号 

被上告人 

株式会社 倉本産業 

右代表者代表取締役 

倉本馨 

右訴訟代理人弁護士 

小坂志磨夫 

小池豊 

 右当事者間の東京高等裁判所平成七年(行ケ)第一九四号審決取消請求事件について、同裁判所が平成九年二月一三日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

 上告代理人武田純の上告理由について

 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき若しくは原判決を正解しないでこれを論難するものにすぎず、採用することができない。

 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

 (裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 尾崎行信 裁判官 山口繁)

(平成九年(行ツ)第一二〇号 上告人 濱田秀雄)

3. 一つ目の上告理由

 上告代理人武田純の上告理由

第一点 原判決は、特許発明の要旨を特許請求の範囲に基づかず、発明の詳細な説明に基づいて認定した点で、特許法三六条五項二号の規定(本件特許出願について言えば、昭和六〇年法律第四一号による改正前の特許法三六条五項の規定、以下同様)の解釈適用を誤った法令違背があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

  (1)、原判決は、特許発明が特許法二九条一項に定める特許要件を具備するかの判断にあたって発明の要旨を認定するにあたり、本件特許請求の範囲の記載が明確でありかつ特段の事情がないにもかかわらず、明細書の発明の詳細な説明の項の記載を参酌して特許請求の範囲の記載とは異なるように発明の要旨を認定している。従って、原判決は、「特許請求の範囲には特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない」旨定めている特許法三六条五項二号の規定の解釈適用を誤った違法がある。

  (2)、特許発明が特許法二九条一項各号に定める特許要件を具備するかの判断にあたっての発明の要旨は、特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。

  すなわち、特許法三六条五項二号には、「特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない。」と規定してあるのであるから、特許請求の範囲の項の記載が明確であって、その意味内容が直ちに把握できる場合には、本来その記載のみに従って解釈すべきであり、発明の詳細な説明や図面の記載を用いて限定的に解釈したり、逆に特許請求の範囲で限定している限定事項を離れて拡大解釈することは許されない。

  このような解釈は、最高裁判例にも示されているところである。

  すなわち、最高裁平成三年三月八日第二小法廷判決(いわゆる「リパーゼ判決」)は、発明の要旨認定に関し次のように判示している。

  「特許法二九条一項及び二項所定の特許要件、すなわち、特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当たっては、この発明を同条一項各号所定の発明と対比する前提として、特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ、この要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。このことは、特許請求の範囲には、特許を受けようとする発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない旨定めている特許法三六条五項二号の規定(本件特許出願については、昭和五〇年法律第四六号による改正前の特許法第三六条五項の規定)から見て明らかである。」

  また、最高裁昭和四七年一二月一四日第一小法廷判決は、「特許請求の範囲の訂正が許されるかどうかを判断する前提として、特許請求の範囲は、ほんらい明細書において、対世的な絶対権たる特許権の効力範囲を明確にするものであるからこそ、前記のように、特許発明の技術的範囲を確定するための基準とされるのであって、法一二六条二項にいう『実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するもの』であるか否かの判断は、もとより、明細書中の特許請求の項の記載を基準としてなされるべく、所論のように明細書全体の記載を基準としてなされるべきものとするとの見解は、とうてい採用し難いのである。」と判示する。

  さらに、下級審の判例にもこの旨を明示するものが多い。

  例えば、東京高裁昭和五八年八月一六日判決は、「しかしながら、特許請求の範囲の欄は、出願人が特許を請求する対象としての発明を記載すべきものであるとともに、そこには、発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載すべきものであるから、特許出願が直接対象とする発明の具体的内容は、特許請求の範囲の記載に基づいて把握し、それについて審査をすべきが当然である。そして、もし特許請求の範囲から把握した発明の具体的内容と発明の詳細な説明の欄に記載された発明の目的ないし効果とが対応しないことがあれば、そのこと自体を明細書の記載の不備とするのはともかく、特許請求の範囲の記載を無視して、発明の目的及び効果に関する記載のみから、出願が直接対象とする発明の内容を定めて、それを審査の対象とするのは相当でない。」と判示している。

  また、東京高裁昭和四五年四月一五日判決も、「『特許請求の範囲』の記載が明確であって、その記載により発明の内容を適確に把握できる場合に、この『特許請求の範囲』に何ら記載されていない、『発明の詳細な説明』に記載されている事項を加えて、当該発明の内容を理解することは、右のようにすでに「特許請求の範囲』に記載されている事項の説明を『発明の詳細な説明』の記載に求めることではなく、『特許請求の範囲』に記載されているものに、新たなものを付加することであって、前記のごとく発明の内容の理解が『特許請求の範囲』の記載を基本とし、これによってなされるべきことに反するものであり、出願発明の要旨認定においでも、特許発明の技術的範囲の確定にあたっでも、許されないことである。」と判示している。

  (3)、さて、本件発明の明細書の特許請求の範囲の項には、「離型性を有する剥離シートAの離型性保有面に、界面活性剤を配合した接着剤組成物による所定のパターンの印刷層Bを設け、ついで該印刷層B上に、前記と実質状同一のパターンを描くようにインクによる単色または多色の印刷層Cを設け、さらにその印刷層Cの上から、前記パターンより広い面積を覆う剥離可能な保護シートDを設けた構成を有する転写印刷シート。」が記載されており、それ自体、明確であることは言うまでもない。

  そして、原判決自身が、理由中において、本件発明の特許請求の範囲には層の「形成順序が記載されている」と認定している(原判決の二六頁一行)ことも明らかである。

  しかるに、原判決は、特許請求の範囲が右のように明確であるにもかかわらず、「特許請求の範囲の記載に前記一認定の本件明細書の発明の詳細な説明を参酌すると、本件発明は・・・(中略)・・・「物の発明』の範疇に含まれるというべきである。」(原判決の二六頁一行ないし六行)として、いきなり発明の詳細な説明に基づいて発明の性格を認定し、さらに右発明の性格から、層の形成順序に関する記載は発明の要旨に含まれないとの結論を演繹的に導き出し、結果的に特許請求の範囲に明瞭に記載された層の形成順序に関する記載が完全に無視されるに至っている。

  しかし、発明の末尾がもの(転写印刷シート)で表現されていることが発明の要旨を特許請求の範囲に基づかずに認定するべき特段の事情にあたるとは到底言えず、このことは、特許庁の審決も認めているところであって、原判決がかかる特段の事情もないのに、発明の詳細な説明を参酌し、特許請求の範囲に記載された層の形成順序に関する記載を発明の要旨に含まれないとした点には、明らかに特許法三六条五項二号の解釈適用を誤った違法がある。

第二点 原判決には、明細書に基づく発明の要旨の認定において、前提として認定した事実と結論との間に論理の飛躍ないし矛盾があり、理由不備ないし理由齟齬(民事訴訟法三九五条一項六号)の違法がある。

  (1)、原判決が、特許請求の範囲に基づかずに発明の要旨を認定した違法については、すでに第一点で述べたとおりである。

  さらに、本件においては、仮に発明の要旨の認定において特許請求の範囲の記載に加え、発明の詳細な説明を参酌することが許されるとしても、それを参酌すれば、層の形成順序に関する記載が発明の要旨に含まれることは一層明らかであり、原判決は、明細書の記載に関する事実認定の中でこのことを認めていると思われるにもかかわらず、最終的な発明の要旨の認定においては、奇妙にも層の形成順序に関する記載を除外しており、前提として認定した事実と結論の間に論理の飛躍ないし矛盾がある。

  (2)、すなわち、原判決は、理由中において、まず、本件特許発明の明細書の特許請求の範囲に「層の形成順序が記載されている」と認定している(原判決二六頁一行)。

  さらに、原判決は、明細書の発明の詳細な説明の欄に「本件発明は、剥離シートAの離型性保有面に、まず界面活性剤を配合した接着剤組成物による所定のパターン(文字、図形、模様など)の印刷層Bを設け」、「その接着剤組成物印刷層上に、それと実質状同一パターンを描くようにインクによる単色または多色の印刷層Cを設ける」、「そして、印刷層Cの上から、上記パターンよりも広い面積を覆う剥離可能な保護シートDを貼付等の手段により設けることによって、転写印刷シートの製造が完了する」との記載が存在することを認めているのであり(原判決二三頁八行ないし一七行)、右記載が層の形成順序を限定していることは争う余地がない。

  さらに、原判決は、発明の詳細な説明の欄に「接着剤組成物の剥離シートA上への印刷は、各種平凹刷印刷によっても行われるが、シルクスクリーン印刷(スクリーン印刷)によることが多い」、「これは印刷面のハジキ、ヘコミの原因となりやすい。しかしながら、特定量の界面活性剤を配合することにより、この種のトラブルは回避される」との記載が存在することも認めている(原判決二三頁一八行ないし二四頁六行)。

  右の記載は、特定の層の形成順序を前提としない限り理解不可能な記載である。すなわち、そもそもシルクスクリーン印刷により印刷面にハジキやヘコミが生じるのは離型性保有面に印刷を施すからであり、仮に印刷層Bを先に形成し、剥離シートAを貼りつけるのであれば、右のような記載は全く無意味となる。しかも、それでは、印刷層Bにわざわざ界面活性剤を配合する意味が全く失われてしまい、明細書の特許請求の範囲に界面活性剤を配合することが必須の構成要件として記載されていることの説明が不可能となる。

  したがって、原判決の明細書の記載に関する事実認定を前提とするかぎり、論理法則にしたがえば、本件発明の要旨には、当然、層の形成順序に関する記載が含まれるとしなければならないところ、原判決は、これと相反する結論に到達しており、その論理の筋道が明らかでない。

  右の点は、民事訴訟法三九五条一項六号の理由不備ないし理由齟齬にあたるものとして原判決の破棄事由になると言うべきである。

第三点 原判決は、「物の発明」においては、特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されているときは、記載された製造方法は、便宜的になされた最終的な製造物を特定する一手段に過ぎず、当該発明の要旨は、特許請求の範囲に記載された製造方法によって製造された物に限定されないと述べているが(原判決二六頁一一ないし一七行)、右の解釈には、特許法二条三項、三六条五項二号の解釈適用を誤った違法がある。

  (1)、第二点で述べたように、原判決は、明細書の記載に関しては、層の形成順序が記載されていることを認めながら、発明の要旨の認定においては、層の形成順序に関する記載はそれに含まれないとしている。

  この前提事実と結論との結びつきが必ずしも明確でないことはすでに述べたとおりであるが、原判決が、かかる結論について唯一理由らしきものとして述べているのが、いわゆる「物の発明」に関する解釈論である。

  すなわち、原判決は、「特許発明は、『物の発明』と『方法の発明』とに大別される(特許法二条三項等)が、ここに『物の発明』とは、技術的思想の創作が物の形で具体的に表現され、かつ経時的要素を要しないものというべきところ、」(原判決二五頁一五行ないし一八行)と個々の事例を離れた普遍的解釈を行い、「記載された製造方法は、便宜的になされた最終的な製造物を特定する一手段にすぎないというべきである。」(原判決二六頁一四行ないし一六行)との説明のもとに、結論として、特許請求の範囲の記載のうち製造方法にかかる限定条件を一切見ずに発明の要旨を認定している。

  (2)、しかしながら、発明の要旨の認定にあたり、「製造方法による限定付きの物の発明にあっては経時的要素を要しない」という解釈を、特許請求の範囲の記載に優先する大前提とすべき法的根拠がない。

  確かに、特許法二条三項は、特許発明を「物の発明」、「方法の発明」及び「物を生産する方法」に分類し、各々の発明における実施の態様を規定している。

  しかし、特許請求の範囲に記載された事項が「物の発明」の要素と「方法の発明」の要素をともに含むような場合、「製造方法付きの物の発明」として特許されることは、何ら妨げられないと言うべきであり、特許法二条三項が右のような解釈を禁じているとする理由は見いだせない。

  ここで「製造方法による限定付きの物」の発明について、若干観点を変えて検討してみる。

  特許法一条は、「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする。」と規定しており、実用新案法のように「物品の形状、構造又は組合せに係る考案」という限定はない。

  そして、特許法二条一項は、「この法律で『発明』とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と規定しているのみであって、一条でいう「発明」には、二条一項の限定以外の制約はついていない。

  右の規定を受けて、特許法二九条では、「産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。」と規定しており、ここにも新規性、進歩性に関する要件を除けば、「発明」に関する特別の限定は付されていない。

  そして、ここで出願にかかる発明と対比されるべき特許法二九条一項各号に言う発明(刊行物等の公知技術)は、あくまで技術的思想としての発明であって、カテゴリーに拘束された発明ではなく(現実問題としても、たとえば特許法二九条一項三号に言う刊行物記載の発明は、最終物は物の発明であっても、その製造方法、作動機構、用途をはじめ、種々様々なことが記載されているのが常である)、出願にかかる発明も、カテゴリーにとらわれることなく、技術的思想として公知技術である発明と対比すべきである。

  したがって、たとえ「物の発明」の形式で出願された発明であっても、特許請求の範囲に製造方法の記載があるときは、特段の事情のない限り、当該製造方法の記載を含めて特許請求の範囲に記載されたとおりのものを発明の要旨として認定すべきであり、本件特許発明にかかる無効審判請求事件において、特許庁の審決が、層の形成順序を含めて特許請求の範囲に記載されたとおりのものを発明の要旨と認定したことは、すこぶる正当であって、何らの違法はないと言うべきである。

  しかるに、原判決は、「物の発明」の解釈論を特許請求の範囲の記載より優先し、特許請求の範囲に明瞭に記載されている事項を発明の要旨から意図的に除外したものであって、その誤りは明白である。

  (3)、次に、仮に、(2)のようにカテゴリーにとらわれずに発明の要旨を認定することが許されないとしても、「物の発明」の形式で出願された発明について、特許請求の範囲に製造方法の記載が存在するときは、当該製造方法の記載が最終物の特定にとって欠くことのできないものであるか否かを検討すべきであり、これが肯定される場合には、当該方法的記載を含めて発明の要旨に含まれると解すべきであって、かかる検討を抜きにして、「物の発明」においては製造方法の記載は一般的に発明の要旨に含まれないが如き解釈を行うことは許されない。

  原判決には、特許法二条三項、三六条五項二号を右のように誤って解釈適用した違法がある。

  すなわち、一般に「物の発明」において特許請求の範囲でわざわざ製造方法を規定している場合、その方が他の規定の仕方よりも物の構成要素、構成要素間の相互関係、最終物の構造を特定するのに適しており、さらには技術的範囲の解釈に紛れを生じないと出願人が自ら信じ、かつ客観的にもそうであるからこそ、そのような記載の仕方をしているのである。

  実務上、「物の発明」にかかる出願の発明において、少なからぬ割合で製造方法の記載が存在するのは、製造方法付きで規定する方が他の表現をするよりも発明の内容を正確に特定しやすいことがあるからである。

  一例をあげると、「摂氏五〇〇〜五五〇度で焼成して得た素焼」は、強度や多孔性、吸水性、吸着性、艶、風合などの点で、それより高い温度、例えば、摂氏六〇〇度以上で焼成して得た素焼とは顕著に性質が相違するが、その構造を最終物の各種物性で規定するのは極めて困難であり、もし無理に物性で規定すれば、本来意図されていないものまで含まれることがあり、技術的範囲の解釈にも紛れを生ずるおそれがある。この場合、「摂氏五〇〇〜五五〇度で焼成して得た素焼を用いた物」と規定すれば、権利者にとっても第三者にとっても容易に発明を把握することができ、技術的範囲がどこまで及ぶかも一義的に定めることができる。同じ操作(摂氏五〇〇〜五五〇度で焼成)をすれば客観的にも同じ物が得られるのであるから、「摂氏五〇〇〜五五〇度で焼成して得た素焼」を用いた物の発明を見い出したときに、そのまま直接的に特許請求の範囲で「摂氏五〇〇〜五五〇で焼成して得た素焼」と表現することは極めて自然なことである。むしろ無理に最終物の物性などで他の表現で規定すれば、どのような物性を取り上げるかで主観が働き、かえって物の特定に不明確さを生じてしまうことがある。

  物の発明で製造方法を限定していることがあるのは、発明が自然法則を利用するものである以上(特許法二条一項)、「同じ操作をすれば客観的にも同じ物が再現される」という経験則に基いているからである。

  ある素材を用いる場合(たとえば、鋼、織物、染色布、再生紙、プラスチック成形物、陶磁器)、天然物や化学物質でない限り、素材自体がある工程を経て得られたものであることを意味している。物の発明の場合、素材などの構成要素を「単純な物」と見るか「製造方法付きの物」と見るかというような観点は必要とは思われない。「焼き入れ刃」とあれば、「焼きを入れていない刃」とは違うであろうから、焼きを入れたものと入れていないものとの金属結晶構造の違いを云々するまでもない。

  発明は、技術の多様性を反映してまさに多様である。発明を表現するのに、必要以上の制限を課すべきではない。

  したがって、特許請求の範囲に記載の発明が「製造方法付きの物」の発明であるかどうかにかかわらず、特段の事情がない限り、発明の要旨を特許請求の範囲のとおりと認定することは、右の理からすれば当然のことである。これは、最終物の特定にとって当該製造方法の記載が不可欠だからであり、このことと「方法」それ自体を特許とすることとは全く別のことである。

  (4)、そして、後述するように、本件転写印刷シートの発明においては、当該特許発明にかかる「物」を製造するためには、特許請求の範囲記載の層の形成順序によるほかはなく、異なる層の形成順序によった場合には、得られる最終物自体が相違する。

  したがって、最終物の特定のために製造方法の記載は不可欠であか、原判決がかかる点につき何ら検討することなく、「物の発明」であるという一事をもって製造方法の記載は発明の要旨に含まれないとしたことには、特許法二条三項、三六条五項二号の解釈適用を誤った違法がある。

第四点 原判決は、本件発明と引用例1との対比に当たり、本件発明の特許請求の範囲の記載から四つの構成要素とその配列順序のみを抽出すると共に、引用例1記載の発明から四つの構成要素とその配列順序のみを抽出して、両発明を対比し、両発明の構成要素間の相互関係(共働、連動関係)や最終物を構成する各層の構造について一切判断することなく、本件発明は引用例1記載の発明と同一であると認定しており、この点には、理由不備(民事訴訟法三九五条一項六号)、審理不尽ないし釈明権不行使(民事訴訟法一二七条違背)の違法がある。

  (1)、原判決は、「『物の発明』において特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されているときは、その発明は、全体としてみれば、製造方法の如何にかかわらず、最終的に得られた製造物であって、記載された製造方法は、便宜的になされた最終的な製造物を特定する一手段にすぎないというべきである。」としながら、製造方法により特定されたはずの本件発明の最終製造物について、その構成要素間の相互関係(共働、連動関係)についても、製造物を構成する各層の構造についても、最終物の構造及びそれにより得られる作用効果についても、一切判断することなく、特許請求の範囲の記載から四つの構成要素とその配列順序のみを抽出して引用例1と対比しており、最終物の同一性を判断する上で不可欠の事項について判断していない。

  (2)、しかし、本件発明は、場が印刷にかかるものであり、印刷層は剛体ではなく重力および表面張力(分子間引力により液滴が丸くなる性質)の影響を受けて土台上に特有の構造を固着形成するものであるから、層の形成順序を逆にしたときに、決して同一の「物」は得られない。

  すなわち、本件発明における印刷層Bおよび印刷層Cは、文字通り印刷層であって、板のような剛体ではない。「印刷」とは、液状のインクを対象物に印刷してミクロン・オーダー(一ミクロンは一ミリメートルの一〇〇〇分の一)で制御される極薄の液膜パターンを乾燥または硬化させて被膜パターンとなす操作を言うのであるから、必ず土台となる対象物の存在を前提としている。

  印刷層Bは、剥離シートAを土台としてその上に「固着形成」(但し土台が剥離シートであるので後に剥離可能となる)されている上、その底面は剥離シートAの表面の平滑性により平滑となっており、また重力および表面張力(分子間引力により液滴が丸くなる性質)により、印刷層Bの上面のエッジに垂れを生じるとともに丸くなっている。そして、さらに印刷層Cは、印刷層B上でエッジに垂れを生じるともに丸くなっている。つまり模式的に描写すると、印刷層Cは、印刷層Bのエッジを覆うようになっている。

  つまり、印刷層Bと印刷層Cとは、剥離シートA上に「二枚の皿を重ねて伏せた」ような状態(印刷層Bが下で印刷層Cが上)で固着している。

  前記のように、本件特許請求の範囲において、剥離シートAの離型性保有面に印刷を行って印刷層Bを設け、ついで剥離シートA上にある印刷層Bの上から印刷を行って印刷層Cを設け、さらにその印刷層Cの上から剥離可能な保護シートDを設けるということは、層形成の順序を示しているだけでなく、層間の固着状態および印刷層B、Cの形状をも規定しているのである。

  上記のことは、自然法則に基づくものであるから、印刷に多少とも心得のある業者であれば、発明の詳細な説明を見るまでもなく、特許請求の範囲のうち印刷という用語のみからも理解できるものである。

  もし逆の順序で印刷を行ったとすれば、転写操作シートでもある柔軟な保護シートDを土台としなければならないので、その上に印刷層Cを形成することは工業的には不可能と言ってよい(本上告理由書に添付する実験報告書のとおり)。

  仮にできたとしても、印刷層Cは保護シートDに強く固着してしまうので、円滑に転写することは絶対にできず、さらに、印刷層Bと印刷層Cとは、保護シートDを上にしたとき、本件発明とは逆に、剥離シートA上に「二枚の皿を上向きに重ねて載せた」ような状態(印刷層Bが下で印刷層Cが上)になってしまう。また、後から載せる剥離シートAは、単に乗っかっているだけであるので、保管、流通過程においていつずれるかもわからない。

  加えて、仮に転写ができたとしても、被写体にパターン印刷層が「二枚の皿を上向きに重ねて載せた」ような状態で転写されるので、接着剤(粘着剤)印刷層Bのエッジが露出してしまう。

  このように本件発明の目的物は、特許請求の範囲に記載の形成順序で層を形成していったことにより独特の構造を有しており、逆方向から層を形成していったものとは、要素間の共働関係や最終物の構造自体が大きく相違している。

  しかも、本件発明は、剥離シートA上にまず界面活性剤を配合した接着剤組成物による所定のパターンの印刷層Bを形成することが最初の技術的克服点になっているのであり、発明の詳細な説明にも、界面活性剤の中では、有機ケイ素化合物が好ましいこと、界面活性剤の配合量があまりに少ないと、剥離シートA上に印刷し九とき印刷面にハジキ、ヘコミ等を生じて安定した品質が得られないことが記載されているのである。そして、実施例と比較例を対比する際にも、印刷層Bに界面活性剤を配合した場合と配合しない場合とを対比して、印刷面にハジキ、ワレ、収縮、ヘコミ等を生じないことを本件発明の効果として指摘しているのである。

  したがって、本件発明が層の形成順序を限定した発明であることは明白であり、層の形成順序を逆にした製造物と本件発明にかかる製造物が相違することは明らかである。

  (3)、右の点を原判決の引用例1との関係で考察すると、次のとおりである。

  すなわち、引用例1記載の発明は、土台としての「張力を与えると容易に延伸できる透明な又は半透明なフィルムのシートよりなる担体シート上に、印刷インクの図、その上から前記図と合致して或いは担体シートの印刷域の全域にわたって「感圧性接着剤」をつけたものである。転写材料に例えばシリコン処理した挿入用紙を間に挟むことが望ましいが、この紙は接着層に対してかたく接着することはなくそれ自身の重みで離れるのが普通である。」との記載もある。

  引用例1記載の発明にあっては、担体シート上に図が固着しており、その上に感圧性接着剤が固着している。挿入用紙は、感圧性接着剤にほとんど接着することなく単に接触しているだけである。

  担体シート上への印刷インクの形成にあたっては、自然法則によりエッジに垂れや丸まりができ、感圧性接着剤の印刷にあたっては、自然法則により図のエッジにまで感圧性接着剤が覆うようになる。

  これを本件発明の目的物と対比して示したのが、別紙図面一である。

  引用例1記載の発明の目的物を上下逆転させて本件発明と対応すれば、本件発明における剥離シートA上の接着剤組成物印刷層Bは底面が平滑で皿を伏せた形状を有し、かつその上から形成された印刷層Cも皿を伏せた形状を有し、接着剤組成物印刷層Bのエッジは上からの印刷層Cの垂れで覆われているのに対し、引用例1記載の発明の目的物は、挿入用紙上に感圧性接着剤が皿を上向けて置いた形状を有し、さらにその上に図が皿を上向けて重ねた構造を有し、感圧性接着剤層のエッジは図のエッジ部分をも覆うようにして露出しており、図の上面はフラットになっている。

  そして、転写にあたっては、本件発明の接着剤印刷層B、引用例1の感圧性接着剤の側が対象物にくっつくのであるから、本件発明においては転写パターンのエッジに爪がかからず、一方引用例1においては爪がかかる上、エッジに感圧性接着剤が露出して汚れやすく剥がれやすい構造となっている。このような構造の差は、製品として市販可能か否かという根本的な性能の差となって現れる。

  加えて、引用例1記載の発明の目的物は、対象物に極めて高圧の圧力をかけて転写するものであり、実施例においては、圧力を一点に集中すべく先端が〇・一ミリメートルの直径のボールのついたボールペンで圧力をかけるようにしているが、このような転写操作は著しく現実性を欠くものである。

  さらに引用例1の発明にあっては、担体シートを延伸して図を剥がすようにしなければならないが、それは、本件発明の保護シートDとは全く異なる使い方をするものである、

  以上の説明からも明らかなように、引用例1で得られた最終物は、本件発明のように「被写体に鮮明で美麗なパターンをワンタッチで転写印刷できる」、「接着剤組成物のはみだしがない」という作用効果を持つものではなく、本件発明の最終物とは作用効果上も大きく相違するものである。

  (4)、しかるに、原判決は、両発明の二種の印刷層の構造及び固着構造の差異を無視し、さらには両発明の転写時の機構や操作性の違いを無視し、最終物の構造から有機的一体構造を度外視して、単に各層の対応関係があることのみをもって、本件発明と引用例1の発明が同一であると判断したものであり、最終物の同一性についても判断しておらず、また、それを判断する上で不可欠な構成要素間の共働関係や製造物の作用効果に関する判断が一切欠落している。

  右は、判断遺脱として、民事訴訟法三九五条一項六号の理由不備に該当すると言うべきである。

  (5)、なお、上告人は、特許庁の無効審判手続において構成要素の共働関係をはじめとして、最終物の相違点につき詳細な主張を行っていたことは、本上告理由書に添付する口頭審理陳述要領書からも明らかである。

  しかるに、原審の審理手続においては、右の争点に関する主張、立証が十分尽くされておらず、これは、原審の裁判官が当事者双方に対して、かかる重要な争点につき主張、立証を十分尽くさせずに審理を終結したことによるものである。

  すなわち、上告人は、原審の被告第一準備書面において、発明の要旨認定等の問題を原告が克服しえたなら、その段階で甲各号証が本件特許の新規性及び進歩性に何の影響も与えないことを述べるとして、今後、甲各号証と本件特許発明の詳細な対比を行うことを予告していた。この際には、無効審判手続において上告人が行ったのと同様の主張を当然行う予定であった。ところが、原審においては、上告人がこのような主張を行う前に、いきなり審理が終結されてしまい、最終物の同一性という重要な争点に関し、上告人が十分な主張を行う機会が与えられないまま原判決に至ったものである。

  右の点は、裁判所として当然なすべき釈明権の行使を怠ったもので、訴訟手続に関する法令(民事訴訟法一二七条)に違背するものとして上告理由にあたるというべきである。

  以上のとおりであるから、原判決は、破棄されるべきである。 以上

  (附属書類省略)

別紙図面一

〈省略〉

4. 一つ目の原審

裁判年月日  平成 9年 2月13日  裁判所名  東京高裁  裁判区分  判決

事件番号  平7(行ケ)194号

事件名  審決取消請求事件

裁判結果  認容  上訴等  上告  文献番号  1997WLJPCA02136002

要旨

◆「物の発明」において特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されているときでも、その発明は、製造方法の如何にかかわらず、最終的に得られた製造物であって、記載された製造方法は、便宜的になされた最終的な製造物を特定する一手段にすぎず、発明の要旨は、特許請求の範囲に記載された製造方法によって製造された物に限定されないから、「層構成の形成順序に関する記載を含めて」発明の要旨を認定したのは誤りであるとされた事例

裁判経過

上告審 平成 9年 9月 9日 最高裁第三小法廷 判決 平9(行ツ)120号 審決取消請求事件

出典

特許庁公報 62号181頁

判例工業所有権法

裁判年月日  平成 9年 2月13日  裁判所名  東京高裁  裁判区分  判決

事件番号  平7(行ケ)194号

事件名  審決取消請求事件

裁判結果  認容  上訴等  上告  文献番号  1997WLJPCA02136002

東京都豊島区東池袋3丁目7番4号  

原告 株式会社倉本産業

代表者代表取締役 倉本馨

訴訟代理人弁護士 小坂志磨夫

同 小池豊

同弁理士 永井義久

奈良県生駒市壱分町450番地の182  

被告 濱田秀雄

訴訟代理人弁理士 大石征郎

主文

1  特許庁が平成4年審判第18472号事件について平成7年6月28日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者が求める裁判

 1  原告

  主文と同旨の判決

 2  被告

  「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2  請求の原因

 1  特許庁における手続の経緯

  被告(審判被請求人)は、名称を「転写印刷シート」とする特許第1677709号発明(以下、「本件発明」という。)の特許権者である。なお、本件発明は、昭和59年11月30日に特許出願(昭和59年特許願第254534号)、平成2年10月25日に出願公告(平成2年特許出願公告第48439号)、平成4年7月13日に設定登録がなされた後、明細書を訂正することについて審判の請求(平成5年審判第1768号)がなされ、平成7年3月10日に明細書の訂正が認められたものである。

  原告(審判請求人)は、平成4年9月30日、本件発明の特許を無効にすることについて審判を請求し、平成4年審判第18472号事件として審理された結果、平成7年6月28日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年7月17日原告に送達された。

 2  本件発明の特許請求の範囲(別紙図面A参照)

  離型性を有する剥離シートAの離型性保有面に、界面活性剤を配合した接着剤組成物による所定のパターンの印刷層Bを設け、ついで該印刷層B上に、前記と実質状同一のパターンを描くようにインクによる単色又は多色の印刷層Cを設け、さらにその印刷層Cの上から、前記パターンより広い面積を覆う剥離可能な保護シートDを設けた構成を有する転写印刷シート

 3  審決の理由の要点

   (1)本件発明の要旨は、その特許請求の範囲に記載された前項のとおりのものと認める。

   (2)これに対し、原告は、本件発明の特許は、以下の理由により無効とすべきであると主張する。

  〈1〉 特許無効理由1

  特許請求の範囲の層構成の形成順序に関する記載は本件発明の構成ではないとの前提のもとに、

  本件発明は、その特許出願前に頒布された刊行物である昭和38年特許出願公告第10663号公報(以下、「引用例1」という。)に記載された発明であって、特許法29条1項3号に該当するものであるから、同法123条1項1号に該当する。

  〈2〉 特許無効理由2

  特許請求の範囲の層構成の形成順序に関する記載は本件発明の構成ではないとの前提のもとに、

  本件発明は、その特許出願前に頒布された刊行物である引用例1記載の発明及び昭和58年実用新案出願公告第35493号公報(以下、「引用例2」という。)に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであって、特許法29条2項の規定に違反するものであるから、同法123条1項1号に該当する。

  〈3〉 特許無効理由3

  層構成の形成順序が本件発明の構成の一部であるとしても、

  本件発明は、その特許出願前に頒布された刊行物である昭和51年特許出願公開第150414号公報(以下、「引用例3」という。)に記載された発明及び昭和50年特許出願公告第18409号公報(以下、「甲第7号証刊行物」という。)に記載された発明、引用例1記載の発明及び引用例2記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであって、特許法29条2項の規定に該当するものであるから、同法123条1項1号に該当する。

   (3)検討

  〈1〉特許無効理由1について

  特許発明の要旨認定は、特許法36条5項2号の規定(平成6年法律第116号による改正前)に照らして、特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてなされるべきであるところ、本件発明の特許請求の範囲の末尾がもの(転写印刷シート)で表現されていることがこの特段の事情に当たるとは認められないので、層構成の形成順序に関する記載を含めて、特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。

  そして、引用例1には転写材料に関する発明が記載され、転写材料が、透明あるいは半透明の担体シートに印刷インキで図がつけられ、印刷インキが本質的に重合体材料を基礎材料とし、かつ、可塑剤を含有するものであり、薄い一層の感圧接着剤が前記図と合致して、あるいは、印刷した側の担体シートの印刷域の全体にわたってつけられたものであること(1頁右欄33行ないし2頁左欄7行ほか)、非イオン性表面活性剤1.2部、陰イオン性表面活性剤0.3部を含む感圧接着剤の使用(3頁右欄20行ないし34行)等が開示されている。

  そこで本件発明と引用例1記載の発明とを対比すると、本件発明が、離型性を有する剥離シートAの離型性保有面に、界面活性剤の配合された接着剤による所定のパターンの印刷層Bを設け、ついで該印刷層B上に、印刷層Bと実質状同一のパターンを描くようにインクによる単色又は多色の印刷層Cを設けているのに対して、引用例1記載の発明は、担体シート上に印刷インキの図を形成し、その上から感圧接着剤を形成したものであり、層構成の形成順序が相違する。してみれば、その余についてみるまでもなく、本件発明が引用例1記載の発明であるとすることはできない。

  したがって、原告主張の特許無効理由1は理由がない。

  〈2〉 特許無効理由2について

  引用例1記載の発明は、前記のように、担体シート上に印刷インキの図を形成し、その上から感圧接着剤を形成したものであり、本件発明とは層構成の形成順序が相違する。

  また、引用例2には、「剥離性及び印刷適性をもつ合成紙からなる台紙1上に、絵柄の印刷面積にほぼ合わせた透明合成樹脂系フイルムの保護層2を設け、その保護層2上に転写絵柄の印刷層3と、保護層2の形成面積に合致させた感圧性接着剤層4を形成し、さらに台紙1との間で前記各層2、3、4を挟む可剥紙5を前記接着剤層により接着して重ねたことを特徴とする感圧接着転写紙」が記載されている(別紙図面B参照)。

  しかし、引用例2記載のものは、台紙上に保護層を設け、その上に印刷層、接着剤層を形成し、さらに可剥紙を重ねたものであり、本件発明とは層構成の形成順序が相違する。

  引用例1記載の発明及び引用例2記載の発明は、本件発明とはいずれも基本構成において相違するので、本件発明かこれらの発明に基づいて当業者が容易に想到できたとすることはできない(その他、下記の特許無効理由3についての判断も参照)。

  したがって、原告主張の特許無効理由2は理由がない。

  〈3〉 特許無効理由3について

  本件発明は、明細書及び図面の記載を考慮すると、従来の水転写タイプやアルコール転写タイプの転写印刷紙は、仕上がりが美麗でない、印刷を逆刷りで行わなければならないので誤認するおそれがあるなどの問題点があり、またステッカーにより被写体にパターンを付するものは、金型が必要で生産性が劣るほか、小さな文字や複雑な文字には適用できないなどの問題点があるので、このような問題点を解決することを発明の課題とするものであって、本件発明の構成全体が一体となって、被写体に直刷りしたのと同様のパターンをワンタッチで転写印刷できる、剥離シート上に接着剤組成物を印刷しているにもかかわらず、印刷を例えばシルクスクリーン印刷で行っても印刷面にハジキ、ワレ、収縮、ヘコミ等を生じない、被写体に貼着後直ちに保護シートの剥離除去ができるので転写に要する時間が極めて短くてすみ、しかも転写操作に熟練を要しない、接着剤による印刷層とインクまたは塗料による印刷層とが実質状同一パターンであるので接着剤のはみ出しがない、事前に転写印刷シートや被写体を水やアルコールで湿潤させておく必要がないので水やアルコールに冒される被写体にも適用できる、印刷によって構成された層のみが転写されるため屋外耐候性、柔軟性、耐熱性など被写体の要求性能に応じた設計が可能となる、印刷のみによって得られた転写印刷シートであるため打ち抜きや余分なスペースを必要とせず、製法の簡素化、デザインの優位性がある、という効果を奏するものと認められる。

  これに対して、引用例3には、その特許請求の範囲2に、「離型シート(6)の表面に熱可塑性樹脂を印刷塗布して適宜模様の溶着フイルム層(7)を形成し、更に該溶着フイルム層(7)の表面に塗料を同じく印刷塗布して装飾層(8)を積層し、吸湿性の転写シート(10)しに熱可塑性樹脂を印刷塗布して点状又は線状の転着層(11)を形成し、該転着層(11)を前記剥離シート(6)の装飾層(8)に重ね合せ、転写シート(10)を離型シート(6)に熱プレスして前記装飾層(8)及び溶着フイルム層(7)を離型シート(6)より転写シート(10)に転写することを特徴とする転写ワッペンの製造方法」が記載されている(別紙図面C参照)。

  しかし、この製造方法によって製造された転写ワッペンは、その製造及び被写体への転写工程に関する説明(2頁右上欄15行ないし左下欄17行、第4〜6図)からみて、転写シート(10)を線状または点状の転着層(11)を介して装飾層(8)に重ね合せるとともに、熱プレスによって溶着フイルム層(7)を離型シート(6)プより剥離し、その後被写体(12)に接当して熱プレスによって再転写されるものであって、本件発明の剥離シートを有していない点で本件発明と発明の構成を異にするものである。また、接着剤に界面活性剤を配合することが記載されていない点でも相違している。

  また、甲第7号証刊行物には、「剥離可能な裏材シートと、中間層としての乾燥した分離層と、デザイン層でアクリル樹脂及び一種以上の顔料又は所望の電気的性質を有する物質を含有し、一種以上の印刷法で裏材シート上に適用されているデザイン層とからなり、90°〜140℃に加熱された耐熱性基材に鮮明で裡色しない装飾又は他のデザインを適用するための転写材において、該デザイン層のアクリル樹脂が、低融点成分としてマレイン酸樹脂、変性ロジン樹脂、環状ケトン縮合物又はシクロヘキサノン樹脂によって変性され、90°〜140℃の範囲の温度での基材上へのデザイン層の適用に際し溶解することなく粘着性になるように変性されており、更に該乾燥分離層が該裏材シートをシリコーンで被覆又は含浸させることにより形成されていることを特徴とする転写材」が記載され、併せて、デザイン層に裏材シート上の印刷を容易にする表面活性剤を含有させること、デザイン層組成物にグリセリルモノステアレートを添加すること等が記載されている点は認められる。

  しかしながら、甲第7号証刊行物記載の転写材は、裏材シート上に直接一層のデザイン層を設けただけのもので、しかもデザイン層の上面から被着体に転写するものであり、また表面活性剤を含有するデザイン層も着色物質を60重量%と多量に含むもので(2頁右欄16行ないし41行参照)、本件発明の接着剤組成物とは実質的に相違するものと認められる。

  さらに、甲第7号証刊行物記載の表面活性材を引用例3記載の転写ワッペンに適用する起因ないし契機となりうるものも見当たらない。

  次に、引用例1記載の転写材料は、前記のとおり本件発明とは層構成の形成順序が相違するほか、接着剤に配合する非イオン性表面活性剤及び陰イオン性表面活性剤についても、剥離シートの離型性保有面に鮮明で美麗なパターンを形成するためのものとは認められず、本件発明とは使用目的が相違する。

  また、引用例2記載の感圧接着転写紙は、前記のとおり本件発明とは層構成の形成順序が相違し、接着剤に界面活性剤を配合する点について記載も示唆もない。

  本件発明は当業者が容易に発明をすることができたという原告の主張は、各引用例記載のものを基礎として本件発明に容易に到達しえたとする論理付けが必ずしも明確でないが、各引用例のいずれにも、本件発明の技術的課題及びこの課題を解決するために採択した構成が開示されているとはいえず、構成全体が一体となって奏せられる効果も、各引用例に、昭和53年実用新案出願公告第22006号公報、昭和54年特許出願公告第31405号公報、相原次郎ほか編著「印刷インキ技術」(株式会社シーエムシー1982年8月30日発行)122頁ないし128頁、刈米孝夫著「界面活性剤の性質と応用 第二版」(幸書房昭和63年7月25日発行)89頁ないし96頁、230頁ないし234頁を併せ考慮しても、当業者が容易に予測できたとはいえない。

  そうすると、本件発明が、各引用例及び甲第7号証刊行物記載のものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたとすることはできず、したがって原告主張の特許無効理由3も理由がない。

  〈4〉 以上のとおりであるから、原告が主張する理由及び証拠方法によっては、本件発明の特許を無効にすることはできない。

 4  審決の取消事由

  審決は、本件発明の要旨の認定を誤った結果、本件発明の新規性及び進歩性を肯定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

   (1)本件発明は「物の発明」であるから、その製造方法は発明の構成要件ではない。現に、本件明細書の発明の詳細な説明には、「本発明の転写印刷シートは、A/B/C/Dの層構成を有するものであり、(中略)通常はAの側から各層を順に形成していくが、最終的にこの層構成が形成されていればよく、その形成順序を限定するものではない」(出願公告公報7欄27行ないし31行)ことが明記されている(もっとも、発明の詳細な説明の上記記載部分は、前記訂正審決によって削除されたが、これによって本件発明が「製造方法が限定された物」に変わったわけではない。)。また、被告は、出願当初の明細書の発明の詳細な説明に存在した層構成の形成順序が一定であることを前提とした記載(甲第12号証の3頁左上欄19行ないし右上欄16行)を、手続補正によって削除している。そして、本件明細書には、製造方法を限定することの目的、あるいは、製造方法を限定することによって奏される作用効果は、全く記載されていない。

  したがって、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。」とした審決の判断は誤りである。

   (2)そして、引用例1記載の転写材料は、本件発明の剥離シートAに当たる「挿入用紙」(2頁左欄32行)、本件発明の印刷層Bに当たる「図を覆っている或は図と実質的に符号している感圧性接着剤」(引用例1の3頁右欄20行ないし34行には、この接着剤に「表面活性剤を配合することが明記されており、「表面活性剤」が「界面活性剤」であることは当業者に自明であるから、引用例1には「界面活性剤を配合した接着剤組成物」が開示されている。)、本件発明の印刷層Cに当たる「印刷インキの図」、本件発明の保護シートDに当たる「担体シート」を具備しているから、引用例1記載のものが本件発明と同一の構成を有することは明らかである。

  また、引用例2記載の感圧接着転写紙は、本件発明の剥離シートAに当たる「可剥紙5」、本件発明の印刷層Bに当たる「感圧性接着剤層4」、本件発明の印刷層Cに当たる「転写絵柄の印刷層3」、本件発明の保護シートDに当たる「台紙1」を具備しているから、引用例2には、本件発明が要旨とする4層の層構成がことごとく記載されている。ただし、引用例2には、その「感圧性接着剤層4」に界面活性剤を配合することは記載されていないが、この「感圧性接着剤層4」は印刷によって形成されるものであるところ、印刷インクに界面活性剤を配合して印刷適性の向上を図ることは、引用例1に示されているとおり、本件発明の特許出願前の周知技術である。したがって、引用例2記載の発明において、「感圧性接着剤層4」の組成物に界面活性剤を配合することは単なる設計事項にすぎない。

  なお、本件発明が奏する作用効果は、引用例1及び引用例2記載のものが奏する作用効果と実質的に同一である。

  したがって、層構造の形成順序が本件発明の構成要件であることを前提として、原告の主張する特許無効事由1及び特許無効事由2は理由がないとした審決の認定判断は、いずれも誤りである。

   (3)仮に、層構造の形成順序が本件発明の構成要件であるとしても、引用例3記載の転写ワッペンの製造方法は、本件発明の剥離シートAに当たる「離型性シート(6)」、本件発明の印刷層Bに当たる「溶着フイルム層(7)」、本件発明の印刷層Cに当たる「装飾層(8)」、本件発明の保護シートDに当たる「転写シート(10)」を、この順序で形成するものであるから、本件発明の構成と同一であることは明らかである。この点について、審決は、引用例3記載の転写ワッペンは「本件発明の剥離シートを有していない」と認定しているが、上記「離型シート(6)」が、転写ワッペンを構成するものであり、ワッペンを衣服等に貼着するに先立って剥離されるものであるから、本件発明の剥離シートAに相当することに疑問の余地はない。

  なお、審決は、引用例3に「接着剤に界面活性剤を配合することが記載されていない点」を本件発明との相違点としている。しかしながら、接着剤に界面活性剤を配合することは、ほとんど例外なく行われている慣用技術であって、このことは引用例1、甲第7号証刊行物、昭和54年特許出願公告第31405号公報あるいは前記「印刷インキ技術」等から明らかである。この点について、審決は、甲第7号証刊行物の表面活性剤を引用例3の転写ワッペンに適用する起因ないし契機となりうるものも見当たらないと説示するが、引用例3記載の発明はスクリーン印刷を採用しうるものであるところ(2頁左上欄17行以下参照)、スクリーン印刷の接着剤あるいはインキに消泡剤としてシリコンを添加することは常套手段であり(本件出願公告公報7欄35行ないし37行)、かつ、シリコンは本件発明が要旨とする界面活性剤に含まれるのであるから(同公報6欄35行ないし7欄14行)、審決の上記説示は当たらない。また、審決は、引用例1記載の接着剤に配合される非イオン性表面活性剤及び陰イオン界面活性剤は本件発明とは使用目的が相違すると説示するが、接着剤に界面活性剤を配合する目的が、少なくとも消泡あるいはレベリング効果を得るためであることは周知であり、それによって剥離シートの離型性保有面に鮮明で美麗なパターンを形成しうることは当然である。

  したがって、引用例3に界面活性剤の記載がないことをもって本件発明の容易推考性を否定し、原告主張の特許無効理由3も理由がないとした審決の認定判断は誤りである。

第3  請求原因の認否及び被告の主張

  請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。

 1  原告は、本件発明は「物の発明」であるからその製造方法は発明の構成要件ではないと主張する。

  しかしながら、特許請求の範囲のカテゴリーを「物」、「方法」あるいは「物を生産する方法」のいずれとするかは、出願人が自由に決めうることであって、カテゴリーによって発明の要旨が決定されるわけではない。発明の要旨は、発明の構成に欠くことができない事項として特許請求の範囲に記載された技術的事項に基づいて決定すべきものであるから、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。」とした審決の判断に、何ら誤りはない。

  特に、印刷とは液状のインクによって形成したミクロン単位の極薄の液膜パターンを乾燥あるいは硬化させて被膜パターンとすることであって、本件発明の転写印刷シートの層構成も、その要旨とする形成順序によらなければ得ることができないから、原告の前記主張は失当である。

 2  層構成の形成順序が本件発明の必須要件である以上、引用例1及び2記載のものの構成が、いずれも本件発明の構成と異なることは審決の認定判断のとおりである。

  したがって、層構造の形成順序が本件発明の構成要件であることを前提として、原告の主張する特許無効事由1及び特許無効事由2は理由がないとした審決の認定判断には、何らの誤りもない。

 3  原告は、引用例3記載の離型シート(6)が本件発明の剥離シートAに相当することに疑問の余地はないと主張する。

  しかしながら、引用例3記載の離型シート(6)は転写ワッペンの製造工程中に除去されるものであり、離型シート(6)を除去したものが引用例3記載の発明が目的とする転写ワッペンであるから、引用例3記載の転写ワッペンは「本件発明の剥離シートを有していない」とした審決の認定に誤りはない。

  また、原告は、接着剤に界面活性剤を配合することはほとんど例外なく行われている慣用技術であると主張する。

  しかしながら、引用例3に界面活性剤に関する記載も示唆もないことは事実であり、原告が援用する刊行物は、本件発明の構成とは何らの関係もない場において界面活性剤の記載が存在することを示すにすぎない。

  したがって、原告主張の特許無効理由3も理由がないとした審決の認定判断に誤りはない。

第4  証拠関係

  証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第1  請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本件発明の特許請求の範囲)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。

 1  成立に争いのない甲第2号証(特許出願公告公報)によれば、本件明細書には、本件発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が次のように記載されていることが認められる(別紙図面A参照)。

   (1)技術的課題(目的)

  本件発明は、被写体に、直刷りした場合と同様のパターンをワンタッチで転写印刷しうる転写印刷シートに関する(1欄21行ないし23行)。

  従来、転写印刷紙としては水転写タイプのものとアルコール転写タイプのものが知られ(1欄25行、26行)、転写印刷紙ではないが、ステッカーも被写体にパターンを付する目的で広く普及しており(2欄25行、26行)、このステッカーを発展させたものに抜き文字ステッカーがある(3欄11行、12行)。

  しかし、水転写タイプの転写印刷紙は、転写紙または印刷層のスライド操作に際し、印刷膜が崩れるおそれがある等の問題点があり(3欄24行ないし35行)、アルコール転写タイプの転写印刷紙は、被写体と一定強度以上の接着力を有するようになるまでに時間が長くかかること等の問題点がある(3欄36行ないし4欄2行)。また、通常のステッカーは、印刷パターンより広い面積のシートが残るので美麗さを欠くこと等の問題点があり(4欄3行ないし7行)、抜き文字ステッカーは、文字抜きを行う金型が多数必要となるので金型代がかさむこと等の問題点がある(4欄7行ないし13行)。

  本件発明は、このような従来の問題点を根本的に解決することを技術的課題(目的)とするものである(4欄14行、15行)。

   (2)構成

  上記課題を解決するために、本件発明は、その特許請求の範囲記載の構成を採用したものである(1欄2行ないし9行)。

  本件発明は、剥離シートAの離型性保有面に、まず界面活性剤を配合した接着剤組成物による所定のパターン(文字、図形、模様など)の印刷層Bを設け(4欄44行ないし5欄3行)、その接着剤組成物印刷層B上に、それと実質状同一パターンを描くようにインクによる単色または多色の印刷層Cを設ける(8欄12行ないし14行)。そして、印刷層Cの上から、上記パターンよりも広い面積を覆う剥離可能な保護シートDを貼付等の手段により設けることによって、転写印刷シートの製造が完了する(8欄27行ないし31行)。

  接着剤組成物の剥離シートA上への印刷は、各種平凹刷印刷によっても行われるが、シルクスクリーン印刷(スクリーン印刷)によることが多い。シルクスクリーン印刷を行うときは、印刷工程における発泡を防止するためしばしば消泡剤その他の添加剤を混和することが多く、これは印刷面のハジキ、ヘコミの原因となりやすい。しかしながら、特定量の界面活性剤を配合することにより、この種のトラブルは回避される(7欄32行ないし40行)。

  本件発明の転写印刷シートはA/B/C/Dの層構成を有するものであり、通常はAの側から各層を順に形成していくが、最終的にこの層構成が形成されていればよく、その形成順序を限定するものではない(8欄42行ないし9欄2行。ただし、成立に争いのない甲第3号証(審決)によれば、上記記載部分を削除する訂正を認める審決が、平成7年3月15日付けでなされたことが認められる。)。

   (3)作用効果

  本件発明によれば、〈1〉 被写体に鮮明で美麗なパターンをワンタッチで転写印刷できる、〈2〉 印刷を例えばシルクスクリーン印刷で行っても、印刷面にハジキ、ワレ、収縮、ヘコミ等を生じない、〈3〉 転写に要する時間が極めて短くてすみ、しかも転写操作に熟練を要しない、〈4〉 接着剤組成物のはみ出しがない、〈5〉 水やアルコールの冒される被写体にも適用できる、〈6〉 被写体の要求性能に応じた設計が可能となる、〈7〉 製法の簡素化、デザインの優位性がある等の優れた作用効果が奏される(13欄23行ないし14欄17行)。

 2  本件発明の要旨認定について

  原告は、本件発明は「物の発明」であって、その製造方法は発明の構成要件ではないから、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたものが本件発明の要旨というべきである」とした審決の判断は誤りであると主張し、これに対し、被告は、発明の要旨は、発明の構成に欠くことができない事項として特許請求の範囲に記載された技術的事項に基づいて決定すべきものであるから、審決の上記判断に誤りはない旨主張する。

  特許発明は、「物の発明」と「方法の発明」とに大別される(特許法2条3項等)が、ここに「物の発明」とは、技術的思想の創作が物の形で具体的に表現され、かつ経時的要素を要しないものというべきところ、本件発明は、発明の名称を「転写印刷シート」とするものであること、本件発明の特許請求の範囲には、層の形成順序が記載されているが、特許請求の範囲の記載に前記1認定の本件明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌すると、本件発明は剥離シートA、印刷層B、印刷層C及び保護シートDの4つの構成要素がその順序で配置され層構成を形成している転写印刷シートであり、「物の発明」の範疇に含まれるというべきである。

  ところで、特許発明が特許法29条1項に定める特許要件を具備するかの判断に当たっては、当該発明を同項所定の発明と対比するために当該発明の要旨を認定する必要がある。そして、その要旨の認定は、特許請求の範囲の記載に基づいてなすべきところ、「物の発明」において特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されているときは、その発明は、全体としてみれば、製造方法の如何にかかわらず、最終的に得られた製造物であって、記載された製造方法は、便宜的になされた最終的な製造物を特定する一手段にすぎないというべきである。したがって、当該発明の要旨は、特許請求の範囲に記載された製造方法によって製造された物に限定されないことが明らかである。

  これを本件発明についてみると、その特許請求の範囲には、前記のとおり層構成の形成順序(すなわち、離型性シートAの特定面に、印刷層B、印刷層C及び保護シートDを、この順序で設けるべきこと)が記載されているが、この形成順序を「物の発明」である本件発明の必須要件と解することはできず、本件発明の要旨は、あくまで、結果として得られる離型性シートA、印刷層B、印刷層C及び保護シートDの4要素が、A/B/C/Dの順序で配置されている転写印刷シートの構造であると解すべきである。本件明細書の発明の詳細な説明に存した「本発明の転写印刷シートは、A/B/C/Dの層構成を有するものであり、(中略)通常はAの側から各層を順に形成していくが、最終的にこの層構成が形成されていればよく、その形成順序を限定するものではない」(特許出願公告公報7欄27行ないし31行)という記載を削除する訂正を認める審決がなされたことは、上記判断を左右するものでない。

  したがって、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。」とした審決の判断は、明らかに誤りである。

 3  本件発明と引用例1記載の発明との対比について

  成立に争いのない甲第4号証によれば、引用例1記載の発明は名称を「転写材料」とする発明であって、引用例1には、

   a  「本発明は(中略)張力をかけたときには容易に伸張することができる透明或は半透明の1枚のフイルムから成立つ担体シートから成り、この担体シートには印刷インキで図がっけられ、(中略)薄い一層の感圧接着剤が前記図と合致して或は印刷した側の担体シートの印刷域の全体にわたってつけられており、前記図と担体シートとの間の接着は担体シートの範囲でこれを局部的に伸長することにより弱めることができ、感圧接着剤は50 1b/in2下の圧力の下では殆んど接着性がない転写材料を提供するものである。」(1頁右欄33行ないし2頁左欄7行)

   b  「本発明転写材料はかなりの圧力がかけられない限りその感圧接着剤がこれと接触状態にある他のものへくっつかないので取扱い易い。従って接着面に半永久的に貼りつけられた保護用シートを用意する必要はない。実際には転写材料に例えばシリコン処理をした挿入用紙を間にはさむことが望ましいが、この紙は接着層に対してかたく接着することはなくそれ自身の重みではなれるのが普通である。」(2頁左欄28行ないし34行)

   c  「使用したいときにこれを転写すべき面へ当てがって担体の裏から50lb/in2以上の圧力をかけるだけで済む。このようにすると図は支持体シートからはなれて前記面へ接着する。」(2頁左欄38行ないし41行)

   d  「接着剤を印刷図の上にだけつけ、且これと正しく整合をとってつければ、接着剤が転写された図にふちを形成し汚れを吸収するような危険はない。」(2頁左欄45行ないし47行)

   e  実施例の説明として、「高圧に感じる接着剤を次のようにして配合する。(中略)非イオン性表面活性剤1.2部陰イオン性表面活性剤0.3部 (中略)これをスクリーン法によって印刷し蒸発して乾かす。得られた層は非常に粘着性が低いものである。(中略)この接着剤は(中略)はなれ易く、接着性に優れ、且細部のまわりからきれいにきり取れる。」(3頁右欄20行ないし39行)

  と記載されていることが認められる。

  上記のような引用例1の記載事項と本件発明とを対比してみると、引用例1記載の「担体シート」は、a及びcの記載から本件発明の「保護シートD」に当たり、引用例1記載の「図」は、aに記載されているようにインキで印刷されるものであるから本件発明の「インクによる印刷層C」に当たることが明らかであるし、引用例1記載の「感圧接着剤」が、a、d及びeの記載から本件発明の「界面活性剤を配合した接着剤組成物による印刷層B」に当たることも明らかである(「表面活性剤」は「界面活性剤」と同義である。)。そして、上記の記載を総合すれば、引用例1記載の転写材料は、「担体シート」、「図」及び「感圧接着剤」を、この順序で配置してなるものであって、このことは、前掲甲第4号証によって認められる「張力を与えると容易に延伸できる透明又は半透明なフイルムのシートよりなる担体シートとこの担体シートにより保有された印刷インキの図(中略)と、前記担体シート上の被覆として適用された而も前記図を覆っている或は図と実質的に符合している感圧接着剤(この接着剤は高粘着性感圧接着剤と非粘着性成分との混合物よりなり、而も約50lb/in2より小さい圧力下での低粘着性と約50lb/in2以上の圧力下での実質的な粘着性とを有する)とよりなり、(中略)感圧接着剤は、前記担体シートに約50lb/in/2以上の圧力を加えて前記インキ図を、そっくりそのまま何の破損もなしに、転写表面に移動させるのに役立ち」(4頁左欄12行ないし右欄11行)という特許請求の範囲の記載からも疑いの余地がないところである。

  さらに、前記bに記載されている「挿入用紙」は、「感圧接着剤がこれと接触状態にある他のものへくっつ」くことを防止するためのものであり、「この紙は接着層に対してかたく接着することはな」いものであるから、本願発明の「離型シートA」に相当するということができる。

  そうすると、引用例1には、「担体シート」、「図」、「感圧接着剤」及び「挿入用紙」を、この順序で配置した転写材料の構成が開示されていることになるが、この構成は、本願発明が要旨とする「離型シートA」、「界面活性剤を配合した接着剤組成物による印刷層B」、「インクによる印刷層C」及び「保護シートD」をこの順序で配置する構成を、反対側から表したものにほかならず、本件発明の構成と引用例1に開示されている構成とが同一であることは明らかである。

 4  したがって、層構成の形成順序が本件発明の必須要件であることを前提として、本件発明は引用例1記載の発明であるとすることはできないとした審決の認定判断は、誤りである。

 5  以上のとおりであるから、その余の審決取消事由について検討するまでもなく、原告の主張する理由及び証拠方法によっては本件発明の特許を無効にすることはできないとした審決には、その結論に影響を及ぼすことが明らかな違法があり、これを維持することはできない。

第3  よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は正当であるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

 (裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)

別紙図面 A

第1図は剥離シートA上に界面活性剤配合接着剤組成物による所定のパターンの印刷層Bを設けた状態を示した模式断面図である。第2図は本発明の転写印刷シートの一例を示した一部切欠き斜視図、第3図はその模式断面図、第4図はその分解図である。

 A…離型性を有する剥離シート B…界面活性剤配合接着剤組成物による印刷層 C…インクによる印刷層 D…保護シート

〈省略〉

別紙図面 B

1…台紙 2…保護層 3…転写絵柄の印刷層 4…感圧性接着剤層 5…可剥紙

〈省略〉

別紙図面 C

6…離型シート 7…溶着フイルム層 8…装飾層 9…植毛10…転写シート 11…転写シート 12…被写体

〈省略〉

*******

5. 二つ目

裁判年月日 平成 9年 9月 9日 裁判所名 最高裁第三小法廷 裁判区分 判決

事件番号 平9(行ツ)121号

事件名 審決取消請求事件

裁判結果 棄却 上訴等 確定 文献番号 1997WLJPCA09096010

奈良県生駒市壱分町四五〇番地の一八二    

上告人  濱田秀雄 

右訴訟代理人弁護士  武田純 

東京都豊島区東池袋三丁目七番四号    

被上告人  株式会社 倉本産業 

右代表者代表取締役  倉本馨 

右訴訟代理人弁護士  小坂志磨夫 

   小池豊 

 右当事者間の東京高等裁判所平成七年(行ケ)第一九五号審決取消請求事件について、同裁判所が平成九年二月一三日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

 上告代理人武田純の上告理由について

 所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当しとて是認することができ、その過程に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づき若しくは原判決を正解しないでこれを論難するものにすぎず、採用することができない。

 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

 (裁判長裁判官 千種秀夫 裁判官 園部逸夫 裁判官 大野正男 裁判官 尾崎行信 裁判官 山口繁)

(平成九年(行ツ)第一二一号 上告人 濱田秀雄)

6. 二つ目の上告理由

 上告代理人武田純の上告理由

第一点 原判決は、特許発明の要旨を特許請求の範囲に基づかず、発明の詳細な説明に基づいて認定した点で、特許法三六条五項二号の規定(本件特許出願について言えば、昭和六〇年法律第四一号による改正前の特許法三六条五項の規定、以下同様)の解釈適用を誤った法令違背があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

  (1)、原判決は、特許発明が特許法二九条一項に定める特許要件を具備するかの判断にあたって発明の要旨を認定するにあたり、本件特許請求の範囲の記載が明確でありかつ特段の事情がないにもかかわらず、明細書の発明の詳細な説明の項の記載を参酌して特許請求の範囲の記載とは異なるように発明の要旨を認定している。従って、原判決は、「特許請求の範囲には特許を受けようとする発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならない」旨定めている特許法三六条五項二号の規定の解釈適用を誤った違法がある。

  (2)、特許発明が特許法二九条一項各号に定める特許要件を具備するかの判断にあたっての発明の要旨は、特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。

  すなわち、特許法三六条五項二号には、「特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない。」と規定してあるのであるから、特許請求の範囲の項の記載が明確であって、その意味内容が直ちに把握できる場合には、本来その記載のみに従つて解釈すべきであり、発明の詳細な説明や図面の記載を用いて限定的に解釈したり、逆に特許請求の範囲で限定している限定事項を離れて拡大解釈することは許されない。

  このような解釈は、最高裁判例にも示されているところである。

  すなわち、最高裁平成三年三月八日第二小法廷判決(いわゆる「リパーゼ判決」)は、発明の要旨認定に関し次のように判示している。

  「特許法二九条一項及び二項所定の特許要件、すなわち、特許出願に係る発明の新規性及び進歩性について審理するに当たっては、この発明を同条一項各号所定の発明と対比する前提として、特許出願に係る発明の要旨が認定されなければならないところ、この要旨認定は、特段の事情のない限り、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである。特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは、一見してその記載が誤記であることが明細書の発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなどの特段の事情がある場合に限って、明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌することが許されるにすぎない。このことは、特許請求の範囲には、特許を受けようとする発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない旨定めている特許法三六条五項二号の規定(本件特許出願については、昭和五〇年法律第四六号による改正前の特許法第三六条五項の規定)から見て明らかである。」

  また、最高裁昭和四七年一二月一四日第一小法廷判決は、「特許請求の範囲の訂正が許されるかどうかを判断する前提として、特許請求の範囲は、ほんらい明細書において、対世的な絶対権たる特許権の効力範囲を明確にするものであるからこそ、前記のように、特許発明の技術的範囲を確定するための基準とされるのであって、法一二六条二項にいう「実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するもの」であるか否かの判断は、もとより、明細書中の特許請求の項の記載を基準としてなされるべく、所論のように明細書全体の記載を基準としてなされるべきものとするとの見解は、とうてい採用し難いのである。」と判示する。

  さらに、下級審の判例にもこの旨を明示するものが多い。

  例えば、東京高裁昭和五八年八月一六日判決は、「しかしながら、特許請求の範囲の欄は、出願人が特許を請求する対象としての発明を記載すべきものであるとともに、そこには、発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載すべきものであるから、特許出願が直接対象とする発明の具体的内容は、特許請求の範囲の記載に基づいて把握し、それについて審査をすべきが当然である。そして、もし特許請求の範囲から把握した発明の具体的内容と発明の詳細な説明の欄に記載された発明の目的ないし効果とが対応しないことがあれば、そのこと自体を明細書の記載の不備とするのはともかく、特許請求の範囲の記載を無視して、発明の目的及び効果に関する記載のみから、出願が直接対象とする発明の内容を定めて、それを審査の対象とするのは相当でない。」と判示している。

  また、東京高裁昭和四五年四月一五日判決も、「『特許請求の範囲』の記載が明確であって、その記載により発明の内容を適確に把握できる場合に、この『特許請求の範囲』に何ら記載されていない、『発明の詳細な説明』に記載されている事項を加えて、当該発明の内容を理解することは、右のようにすでに『特許請求の範囲』に記載されている事項の説明を『発明の詳細な説明』の記載に求めることではなく、『特許請求の範囲』に記載されているものに、新たなものを付加することであって、前記のごとく発明の内容の理解が『特許請求の範囲』の記載を基本とし、これによってなされるべきことに反するものであり、出願発明の要旨認定においても、特許発明の技術的範囲の確定にあたっても、許されないことである。」と判示している。

  (3)、さて、本件発明の明細書の特許請求の範囲の項には、「離型性を有する剥離シートAの離型性保有面に、接着剤による所定のパターンの印刷層Bを設け、ついで該印刷層B上に、前記と実質状同一のパターンを描くようにインクによる単色または多色の印刷層Cを設け、さらにその印刷層Cの上から、前記パターンよりも広い面積を覆う剥離可能な保護シートDを設けた構成を有する転写印刷シート。」が記載されており、それ自体、明確であることは言うまでもない。

  そして、原判決自身が、理由中において、本件発明の特許請求の範囲には層の「形成順序が記載されている」と認定している(原判決の二〇頁二行)ことも明らかである。

  しかるに、原判決は、特許請求の範囲が右のように明確であるにもかかわらず、「特許請求の範囲の記載に前記一認定の本件明細書の発明の詳細な説明を参酌すると、本件発明は・・・(中略)・・・『物の発明』の範疇に含まれるというべきである。」(原判決の二〇頁二行ないし七行)として、いきなり発明の詳細な説明に基づいて発明の性格を認定し、さらに右発明の性格から、層の形成順序に関する記載は発明の要旨に含まれないとの結論を演繹的に導き出し、結果的に特許請求の範囲に明瞭に記載された層の形成順序に関する記載が完全に無視されるに至っている。

  しかし、発明の末尾がもの(転写印刷シート)で表現されていることが発明の要旨を特許請求の範囲に基づかずに認定するべき特段の事情にあたるとは到底言えず、このことは、特許庁の審決も認めているところであって、原判決がかかる特段の事情もないのに、発明の詳細な説明を参酌し、特許請求の範囲に記載された層の形成順序に関する記載を発明の要旨に含まれないとした点には、明らかに特許法三六条五項二号の解釈適用を誤った違法がある。

第二点 原判決には、明細書に基づく発明の要旨の認定において、前提として認定した事実と結論との間に論理の飛躍ないし矛盾があり、理由不備ないし理由齟齬(民事訴訟法三九五条一項六号)の違法がある。

  (1)、原判決が、特許請求の範囲に基づかずに発明の要旨を認定した違法については、すでに第一点で述べたとおりである。

  さらに、本件においては、仮に発明の要旨の認定において特許請求の範囲の記載に加え、発明の詳細な説明を参酌することが許されるとしても、それを参酌すれば、層の形成順序に関する記載が発明の要旨に含まれることは一層明らかであり、原判決は、明細書の記載に関する事実認定の中でこのことを認めていると思われるにもかかわらず、最終的な発明の要旨の認定においては、奇妙にも層の形成順序に関する記載を除外しており、前提として認定した事実と結論の間に論理の飛躍ないし矛盾がある。

  (2)、すなわち、原判決は、理由中において、まず、本件特許発明の明細書の特許請求の範囲に「層の形成順序が記載されている」と認定している(原判決二〇頁二行)。

  さらに、原判決は、明細書の発明の詳細な説明の欄に「本件発明は、剥離シートAの離型性保有面に、まず接着剤による所定のパターン(文字、図形、模様など)の印刷層Bを設け」、「その接着剤印刷層B上に、それと実質状同一パターンを描くようにインクによる単色または多色の印刷層Cを設ける」、「そして、印刷層Cの上から、上記パターンよりも広い面積を覆う剥離可能な保護シートDを貼付等の手段により設けることによって、転写印刷シートの製造が完了する」との記載が存在することを認めているのであり(原判決一八頁二行ないし一〇行)、右記載が層の形成順序を限定していることは争う余地がない。

  したがって、原判決の明細書の記載に関する事実認定を前提とするかぎり、論理法則にしたがえば、本件発明の要旨には、当然、層の形成順序に関する記載が含まれるとしなければならないところ、原判決は、これと相反する結論に到達しており、その論理の筋道が明らかでない。

  右の点は、民事訴訟法三九五条一項六号の理由不備ないし理由齟齬にあたるものとして原判決の破棄事由になると言うべきである。

第三点 原判決は、「物の発明」においては、特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されているときは、記載された製造方法は、便宜的になされた最終的な製造物を特定する一手段に過ぎず、当該発明の要旨は、特許請求の範囲に記載された製造方法によって製造された物に限定されないと述べているが(原判決二〇頁一二行ないし一八行)、右の解釈にも、特許法二条三項、三六条五項二号の解釈適用を誤った違法がある。

  (1)、第二点で述べたように、原判決は、明細書の記載に関しては、層の形成順序が記載されていることを認めながら、発明の要旨の認定においては、層の形成順序に関する記載はそれに含まれないとしている。

  この前提事実と結論との結びつきが必ずしも明確でないことはすでに述べたとおりであるが、原判決が、かかる結論について唯一理由らしきものとして述べているのが、いわゆる「物の発明」に関する解釈論である。

  すなわち、原判決は、「特許発明は、『物の発明』と「方法の発明』とに大別される(特許法二条三項等)が、ここに『物の発明』とは、技術的思想の創作が物の形で具体的に表現され、かつ経時的要素を要しないものというべきところ、」(原判決一九頁一六行ないし一九行)と個々の事例を離れた普遍的解釈を行い、「記載された製造方法は、便宜的になされた最終的な製造物を特定する一手段にすぎないというべきである。」(原判決二〇頁一五行ないし一六行)との説明のもとに、結論として、特許請求の範囲の記載のうち製造方法にかかる限定条件を一切見ずに発明の要旨を認定している。

  (2)、しかしながら、発明の要旨の認定にあたり、「製造方法による限定付きの物の発明にあっては経時的要素を要しない」という解釈を、特許請求の範囲の記載に優先する大前提とすべき法的根拠がない。

  確かに、特許法二条三項は、特許発明を「物の発明」、「方法の発明」及び「物を生産する方法」に分類し、各々の発明における実施の態様を規定している。

  しかし、特許請求の範囲に記載された事項が「物の発明」の要素と「方法の発明」の要素をともに含むような場合、「製造方法付きの物の発明」として特許されることは、何ら妨げられないと言うべきであり、特許法二条三項が右のような解釈を禁じているとする理由は見いだせない。

  ここで「製造方法による限定付きの物」の発明について、若干観点を変えて検討してみる。

  特許法一条は、「この法律は、発明の保護及び利用を図ることにより発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする。」と規定しており、実用新案法のように「物品の形状、構造又は組合せに係る考案」という限定はない。

  そして、特許法二条一項は、「この法律で『発明』とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と規定しているのみであって、一条でいう「発明」には、二条一項の限定以外の制約はついていない。

  右の規定を受けて、特許法二九条では、「産業上利用することができる発明をした者は、次に掲げる発明を除き、その発明について特許を受けることができる。」と規定しており、ここにも新規性、進歩性に関する要件を除けば、「発明」に関する特別の限定は付されていない。

  そして、ここで出願にかかる発明と対比されるべき特許法二九条一項各号に言う発明(刊行物等の公知技術)は、あくまで技術的思想としての発明であって、カテゴリーに拘束された発明ではなく(現実問題としても、たとえば特許法二九条一項三号に言う刊行物記載の発明は、最終物は物の発明であっても、その製造方法、作動機構、用途をはじめ、種々様々なことが記載されているのが常である)、出願にかかる発明も、カテゴリーにとらわれることなく、技術的思想として公知技術である発明と対比すべきである。

  したがって、たとえ「物の発明」の形式で出願された発明であっても、特許請求の範囲に製造方法の記載があるときは、特段の事情のない限り、当該製造方法の記載を含めて特許請求の範囲に記載されたとおりのものを発明の要旨として認定すべきであり、本件特許発明にかかる無効審判請求事件において、特許庁の審決が、層の形成順序を含めて特許請求の範囲に記載されたとおりのものを発明の要旨と認定したことは、すこぶる正当であって、何らの違法はないと言うべきである。

  しかるに、原判決は、「物の発明」の解釈論を特許請求の範囲の記載より優先し、特許請求の範囲に明瞭に記載されている事項を発明の要旨から意図的に除外したものであって、その誤りは明白である。

  (3)、次に、仮に、(2)のようにカテゴリーにとらわれずに発明の要旨を認定することが許されないとしても、「物の発明」の形式で出願された発明について、特許請求の範囲に製造方法の記載が存在するときは、当該製造方法の記載が最終物の特定にとって欠くことのできないものであるか否かを検討すべきであり、これが肯定される場合には、当該方法的記載を含めて発明の要旨に含まれると解すべきであって、かかる検討を抜きにして、「物の発明」においては製造方法の記載は一般的に発明の要旨に含まれないが如き解釈を行うことは許されない。

  原判決には、特許法二条三項、三六条五項二号を右のように誤って解釈適用した違法がある。

  すなわち、一般に「物の発明」において特許請求の範囲でわざわざ製造方法を規定している場合、その方が他の規定の仕方よりも物の構成要素、構成要素間の相互関係、最終物の構造を特定するのに適しており、さらには技術的範囲の解釈に紛れを生じないと出願人が自ら信じ、かつ客観的にもそうであるからこそ、そのような記載の仕方をしているのである。

  実務上、「物の発明」にかかる出願の発明において、少なからぬ割合で製造方法の記載が存在するのは、製造方法付きで規定する方が他の表現をするよりも発明の内容を正確に特定しやすいことがあるからである。

  一例をあげると、「摂氏五〇〇〜五五〇度で焼成して得た素焼」は、強度や多孔性、吸水性、吸着性、艶、風合などの点で、それより高い温度、例えば、摂氏六〇〇度以上で焼成して得た素焼とは顕著に性質が相違するが、その構造を最終物の各種物性で規定するのは極めて困難であり、もし無理に物性で規定すれば、本来意図されていないものまで含まれることがあり、技術的範囲の解釈にも紛れを生ずるおそれがある。この場合、「摂氏五〇〇〜五五〇度で焼成して得た素焼を用いた物」と規定すれば、権利者にとっても第三者にとっても容易に発明を把握することができ、技術的範囲がどこまで及ぶかも一義的に定めることができる。同じ操作(摂氏五〇〇〜五五〇度で焼成)をすれば客観的にも同じ物が得られるのであるから、「摂氏五〇〇〜五五〇度で焼成して得た素焼」を用いた物の発明を見い出したときに、そのまま直接的に特許請求の範囲で「摂氏五〇〇〜五五〇で焼成して得た素焼」と表現することは極めて自然なことである。むしろ無理に最終物の物性などで他の表現で規定すれば、どのような物性を取り上げるかで主観が働き、かえって物の特定に不明確さを生じてしまうことがある。

  物の発明で製造方法を限定していることがあるのは、発明が自然法則を利用するものである以上(特許法二条一項)、「同じ操作をすれば客観的にも同じ物が再現される」という経験則に基いているからである。

  ある素材を用いる場合(たとえば、鋼、織物、染色布、再生紙、プラスチック成形物、陶磁器)、天然物や化学物質でない限り、素材自体がある工程を経て得られたものであることを意味している。物の発明の場合、素材などの構成要素を「単純な物」と見るか「製造方法付きの物」と見るかというような観点は必要とは思われない。「焼き入れ刃」とあれば、「焼きを入れていない刃」とは違うであろうから、焼きを入れたものと入れていないものとの金属結晶構造の違いを云々するまでもない。

  発明は、技術の多様性を反映してまさに多様である。発明を表現するのに、必要以上の制限を課すべきではない。

  したがって、特許請求の範囲に記載の発明が「製造方法付きの物」の発明であるかどうかにかかわらず、特段の事情がない限り、発明の要旨を特許請求の範囲のとおりと認定することは、右の理からすれば当然のことである。これは、最終物の特定にとって当該製造方法の記載が不可欠だからであり、このことと「方法」それ自体を特許とすることとは全く別のことである。

  (4)、そして、後述するように、本件転写印刷シートの発明においては、当該特許発明にかかる「物」を製造するためには、特許請求の範囲記載の層の形成順序によるほかはなく、異なる層の形成順序によった場合には、得られる最終物自体が相違する。

  したがって、最終物の特定のために製造方法の記載は不可欠であり、原判決がかかる点につき何ら検討することなく、「物の発明」であるという一事をもって製造方法の記載は発明の要旨に含まれないとしたことには、特許法二条三項、三六条五項二号の解釈適用を誤った違法がある。

第四点 原判決は、本件発明と引用例1との対比に当たり、本件発明の特許請求の範囲の記載から四つの構成要素とその配列順序のみを抽出すると共に引用例1記載の発明から四つの構成要素とその配列順序のみを抽出して、両発明を対比し、両発明の構成要素間の相互関係(共働、連動関係)や最終物を構成する各層の構造について一切判断することなく、本件発明は引用例1記載の発明と同一であると認定しており、この点には、理由不備(民事訴訟法三九五条一項六号)、審理不尽ないし釈明権不行使(民事訴訟法一二七条違背)の違法がある。

  (1)、原判決は、「『物の発明』において特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されているときは、その発明は、全体としてみれば、製造方法の如何にかかわらず、最終的に得られた製造物であって、記載された製造方法は、便宜的になされた最終的な製造物を特定する一手段にすぎないというべきである。」としながら、製造方法により特定されたはずの本件発明の最終製造物について、その構成要素間の相互関係(共働、連動関係)についても、製造物を構成する各層の構造についても、最終物の構造及びそれにより得られる作用効果についても、一切判断することなく、特許請求の範囲の記載から四つの構成要素とその配列順序のみを抽出して引用例1と対比しており、最終物の同一性を判断する上で不可欠の事項について判断していない。

  (2)、しかし、本件発明は、場が印刷にかかるものであり、印刷層は剛体ではなく重力および表面張力(分子間引力により液滴が丸くなる性質)の影響を受けて土台上に特有の構造を固着形成するものであるから、層の形成順序を逆にしたときに、決して同一の「物」は得られない。

  すなわち、本件発明における印刷層Bおよび印刷層Cは、文字通り印刷層であって、板のような剛体ではない。「印刷」とは、液状のインクを対象物に印刷してミクロン・オーダー(一ミクロンは一ミリメートルの一〇〇〇分の一)で制御される極薄の液膜パターンを乾燥または硬化させて被膜パターンとなす操作を言うのであるから、必ず土台となる対象物の存在を前提としている。

  印刷層Bは、剥離シートAを土台としてその上に「固着形成」(但し土台が剥離シートであるので後に剥離可能となる)されている上、その底面は剥離シートAの表面の平滑性により平滑となっており、また重力および表面張力(分子間引力により液滴が丸くなる性質)により、印刷層Bの上面のエッジに垂れを生じるとともに丸くなっている。そして、さらに印刷層Cは、印刷層B上でエッジに垂れを生じるともに丸くなっている。つまり模式的に描写すると、印刷層Cは、印刷層Bのエッジを覆うようになっている。

  つまり、印刷層Bと印刷層Cとは、剥離シートA上に「二枚の皿を重ねて伏せた」ような状態(印刷層Bが下で印刷層Cが上)で固着している。

  前記のように、本件特許請求の範囲において、剥離シートAの離型性保有面に印刷を行って印刷層Bを設け、ついで剥離シートA上にある印刷層Bの上から印刷を行って印刷層Cを設け、さらにその印刷層Cの上から剥離可能な保護シートDを設けるということは、層形成の順序を示しているだけでなく、層間の固着状態および印刷層B、Cの形状をも規定しているのである。

  上記のことは、自然法則に基づくものであるから、印刷に多少とも心得のある業者であれば、発明の詳細な説明を見るまでもなく、特許請求の範囲のうち印刷という用語のみからも理解できるものである。

  もし逆の順序で印刷を行ったとすれば、転写操作シートでもある柔軟な保護シートDを土台としなければならないので、その上に印刷層Cを形成することは工業的には不可能と言ってよい(本上告理由書に添付する実験報告書のとおり)。

  仮にできたとしても、印刷層Cは保護シートDに強く固着してしまうので、円滑に転写することは絶対にできず、さらに、印刷層Bと印刷層Cとは、保護シートDを上にしたとき、本件発明とは逆に、剥離シートA上に「二枚の皿を上向きに重ねて載せた」ような状態(印刷層Bが下で印刷層Cが上)になってしまう。また、後から載せる剥離シートAは、単に乗っかっているだけであるので、保管、流通過程においていつずれるかもわからない。

  加えて、仮に転写ができたとしても、被写体にパターン印刷層が「二枚の皿を上向きに重ねて載せた」ような状態で転写されるので、接着剤(粘着剤)印刷層Bのエッジが露出してしまう。

  このように本件発明の目的物は、特許請求の範囲に記載の形成順序で層を形成していったことにより独特の構造を有しており、逆方向から層を形成していったものとは、要素間の共働関係や最終物の構造自体が大きく相違している。

  したがって、本件発明が層の形成順序を限定した発明であることは明白であり、層の形成順序を逆にした製造物と本件発明にかかる製造物が相違することは明らかである。

  (3)、右の点を原判決の引用例1との関係で考察すると、次のとおりである。

  すなわち、引用例1記載の発明は、土台としての[張力を与えると容易に延伸できる透明な又は半透明なフィルムのシートよりなる担体シート上に、印刷インクの図、その上から前記図と合致して或いは担体シートの印刷域の全域にわたって「感圧性接着剤」をつけたものである。転写材料に例えばシリコン処理した挿入用紙を間に挟むことが望ましいが、この紙は接着層に対してかたく接着することはなくそれ自身の重みで離れるのが普通である。」との記載もある。

  引用例1記載の発明にあっては、担体シート上に図が固着しており、その上に感圧性接着剤が固着している。挿入用紙は、感圧性接着剤にほとんど接着することなく単に接触しているだけである。

  担体シート上への印刷インクの形成にあたっては、自然法則によりエッジに垂れや丸まりができ、感圧性接着剤の印刷にあたっては、自然法則により図のエッジにまで感圧性接着剤が覆うようになる。

  これを本件発明の目的物と対比して示したのが、別紙図面一である。

  引用例1記載の発明の目的物を上下逆転させて本件発明と対応すれば、本件発明における剥離シートA上の接着剤印刷層Bは底面が平滑で皿を伏せた形状を有し、かつその上から形成された印刷層Cも皿を伏せた形状を有し、接着剤印刷層Bのエッジは上からの印刷層Cの垂れで覆われているのに対し、引用例1記載の発明の目的物は、挿入用紙上に感圧性接着剤が皿を上向けて置いた形状を有し、さらにその上に図が皿を上向けて重ねた構造を有し、感圧性接着剤層のエッジは図のエッジ部分をも覆うようにして露出しており、図の上面はフラットになっている。

  そして、転写にあたっては、本件発明の接着剤印刷層B、引用例1の感圧性接着剤の側が対象物にくっつくのであるから、本件発明においては転写パターンのエッジに爪がかからず、一方引用例1においては爪がかかる上、エッジに感圧性接着剤が露出して汚れやすく剥がれやすい構造となっている。このような構造の差は、製品として市販可能か否かという根本的な性能の差となって現れる。

  加えて、引用例1記載の発明の目的物は、対象物に極めて高圧の圧力をかけて転写するものであり、実施例においては、圧力を一点に集中すべく先端が〇・一ミリメートルの直径のボールのついたボールペンで圧力をかけるようにしているが、このような転写操作は著しく現実性を欠くものである。

  さらに引用例1の発明にあっては、担体シートを延伸して図を剥がすようにしなければならないが、それは、本件発明の保護シートDとは全く異なる使い方をするものである、

  以上の説明からも明らかなように、引用例1で得られた最終物は、本件発明のように「被写体に直刷りしたのと同様のパターンをワンタッチで転写印刷できる」、「接着剤のはみだしがない」という作用効果を持つものでなく、本件発明の最終物とは作用効果上も大きく相違するものである。

  (4)、しかるに、原判決は、両発明の二種の印刷層の構造及び固着構造の差異を無視し、さらには両発明の転写時の機構や操作性の違いを無視し、最終物の構造から有機的一体構造を度外視して、単に各層の対応関係があることのみをもって、本件発明と引用例1の発明が同一であると判断したものであり、最終物の同一性についても判断しておらず、また、それを判断する上で不可欠な構成要素間の共働関係や製造物の作用効果に関する判断が一切欠落している。

  右は、判断遺脱として、民事訴訟法三九五条一項六号の理由不備に該当すると言うべきである。

  (5)、なお、上告人は、特許庁の無効審判手続において構成要素の共働関係をはじめとして、最終物の相違点につき詳細な主張を行っていたことは、本上告理由書に添付する口頭審理陳述要領書からも明らかである。

  しかるに、原審の審理手続においては、右の争点に関する主張、立証が十分尽くされておらず、これは、原審の裁判官が当事者双方に対して、かかる重要な争点につき主張、立証を十分尽くさせずに審理を終結したことによるものである。

  すなわち、上告人は、原審の被告第一準備書面において、発明の要旨認定等の問題を原告が克服しえたなら、その段階で甲各号証が本件特許の新規性及び進歩性に何の影響も与えないことを述べるとして、今後、甲各号証と本件特許発明の詳細な対比を行うことを予告していた。この際には、無効審判手続において上告人が行ったのと同様の主張を当然行う予定であった。ところが、原審においては、上告人がこのような主張を行う前に、いきなり審理が終結されてしまい、最終物の同一性という重要な争点に関し、上告人が十分な主張を行う機会が与えられないまま原判決に至ったものである。

  右の点は、裁判所として当然なすべき釈明権の行使を怠ったもので、訴訟手続に関する法令(民事訴訟法一二七条)に違背するものとして上告理由にあたるというべきである。

  以上のとおりであるから、原判決は、破棄されるべきである。

     以上

(附属書類省略)

別紙図面一

〈省略〉

7. 二つ目の原審(195)

裁判年月日  平成 9年 2月13日  裁判所名  東京高裁  裁判区分  判決

事件番号  平7(行ケ)195号

事件名  審決取消請求事件

裁判結果  認容  上訴等  上告  文献番号  1997WLJPCA02136001

要旨

◆物の発明であるにもかかわらず、特許請求の範囲中の製造方法に関する記載を含めて行った要旨認定は誤っているとして、無効審判請求を却けた審決を取消した事例〔*〕

裁判経過

上告審 平成 9年 9月 9日 最高裁第三小法廷 判決 平9(行ツ)121号 審決取消請求事件

出典

特許庁公報 62号189頁

判例工業所有権法

裁判年月日  平成 9年 2月13日  裁判所名  東京高裁  裁判区分  判決

事件番号  平7(行ケ)195号

事件名  審決取消請求事件

裁判結果  認容  上訴等  上告  文献番号  1997WLJPCA02136001

東京都豊島区東池袋3丁目7番4号

原告 株式会社倉本産業

代表者代表取締役 倉本馨

訴訟代理人弁護士 小坂志磨夫

同 小池豊

同弁理士 永井義久

奈良県生駒市壱分町450番地の182

被告 濱田秀雄

訴訟代理人弁理士 大石征郎

主文

1  特許庁が平成4年審判第24603号事件について平成7年6月28日にした審決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1  当事者が求める裁判

 1  原告

  主文と同旨の判決

 2  被告

  「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第2  請求の原因

 1  特許庁における手続の経緯

  被告(審判被請求人)は、名称を「転写印刷シート」とする特許第1680962号発明(以下、「本件発明」という。)の特許権者である。なお、本件発明は、昭和59年11月30日出願の昭和59年特許願第254534号の一部を新たな特許出願(昭和63年特許願第291862号)とし、平成2年10月25日に出願公告(平成2年特許出願公告第48440号)、平成4年7月31日に設定登録がなされた後、明細書を訂正することについて審判の請求(平成5年審判第1769号)がなされ、平成7年3月15日に明細書の訂正が認められたものである。

  原告(審判請求人)は、平成4年12月24日、本件発明の特許を無効にすることについて審判を請求し、平成4年審判第24603号事件として審理された結果、平成7年6月28日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年7月17日原告に送達された。

 2  本件発明の特許請求の範囲(別紙図面A参照)

  離型性を有する剥離シートAの離型性保有面に、接着剤による所定のパターンの印刷層Bを設け、ついで該印刷層B上に、前記と実質状同一のパターンを描くようにインクによる単色又は多色の印刷層Cを設け、さらにその印刷層Cの上から、前記パターンよりも広い面積を覆う剥離可能な保護シートDを設けた構成を有する転写印刷シート

 3  審決の理由の要点

   (1)  本件発明の要旨は、その特許請求の範囲に記載された前項のとおりのものと認める。

   (2)  これに対し、原告は、本件発明の特許は、以下の理由により無効とすべきであると主張する。

  〈1〉 特許無効理由1

  特許請求の範囲の層構成の形成順序に関する記載は本件発明の構成ではないとの前提のもとに、

  本件発明は、その特許出願前に頒布された刊行物である昭和38年特許出願公告第10663号公報(以下、「引用例1」という。)、昭和58年実用新案出願公告第35493号公報(以下、「引用例2」という。)及び昭和51年特許出願公開第150414号公報(以下、「引用例3」という。)に記載された発明であって、特許法29条1項3号に該当するものであるから、同法123条1項1号に該当する。

  〈2〉 特許無効理由2

  層構成の形成順序が本件発明の構成の一部であるとしても、

  本件発明は、引用例3に記載された発明であって、特許法29条1項3号に該当するものであるから、同法123条1項1号に該当する。

  〈3〉 特許無効理由3

  本件発明は、引用例1、引用例2及び引用例3の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであって、特許法29条2項の規定に違反するものであるから、同法123条1項1号に該当する。

   (3)  検討

  〈1〉 特許無効理由1について

  特許発明の要旨認定は、特許法36条5項2号の規定(平成6年法律第116号による改正前)に照らして、特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてなされるべきであるところ、本件発明の特許請求の範囲の末尾がもの(転写印刷シート)で表現されていることがこの特段の事情に当たるとは認められないので、層構成の形成順序に関する記載を含めて、特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。

  そして、引用例1には転写材料に関する発明が記載され、転写材料が、透明あるいは半透明の担体シートに印刷インキで図がつけられ、印刷インキが本質的に重合体材料を基礎材料とし、かつ、可塑剤を含有するものであり、薄い一層の感圧接着剤が前記図と合致して、あるいは、印刷した側の担体シートの印刷域の全体にわたってつけられたものであること(1頁右欄33行ないし2頁左欄7行ほか)等が開示されている。

  そこで本件発明と引用例1記載の発明とを対比すると、本件発明が、離型性を有する剥離シートAの離型性保有面に、接着剤による所定のパターンの印刷層Bを設け、ついで該印刷層B上に、印刷層Bと実質状同一のパターンを描くようにインクによる単色又は多色の印刷層Cを設けているのに対して、引用例1記載の発明は、担体シート上に印刷インキの図を形成し、その上から感圧接着剤を形成したものであり、層構成の形成順序が相違する。してみれば、その余についてみるまでもなく、本件発明が引用例1記載の発明であるとすることはできない。

  引用例2には、「剥離性及び印刷適性をもつ合成紙からなる台紙1上に、絵柄の印刷面積にほぼ合わせた透明合成樹脂系フイルムの保護層2を設け、その保護層2上に転写絵柄の印刷層3と、保護層2の形成面積に合致させた感圧性接着剤層4を形成し、さらに台紙1との間で前記各層2、3、4を挟む可剥紙5を前記接着剤層により接着して重ねたことを特徴とする感圧接着転写紙」が記載されている(別紙図面B参照)。

  しかし、引用例2記載のものは、台紙上に保護層を設け、その上に印刷層、接着剤層を形成し、さらに可剥紙を重ねたものであり、本件発明とは層構成の形成順序が相違する。してみれば、その余についてみるまでもなく、本件発明が引用例2記載の発明であるとすることはできない。

  引用例3には、その特許請求の範囲2に、「離型シート(6)の表面に熱可塑性樹脂を印刷塗布して適宜模様の溶着フイルム層(7)を形成し、更に該溶着フイルム層(7)の表面に塗料を同じく印刷塗布して装飾層(8)を積層し、吸湿性の転写シート(10)に熱可塑性樹脂を印刷塗布して点状又は線状の転着層(11)を形成し、該転着層(11)を前記剥離シート(6)の装飾層(8)に重ね合せ、転写シート(10)を離型シート(6)に熱プレスして前記装飾層(8)及び溶着フイルム層(7)を離型シート(6)より転写シート(10)に転写することを特徴とする転写ワッペンの製造方法」が記載されている(別紙図面C参照)。

  しかし、この製造方法によって製造された転写ワッペンは、その製造及び被写体への転写工程に関する説明(2頁右上欄15行ないし左下欄17行、第4〜6図)からみて、転写シート(10)を線状または点状の転着層(11)を介して装飾層(8)に重ね合せるとともに、熱プレスによって溶着フイルム層(7)を離型シート(6)より剥離し、その後被写体(12)に接当して熱プレスによって再転写されるものであって、本件発明の剥離シートを有していないと認められるから、その余についてみるまでもなく、本件発明が引用例3記載の発明であるとすることはできない。

  したがって、原告主張の特許無効理由1は理由がない。

  〈2〉 特許無効理由2について

  引用例3に記載された転写ワッペンは、前記のとおり、熱プレスによって溶着フイルム層(7)を離型シート(6)より剥離したものであって、本件発明の剥離シートを有していないと認められるから、その余についてみるまでもなく、本件発明が引用例3記載の発明であるとすることはできない。

  したがって、原告主張の特許無効理由2は理由がない。

  〈3〉 特許無効理由3について

  本件発明は、明細書及び図面の記載を考慮すると、従来の水転写タイプやアルコール転写タイプの転写印刷紙は、仕上がりが美麗でない、印刷を逆刷りで行わなければならないので誤認するおそれがあるなどの問題点があり、またステッカーにより被写体にパターンを付するものは、金型が必要で生産性が劣るほか、小さな文字や複雑な文字には適用できないなどの問題点があるので、このような問題点を解決することを発明の課題とするものであって、本件発明の構成全体が一体となって、被写体に直刷りしたのと同様のパターンをワンタッチで転写印刷できる、被写体に貼着後直ちに保護シートの剥離除去ができるので転写に要する時間が極めて短くてすみ、しかも転写操作に熟練を要しない、接着剤による印刷層とインクまたは塗料による印刷層とが実質状同一パターンであるので接着剤のはみ出しがない、事前に転写印刷シートや被写体を水やアルコールで湿潤させておく必要がないので水やアルコールに冒される被写体にも適用できる、印刷によって構成された層のみが転写されるため屋外耐候性、柔軟性、耐熱性など被写体の要求性能に応じた設計が可能となる、印刷のみによって得られた転写印刷シートであるため打ち抜きなど余分なスペースを必要とせず、製法の簡素化、デザインの優位性がある、という効果を奏するものと認められる。

  これに対して、引用例3の転写ワッペンは、前記のとおり、熱プレスによって溶着フイルム層(7)を離型シート(6)より剥離したものであって、本件発明の剥離シートを有しない点で本件発明と構成を異にするものである。また、引用例1記載の転写材料及び引用例2記載の感圧接着転写紙は、前記のとおり、いずれも本件発明とは層構成の形成順序が相違するものであって、発明の基本構成において相違する。

  本件発明は当業者が容易に発明をすることができたという原告の主張は、各引用例記載のものを基礎として本件発明に容易に到達しえたとする論理付けが必ずしも明確でないが、引用例1、引用例2及び引用例3には、本件発明の技術的課題及びこの課題を解決するために採択した構成が開示されているとはいえず、構成全体が一体となって奏せられる効果も、各引用例に、昭和53年実用新案出願公告第22006号公報あるいは昭和54年特許出願公告第31405号公報を併せ考慮しても、当業者が容易に予測しえたものとはいえない。

  そうすると、本件発明が、各引用例記載のものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたとすることはできず、したがって原告主張の特許無効理由3も理由がない。

  〈4〉 以上のとおりであるから、原告が主張する理由及び証拠方法によっては、本件発明の特許を無効にすることはできない。

 4  審決の取消事由

  審決は、本件発明の要旨の認定を誤った結果、本件発明の新規性を肯定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

   (1)  本件発明は「物の発明」であるから、その製造方法は発明の構成要件ではない。現に、本件明細書の発明の詳細な説明には、「本発明の転写印刷シートは、A/B/C/Dの層構成を有するものであり、(中略)通常はAの側から各層を順に形成していくが、最終的にこの層構成が形成されていればよく、その形成順序を限定するものではない」(出願公告公報7欄27行ないし31行)ことが明記されている(もっとも、発明の詳細な説明の上記記載部分は、前記訂正審決によって削除されたが、これによって本件発明が「製造方法が限定された物」に変わったわけではない。)。そして、本件明細書には、製造方法を限定することの目的、あるいは、製造方法を限定することによって奏される作用効果は、全く記載されていない。

  したがって、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。」とした審決の判断は誤りである。

   (2)  そして、引用例1記載の転写材料は、本件発明の剥離シートAに当たる「挿入用紙」(2頁左欄32行)、本件発明の印刷層Bに当たる「図を覆っている或は図と実質的に符号している感圧性接着剤」、本件発明の印刷層Cに当たる「印刷インキの図」、本件発明の保護シートDに当たる「担体シート」を具備している。

  また、引用例2記載の感圧接着転写紙は、本件発明の剥離シートAに当たる「可剥紙5」、本件発明の印刷層Bに当たる「感圧性接着剤層4」、本件発明の印刷層Cに当たる「転写絵柄の印刷層3」、本件発明の保護シートDに当たる「台紙1」を具備している。

  さらに、引用例3記載の製造方法によって製造された転写ワッペンは、本件発明の剥離シートAに当たる「離型シート(6)」、本件発明の印刷層Bに当たる「溶着フイルム層(7)」、本件発明の印刷層Cに当たる「装飾層(8)」、本件発明の保護シートDに当たる「転写シート(10)」を具備している。この点について、審決は、引用例3記載の転写ワッペンは「本件発明の剥離シートを有していない」と認定しているが、上記「離型シート(6)」が、転写ワッペンを構成するものであり、ワッペンを衣服等に貼着するに先立って剥離されるものであるから、本件発明の剥離シートAに相当することに疑問の余地はない。

  したがって、引用例1ないし3に記載されているものは、いずれも本件発明と同一の構成を有するから、特許無効理由1は理由がないとした審決の判断は、誤りである。

   (3)  なお、仮に、層構造の形成順序が本件発明の構成要件であるとしても、引用例3記載の転写ワッペンの製造方法は、本件発明の剥離シートAに当たる「離型性シート(6)」、本件発明の印刷層Bに当たる「溶着フイルム層(7)」、本件発明の印刷層Cに当たる「装飾層(8)」、本件発明の保護シートDに当たる「転写シート(10)」を、この順序で形成するものであるから、本件発明の構成と同一であることは明らかである。

第3  請求原因の認否及び被告の主張

  請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。

 1  原告は、本件発明は「物の発明」であるからその製造方法は発明の構成要件ではないと主張する。

  しかしながら、特許請求の範囲のカテゴリーを「物」、「方法」あるいは「物を生産する方法」のいずれとするかは、出願人が自由に決めうることであって、カテゴリーによって発明の要旨が決定されるわけではない。発明の要旨は、発明の構成に欠くことができない事項として特許請求の範囲に記載された技術的事項に基づいて決定すべきものであるから、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。」とした審決の判断に、何ら誤りはない。

  特に、印刷とは液状のインクによって形成したミクロン単位の極薄の液膜パターンを乾燥あるいは硬化させて被膜パターンとすることであって、本件発明の転写印刷シートの層構成も、その要旨とする形成順序によらなければ得ることができないから、原告の前記主張は失当である。

 2  層構成の形成順序が本件発明の必須要件である以上、引用例1ないし3記載のものの構成が、いずれも本件発明の構成と異なることは審決の認定判断のとおりである。

  なお、原告は、引用例3記載の離型シート(6)が本件発明の剥離シートAに相当することに疑問の余地はないと主張する。

  しかしながら、引用例3記載の離型シート(6)は転写ワッペンの製造工程中に除去されるものであり、離型シート(6)を除去したものが引用例3記載の発明が目的とする転写ワッペンであるから、引用例3記載の転写ワッペンは「本件発明の剥離シートを有していない」とした審決の認定に誤りはない。

第4  証拠関係

  証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第1  請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本件発明の特許請求の範囲)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。

 1  成立に争いのない甲第2号証(特許出願公告公報)によれば、本件明細書には、本件発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が次のように記載されていることが認められる(別紙図面A参照)。

   (1)  技術的課題(目的)

  本件発明は、被写体に、直刷りした場合と同様のパターンをワンタッチで転写印刷しうる転写印刷シートに関する(1欄12行ないし14行)。

  従来、転写印刷紙としては水転写タイプのものとアルコール転写タイプのものが知られ(1欄16行、17行)、転写印刷紙ではないが、ステッカーも被写体にパターンを付する目的で広く普及しており(2欄16行、17行)、このステッカーを発展させたものに抜き文字ステッカーがある(3欄2行、3行)。

  しかし、水転写タイプの転写印刷紙は、転写紙または印刷層のスライド操作に際し、印刷膜が崩れるおそれがある等の問題点があり(3欄15行ないし26行)、アルコール転写タイプの転写印刷紙は、被写体と一定強度以上の接着力を有するようになるまでに時間が長くかかること等の問題点がある(3欄27行ないし37行)。また、通常のステッカーは、印刷パターンより広い面積のシートが残るので美麗さを欠くこと等の問題点があり(3欄38行ないし42行)、抜き文字ステッカーは、文字抜きを行う金型が多数必要となるので金型代がかさむこと等の問題点がある(3欄42行ないし4欄4行)。

  本件発明は、このような従来の問題点を根本的に解決することを技術的課題(目的)とするものである(4欄5行、6行)。

   (2)  構成

  上記課題を解決するために、本件発明は、その特許請求の範囲記載の構成を採用したものである(1欄2行ないし9行)。

  本件発明は、剥離シートAの離型性保有面に、まず接着剤による所定のパターン(文字、図形、模様など)の印刷層Bを設け(4欄34行ないし37行)、その接着剤印刷層B上に、それと実質状同一パターンを描くようにインクによる単色または多色の印刷層Cを設ける(6欄41行ないし43行)。そして、印刷層Cの上から、上記パターンよりも広い面積を覆う剥離可能な保護シートDを貼付等の手段により設けることによって、転写印刷シートの製造が完了する(7欄12行ないし16行)。

  本件発明の転写印刷シートはA/B/C/Dの層構成を有するものであり、通常はAの側から各層を順に形成していくが、最終的にこの層構成が形成されていればよく、その形成順序を限定するものではない(7欄27行ないし31行。ただし、成立に争いのない甲第3号証(審決)によれば、上記記載部分を削除する訂正を認める審決が、平成7年3月15日付けでなされたことが認められる。)。

   (3)  作用効果

  本件発明によれば、〈1〉 被写体にワンタッチで転写印刷できる、〈2〉 転写に要する時間が極めて短くてすみ、しかも転写操作に熟練を要しない、〈3〉 接着剤のはみ出しがない、〈4〉 水やアルコールの冒される被写体にも適用できる、〈5〉 被写体の要求性能に応じた設計が可能となる、〈6〉 製法の簡素化、デザインの優位性がある等の優れた作用効果が奏される(9欄23行ないし10欄15行)。

 2  本件発明の要旨認定について

  原告は、本件発明は「物の発明」であって、その製造方法は発明の構成要件ではないから、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたものが本件発明の要旨というべきである」とした審決の判断は誤りであると主張し、これに対し、被告は、発明の要旨は、発明の構成に欠くことができない事項として特許請求の範囲に記載された技術的事項に基づいて決定すべきものであるから、審決の上記判断に誤りはない旨主張する。

  特許発明は、「物の発明」と「方法の発明」とに大別される(特許法2条3項等)が、ここに「物の発明」とは、技術的思想の創作が物の形で具体的に表現され、かつ経時的要素を要しないものというべきところ、本件発明は、発明の名称を「転写印刷シート」とするものであること、本件発明の特許請求の範囲には、層の形成順序が記載されているが、特許請求の範囲の記載に前記1認定の本件明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌すると、本件発明は剥離シートA、印刷層B、印刷層C及び保護シートDの4つの構成要素がその順序で配置され層構成を形成している転写印刷シートであり、「物の発明」の範疇に含まれるというべきである。

  ところで、特許発明が特許法29条1項に定める特許要件を具備するかの判断に当たっては、当該発明を同項所定の発明と対比するために当該発明の要旨を認定する必要がある。そして、その要旨の認定は、特許請求の範囲の記載に基づいてなすべきところ、「物の発明」において特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されているときは、その発明は、全体としてみれば、製造方法の如何にかかわらず、最終的に得られた製造物であって、記載された製造方法は、便宜的になされた最終的な製造物を特定する一手段にすぎないというべきである。したがって、当該発明の要旨は、特許請求の範囲に記載された製造方法によって製造された物に限定されないことが明らかである。

  これを本件発明についてみると、その特許請求の範囲には、前記のとおり層構成の形成順序(すなわち、離型性シートAの特定面に、印刷層B、印刷層C及び保護シートDを、この順序で設けるべきこと)が記載されているが、この形成順序を「物の発明」である本件発明の必須要件と解することはできず、本件発明の要旨は、あくまで、結果として得られる離型性シートA、印刷層B、印刷層C及び保護シートDの4要素が、A/B/C/Dの順序で配置されている転写印刷シートの構造であると解すべきである。本件明細書の発明の詳細な説明に存した「本発明の転写印刷シートは、A/B/C/Dの層構成を有するものであり、(中略)通常はAの側から各層を順に形成していくが、最終的にこの層構成が形成されていればよく、その形成順序を限定するものではない」(特許出願公告公報7欄27行ないし31行)という記載を削除する訂正を認める審決がなされたことは、上記判断を左右するものでない。

  したがって、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。」とした審決の判断は、明らかに誤りである。

 3  本件発明と引用例1記載の発明との対比について

  成立に争いのない甲第4号証によれば、引用例1記載の発明は名称を「転写材料」とする発明であって、引用例1には、

   a  「本発明は(中略)張力をかけたときには容易に伸張することができる透明或は半透明の1枚のフイルムから成立つ担体シートから成り、この担体シートには印刷インキで図がつけられ、(中略)薄い一層の感圧接着剤が前記図と合致して或は印刷した側の担体シートの印刷域の全体にわたってつけられており、前記図と担体シートとの間の接着は担体シートの範囲でこれを局部的に伸長することにより弱めることができ、感圧接着剤は50lb/in2下の圧力の下では殆んど接着性がない転写材料を提供するものである。」(1頁右欄33行ないし2頁左欄7行)

   b  「本発明転写材料はかなりの圧力がかけられない限りその感圧接着剤がこれと接触状態にある他のものへくっつかないので取扱い易い。従って接着面に半永久的に貼りつけられた保護用シートを用意する必要はない。実際には転写材料に例えばシリコン処理をした挿入用紙を間にはさむことが望ましいが、この紙は接着層に対してかたく接着することはなくそれ自身の重みではなれるのが普通である。」(2頁左欄28行ないし34行)

   c  「使用したいときにこれを転写すべき面へ当てがって担体の裏から50lb/in2以上の圧力をかけるだけで済む。このようにすると図は支持体シートからはなれて前記面へ接着する。」(2頁左欄38行ないし41行)

   d  「接着剤を印刷図の上にだけつけ、且これと正しく整合をとってつければ、接着剤が転写された図にふちを形成し汚れを吸収するような危険はない。」(2頁左欄45行ないし47行)

  と記載されていることが認められる。

  上記のような引用例1の記載事項と本件発明とを対比してみると、引用例1記載の「担体シート」は、a及びcの記載から本件発明の「保護シートD」に当たり、引用例1記載の「図」は、aに記載されているようにインキで印刷されるものであるから本件発明の「インクによる印刷層C」に当たることが明らかであるし、引用例1記載の「感圧接着剤」が、a及びdの記載から本件発明の「接着剤による印刷層B」に当たることも明らかである。そして、上記の記載を総合すれば、引用例1記載の転写材料は、「担体シート」、「図」及び「感圧接着剤」を、この順序で配置してなるものであって、このことは、前掲甲第4号証によって認められる「張力を与えると容易に延伸できる透明又は半透明なフイルムのシートよりなる担体シートとこの担体シートにより保有された印刷インキの図(中略)と、前記担体シート上の被覆として適用された而も前記図を覆っている或は図と実質的に符合している感圧接着剤(中略)とよりなり」(4頁左欄12行ないし右欄7行)という特許請求の範囲の記載からも疑いの余地がないところである。

  さらに、前記bに記載されている「挿入用紙」は、「感圧接着剤がこれと接触状態にある他のものへくっつ」くことを防止するためのものであり、「この紙は接着層に対してかたく接着することはな」いものであるから、本願発明の「離型シートA」に相当するということができる。

  そうすると、引用例1には、「担体シート」、「図」、「感圧接着剤」及び「挿入用紙」を、この順序で配置した転写材料の構成が開示されていることになるが、この構成は、本件発明が要旨とする「離型シートA」、「接着剤による印刷層B」、「インクによる印刷層C」及び「保護シートD」をこの順序で配置する構成を、反対側から表したものにほかならず、本件発明の構成と引用例1に開示されている構成とが同一であることは明らかである。

 4  したがって、層構成の形成順序が本件発明の必須要件であることを前提として、本件発明は引用例1記載の発明であるとすることはできないとした審決の認定判断は、誤りである。

 5  以上のとおりであるから、その余の審決取消事由について検討するまでもなく、原告の主張する理由及び証拠方法によっては本件発明の特許を無効にすることはできないとした審決には、その結論に影響を及ぼすことが明らかな違法があり、これを維持することはできない。

第3  よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は正当であるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

 (裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)

 

 

別紙図面 A

 第1図は剥離シートA上に接着剤による所定のパターンの印刷層Bを設けた状態を示した模式断面図である。第2図は本発明の転写印刷シートの一例を示した一部切欠き斜視図、第3図はその模式断面図、第4図はその分解図である。

 A……離型性を有する剥離シート、B……接着剤による印刷層、C……インクによる印刷層、D……保護シート。

〈省略〉

別紙図面 B

1……台紙、2……保護層、3……転写絵柄の印刷層、4……感圧性接着剤層、5……可剥紙

〈省略〉

別紙図面 C

6……離型シート、7……溶着フイルム層、8……装飾層9……植毛、10……転写シート、11……転写シート、12……被写体

〈省略〉

8. 侵害訴訟の最判

[以下が、千葉補足意見の言及する侵害訴訟の最判、その書誌情報は次の通り:
裁判年月日 平成10年11月10日 裁判所名 最高裁第三小法廷 裁判区分 判決
事件番号 平10(オ)1579号
事件名 特許権に基づく不当利得返還請求事件
裁判結果 棄却 上訴等 確定 文献番号 1998WLJPCA11106010]

島根県出雲市今市町一四三三番地 
上告人  学校法人星野学園 
右代表者理事  星野實 

東京都品川区西五反田八丁目八番二〇号 
被上告人  株式会社 ダーバン 
右代表者代表取締役  水野俊朗 

 右当事者間の広島高等裁判所松江支部平成八年(ネ)第一六号特許権に基づく不当利得返還請求事件について、同裁判所が平成一〇年四月二四日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。

理由

 上告人の上告理由について

 物の発明における特許請求の範囲に当該物の形状を特定するための作図法が記載されている場合には、右作図法により得られる形状と同一の形状を具備することが特許発明の技術的範囲に属するための要件となるのであり、右作図法に基づいて製造されていることが要件となるものではない。これを本件についてみると、被上告人の製造販売する製品が右作図法により得られる形状と同一の形状を有することにつき主張立証がないから、被上告人が右製品を製造販売する行為が上告人の本件特許権を侵害しないとする原審の判断は、結論において是認することができる。所論は違憲をも主張するが、その実質は単なる法令違背の主張にすぎない。論旨はいずれも採用することができない。

 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 園部逸夫 裁判官 尾崎行信 裁判官 元原利文 裁判官 金谷利廣)

(平成一〇年(オ)第一五七九号 上告人 学校法人星野学園)

9. 侵害訴訟の上告理由

第一、原審判決には民事訴訟法第三一二条第二項第六号記載の理由不備、理由齟齬の違法がある。その詳細は以下に述べるとおりである。

 一、従来技術と従来の衿型、「衿腰に切り替えのある衿」について

  本件特許発明は折れ衿に係わる。折れ衿とは、継ぎ目のない一枚の布で作られた衿が、着用時の折り目線(衿返り線)を境界線として衿腰部位と衿巾部位に別れる衿である。該衿折り返り線は、前身ラペル部分の折返り線と、後中心での折り目線の接線部分とを滑らかな曲線で結んで構成され、型紙では、該ラペル折り返り線と、衿折り返り線の後中心での接線との交点を「Pk点(カーブポイント)」といい、前端からPk点を経て後中心に至る折れ線の、Pk点での折れ角を「衿のねかせ角」という。
  衿の型紙は、ねかせ角さえ定まれば、衿返り折れ線が定まり、これを滑らかな曲線で結んで、衿折り返り(曲)線が得られ、これに平行に衿腰寸の間隔で衿付け線、衿巾寸の間隔で衿外回り線を描くことで衿の元型が得られ、この衿外回り線にキザミ衿ヘチマ衿等のデザインを施すことで折れ衿の型紙が得られる。従って、衿の外観を与える衿外回りも輪郭と衿腰衿巾の各寸法が定まっているときは、衿の形状を決定するのは「衿のねかせ角」のみである。
  背広衿の場合、従来の折れ衿のねかせ角ならば12度±2度であるが、本件特許発明の衿巾のねかせ角では30度以上となる。
  ねかせ角12度の従来からある折れ衿の型紙は、衿付け線と衿外回り線に沿って布地を伸ばし、折り返り線を縮めることによって、人体頚部によくフィットさせ身頃に縫合されているが、ねかせ角30度以上の本件特許発明の衿は、衿腰、衿幅のそれぞれが人体頚部にフィットした型紙であるため、熟練した職人でなくても正確に縫合するだけで折れ衿の製品を得ることが出来る。
  このように衿の外観が同一で、区別が付けにくいにもかかわらず縫製工程が全く異なる別種の衿となる原因はねかせ角の相違にある。本件特許発明は、従来の衿を経験に頼らず科学的に得る方法の発明ではなく、従来なかった衿型を創作する物の発明である。新規な発明としての衿腰に切替えのある衿と従来からある衿腰に切替えのある衿とを見分けるための事項が特許法第36条に従って記載される「特許請求の範囲」である。

 二、本件特許発明の衿型、「請求の範囲」と目的「技術的範囲」

  なお、原審判決で本件特許請求の範囲の要約を「本件作図法により得られる衿」としているが、簡略が過ぎ論点が見えない。そこで、本件作図法は
  「ねかせ角を“衿腰半径で弧長tg+tYcmに取る”こと」に特徴があるから、「ねかせ角を“衿腰半径で弧長tg+tYcmに取る”作図により得られる衿」を請求の範囲の要約とする。

 三、「範囲と判決」その1

  1、昭和49年(ワ)第38号特許権侵害行為差止等請求事件判決(昭和55年4月30日)は、本件「不当利得返還請求事件原審訴訟」に、被告から提出された本件特許発明の技術的範囲の認定を含む裁判の判決である。本件特許発明を公知発明なりとした事実誤認による判決である。
  (以下、前回判決、前回の裁判という)
  前回判決において理由の「二 本件特許発明の要部及が作用効果」は三節に分かれている、
  第一節で請求の範囲の記載にa、b、c、、、と文節名をつけ
  第二節前段「・・弧度の原理を利用することにより、、、何でもズバリ中間技術を労せず作図して求める・・、、上記の目的を果たすために衿腰に切り替えのある衿を提供」、
  第二節後段「もっとも成立に争いのない乙第二ないし七号証・・・によれば、『衿腰に切り替えのある衿』そのものは、本件特許出願(昭和44年1月15日)前日本国内ですでに製造販売され、その作図方法も何例か雑誌等に公表されており、衿腰に切替えを設ける必要性又は目的をも含めて公知のことに属していた」と認め、
  「3、以上の事実を総合すると」以下で、「本件特許発明の特徴は、「弧度の原理」を利用して衿腰に切り替えのある衿を作図することにあり。・・・f、g、h、及びmの工程が本件特許発明の要部(中心的部分)をなす」としている。
  「本件特許発明は、一応「物」の発明に属するけれども、右にみたところからも明らかなように、弧度の原理を利用した特定の作図法によって限定された衿腰に切り替えのある衿と理解すべきであり、その実質はむしろ「物を生産する方法」の発明と同視しうるものというべきである。」としている。

  2、被告の提出したこの判決には次のごとき重大な事実誤認がある。

  (一)特許発明においては、請求の範囲に記載される事項(要件)を備えたものが発明(特許法第36条)であるから、該発明が公知か否かは、「請求の範囲」に記載される要件を備えた発明を対象として論じられなければならない。
  判決は、対象となる発明を確認しないで公知なりと判断し、認定した後で「請求の範囲」の記載事項から発明の要件を定めるという本末転倒した判断をしている。
  (二)しかも該判決は、何が対象となる発明かを未知のまま、この発明と同一名称のもの、及び、必要性と目的が公知であることを理由として、発明も公知であると認定している。このように発明の目的及び必要性が公知であることから、即、発明(必要とする目的物)も公知と言えるのは、発明が容易な場合に成り立つことであり、本発明の特許性を認めるならば、発明が容易な場合(進歩性がない)とする前提は成り立たない。
  請求の範囲に記載された物の公知が示されないかぎり、公知との認定は出来ない。判決は、一方では特許性(新規性、進歩性、有用性)を認められた発明と認定しながら、他方で、進歩性を否定した前提で成り立つ公知の認定をしているところが重大な事実の誤認である。
  (三)本件特許発明は算出した“ねかせ角”でズバリ目的の衿型を得ているのに、判決には“衿腰の切り替え”でズバリ目的の衿型が得られるとの判断で判決している。公知の判断をするに当たっても、請求の範囲に記載されたねかせ角には眼を向けず、切り替えの存在にだけ着目して公知と認定している。これは重大な事実誤認である。
  本末転倒した構成要件の認定も、発明の特定もなく公知判断をしているのも、全て、この認識の錯誤に起因している。切り替えが要件であるとの認識で判決の流れを見ると、正当な順序で論じられていることが解る。しかし、最初に請求の範囲から発明を特定していれば、このような結論はでなかった。
  (四)本件特許発明の効果も、算出されたねかせ角の定める衿型にあり、単に切り替えることだけでは得られない。本末転倒した判断とはいえ、f、g、h、の工程が中心的部分と述べているところは、文節名に対応する請求の範囲の記載は、fは衿腰半径の弧線、gは弧長をtg+tYcmにとる、hはねかせ角の方向、であるから、請求の範囲の要約「ねかせ角を“衿腰半径で弧長tg+tYcmに取る”作図により得られる衿」と一致している。
  従って、もし、ねかせ角の弧長がtg+tYcmとなる衿が公知であれば、本件特許発明が公知ということになるが、被控訴人の提出した証拠にはこのような衿はない。
  前回の裁判において、被告は、該要件の一致を示せない、単に衿腰に切り替えがあるだけの衿(甲第23号証の1)及び、各種作図法を公知例と偽って提出し、しかも、本件特許発明が名称物「衿腰に切り替えのある衿」そのものであるかのごとき証言や、論述を繰り返すことにより、裁判所の判断を誤らせたことは当時の被告準備書面、及び、証拠等をみれば明らかである。
  即ち、被告の態度は、本件特許発明が公知であるというときには、切り替えがあることだけで公知(甲第23号証の1)と言い、被告の製品が属す判断のときは請求の範囲の記載通り(甲第37号証)の厳密な解釈を要求するというように、発明の解釈を二様に使い分けているのである。

 四、「範囲と判決」その2

  昭和52年「審判第15016号無効審判請求事件」昭和57年5月12日審決
  昭和57年「行ケ第155号審決取消事件」平成2年4月27日判決
  前記の事件は、本件特許発明に対し原告全日本紳士服工業組合連合会から出されたものである。前回裁判に被控訴人から公知例として提出された雑誌等に公表された各種「衿腰に切替えのある衿」の作図方法等の存在により、本件特許発明は容易な発明にあたると主張したが、判決で本件特許発明は有効であることが確定している。

 五、「範囲と判決」その3 (本件第一審)

  平成10年ネ第16号「特許権に基づく不当利得返還請求事件」

  原告は、被告ダーバン社のイ号製品は本件特許発明と同一であるとして、無効審判審決を提出し、被告は、イ号製品はダーバン社のロ号作図で製造したものとして、前回裁判の判決を提出した。

  判決は、無効審判の結果にもかかわらず、公知であるからと前回裁判の判決に倣った。

 六、「範囲と判決」その4 (本件控訴審(原審))

  本件控訴審においては、発明が公知であることを前提とするぜんかいの判決と異なり、今回は発明が公知ではないことが明示された裁判である。発明が公知か否かを定めるのは、特許庁審判部、東京高等裁判所の専決事項である。

  しかも、前回裁判の判決が、本件特許発明と同一名称物及び作図法が公知であることをもって本件特許発明を公知と認定するという、錯誤に等しい判断による判決であることが指摘されているのである。

  錯誤の原因が特殊な分野の技術内容に関することであり、被控訴人側の巧妙な陳述によるものとして、致し方無いとしても、今回の裁判においては、本件特許発明と従来技術の解説、前回裁判判決で公知判断法の誤っているところを述べ、本件特許発明が公知でないことを示す審決、並びに、東京高等裁判所の判決を提出している。

  本件控訴審で、控訴人が示した内容の要点は次のとおりである。

  1、被告ダーバン社のイ号製品は本件特許発明と同一である
  2、被告ダーバン社のロ号作図ではイ号製品を製造出来ない
  3、前回の判決は発明と同一名称物が公知だから発明も公知としており、その公知の判断法が根本的に誤っている
  4、前回裁判と条件が異なるためその判例を適用すべきでない

  本件控訴審判決の要点は次のとおりであった。

  1、公知認定による方法要件なし
  2、詳細な説明の解釈から方法を構成要件と見なし、原告の主張は拡張とされた

 七、理由不備、理由の齟齬

  今回の広島高裁松江支部の裁判においては、拡張した請求(請求の範囲の記載通りの範囲ではない)としているのは、重大な誤りである。

  1、判決の「第三 当裁判所の判断 一(争点1)本件作図法によることが、本件特許権の構成要件かについて」の3は五つの部分に分かれており、第二段以降の段に特許法上の誤りや重大な事実の誤認がある。

  第一段の「そこで判断するに」以下で、「発明者は、衿巾のねかせ角が一定の算出角度になる衿腰に切り替えのある衿のすべてについて特許権をとろうと考えていたことが認められる。」

  本件特許請求の範囲を要約すれば 「(折衿の作図で衿のねかせ角“を衿腰半径で弧長tg+tYcmに取る”こと)により得られる 衿腰に切替えのある衿(以下、衿)」と記載されている。従って、該記載に基ずく技術的範囲は「ねかせ角が衿腰半径で弧長がtg+tYcmであるか否か、を見れば足りる」ものである。判決の判断のいう算出角度とは弧度=((tg+tY)/衿腰寸)のことである。

  2、第二段「しかしながら、特許権というものは、発明者の頭の中にあること全てについて与えられるものではなく、特許請求の範囲として記載された技術的思想に対して与えられるものである。特許権の対象は、発明者が何を考えていたかを考察して決定されるのではなく、特許請求の範囲の記載の解釈によって決定されるものである。」としている。

  「特許権というものは、・・・特許請求の範囲として記載された技術的思想に対して与えられる」としてあるが、「特許というものは、・・・」というべきところである。また、「特許請求の範囲として記載された“技術的思想”に対して与えられる」としているが、“思想”が特許になるのではなく、”技術的思想の創作”が特許されるのであり、その創作が物であれば物の発明、方法であれば方法の発明、物を生産する方法であれば物を生産する方法の発明として特許されることとなる。判決の判断は誤りである。

  衿の作図法を「物を生産する方法の発明」として出願することも可能であろうが、本件の場合「衿腰に切り替えのある衿」という「物の発明」として特許を得ている。その請求の範囲には 本件作図法により“得られる衿”と記載されている。

  もし、本件作図法により“得られた衿”と記載すれば、本件作図法により得られたか否かをもって技術的範囲を定めることとなり、実質上、物を生産する方法の発明に等しいのであるが、通常、物としての特許を請求しながら物としての特徴が表れない事項を記載すれば「発明の構成に欠くことの出来ない事項のみ記載すること」を求めている36条5項違反として拒絶される。

  従って、本件作図法により“得られる衿”と記載されていれば、該作図で形成し得る衿であることが要件となり、経歴として本件作図法を経由したか否かは要件とならない記載である。即ち、発明者が得ようと考えた技術的範囲が、正確に請求の範囲の記載となって示されている。

  3、「特許権の対象は、・・・特許請求の範囲の記載の解釈によって決定されるもの」とあるが、判決の言い方では、発明者が得ようと考えた技術的範囲である特許請求の範囲の記載は、解釈さえ付けばどのように決定しても良いと言われているように聞こえる。勝手に解釈して良いのではなく、70条に定められるごとく「特許発明の技術的範囲は、特許請求の範囲の記載に基ずいて定めなけねばならない」とされている。

  第三段の「そこで、本件特許権の対象を特定する本件特許請求の範囲の記載をみるに、同記載においては、まず、本件作図法の説明がなされ、本件作図法『により得られる衿腰に切り替えのある衿』として、本件作図法によるべきことが明記されていることは当事者間に争いがない。」としているが、とんでもない事実誤認である。

  4、「作図法の説明がなされ」特許請求の範囲には、衿腰に切り替えのある衿について、衿の背骨に相当する衿返り曲線の形状を定めるね かせ角の位置と方向を、位置関係で示されており、位置関係を示すため最も理解し易いのが作図するがごとき順序で指定することであるため、記載となっているのであるから、「作図手順を借りてねかせ角の位置と大きさが定められ」と表現すべきである。

  住所の表示でも、北緯何度東経何度と言ったり、何町何丁目何番地と言ったり、出雲市駅の北口に出て、駅から北に直進、4つ目の信号で国道9号線と交わるから、右折して松江方向に向い、3つ目の信号の左側が郵便局です。というように、道順(方法)を借りて位置を指定することは日常よくあることである。

  方法と見なされた作図手順は、公知公用の位置の指定方法である 方法が記載されているから、直ちに方法を要件としていると断ずるのは早計である。

  5、「・・・として、本件作図法によるべきことが明記され・・」というこの言い回しは、登録されている特許について、事実の変更である。

  “本件作図法によるべきこと”という作図法を義務(要件)とする範囲ではなく
  “本件作図法で得られるもの”として作図法で可能(要件)である範囲となっている。

  敢えて、べきことを用いて表現するならば、請求の範囲には、本件作図法で得られる衿と記載されているのだから、本件作図で得られるべきこと理解すべきである。それを本件作図法によるべきことと短絡して表現するということは、記載事実の変更である。

  つまり、“べきこと”は得られるに結合させ理解しなければ文意に反する。判決の解釈は“尻取り”のごとく、言い換えにより、本件作図が要件となるように文意を変えた表現をしている。

  6、「明記されていることは当事者間に争いがない」

  上記2、の言い換えによる記載事実の変更された表現に争いがないとしているのは、重大な事実誤認である。

  「本件作図法によるべきこと」と明記されていれば方法が要件となるのである。問題は、そのように記載されていないのに、記載されているかのごとく被告が主張している点であり、争点となっている理由なのである。

  判決は、六頁七行目「二、争点」に続く八行目で「1 本件作図法によることが、本件特許権の構成要件か」として、争点であることを明記しながら、記載事実を変更した表現で争いがないとするとは、とんでもないことである。

  第四段の「本件特許権の『発明の詳細な説明』にも、その冒頭で、   『本発明は弧度の性質を利用した衿腰に切り替えのある衿に関するもので、従来の感覚的な工程にたよるしか方法のなかった衿の構成法を作図によって完成させようとするものである。』と述べたうえで、作図方法について詳細な説明がなされている。(甲二)」とし、第五段で「とすれば、本件作図法によることは、『衿腰に切り替えのある衿』を限定する本件特許権の構成要件であると解する他はない。」と述べている。   7、特許法第36条第3項によれば、「第二項第三号の発明の詳細な説明には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果を記載しなければならない。」とされ、また、同第4項には、「第二項第四号の特許請求の範囲には、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことのできない事項のみを記載しなければならない。」とされており、「詳細な説明」で発明の構成として記載される事項は、技術者に理解するために必要な事項を網羅的に記載されることを禁じられているわけではない。説明のために網羅的に記載された構成の中から、発明の構成に欠くことのできない事項のみを選定して記載されているのが「請求の範囲」である。   従って、第70条「特許発明の技術的範囲は、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基いて定めなければならない。」とされているのであり、判決のごとく「詳細な説明」に記載されているから構成要件と断ずるのは見当違いである。   審査手続き関する措置(昭和43年1月15日「日本発明新聞」掲載)   {「請求の範囲」と「詳細な説明」との関連よりみた明細書の不備について}によれば、「請求の範囲」には方法または物のいずれか一方の発明に関する記載があり、「詳細な説明」には方法と物との両方に関する記載があっても、それぞれ方法または物の発明として取り扱う。   8、無効審判の審決では、前回裁判に被控訴人が示した公知技術にたいしても、本件特許発明は有効であることが示されている また、前回の判決が、事実誤認から公知判断を誤っていることが明らかな以上、判決に瑕疵のあることが示されているのであり、また、当裁判には、被控訴人からも本件特許発明の特許性(新規性)を否定する新たな公知例も示されていないのであるから、公知技術の存在を前提とする前回判決は、前提条件が異なるから判例とはならない。   今回の裁判において本件特許発明が公知であるという判断が姿を消していることは、原告の主張を理解いただけた点として安堵しているところである。   しかし、判決は、本件特許発明の請求の範囲に「得られる衿」と記載されていると認めているにもかかわらず、四、「事実の誤認」に述べるごとく、請求の範囲を意図的に「得られた衿」と変更した解釈をしたり、他方で詳細な説明や、技術思想から方法も要件であるとしたりしている、即ち、前回判決の結論部分「方法も発明の構成要件とみなした技術的範囲の解釈」を適用するためとしか考えようがない解釈をしている。   70条に従って解釈された原告の本件特許発明の技術的範囲が、拡張した請求に当たるとの判決は、特許の基本的権利、純粋の権利を無視するものとなっている。請求の範囲に記載されたものか特許の技術的範囲であり、方法要件がなければ原告の主張は拡張ではない。  六、憲法第三二条の裁判を受ける権利の保障と実質的に没却するものである。   以上で判る通り、事件1で公知判断方法の誤ったために得られた結論、本件特許発明が「方法も要件とする発明とみなすべきである」という結論部分はそのまま踏襲されているため、前記に示すごとき、記載事実の変更解釈、70条違反してでもこの結論に従う義務が負わされ、原告に不当な不利益を与えている。   本件特許発明によって化繊が折れ衿に利用できる道が拓かれたたという歴史的実績を有する発明なのである。正当な理由もなく誤認により公知と認定されたのである。しかも、それによって今回、またもや、発明無効に等しい判決を下されている。一方では、特許として公開し権利を登録させながら、他方では、誤っていることが明らかとなってもなお判例にたより、理由の無いまま、方法要件のある物の発明としての認定を残してその正当な権利の行使が出来ないまま放置されており、特許権そのものの効力が失われたにひとしい状態となっている。法のもとに平等でない。   前回判決を機械的適用では、被告に製造方法の開示義務がないので、被告はいくら嘘を言っても通る。控訴人の知り得ることではない。即ち、幾ら裁判を繰り返しても方法を示せない限り、答えは一つと言われているに等しい、裁判を受ける権利を喪失させられたに等しく憲法第三二条に反する。   イ号製品が「請求の範囲記載の“作図で得られる”衿」であるという事実が示されているにもかかわらず、「請求の範囲記載の“作図で得られた”衿」であることが示せないことで特許侵害があっても侵害とならない。嘘の尽き放題である。裁判所は初期の判断を誤ったため自縄自縛の判決をしたことになるのである。   製造方法について、虚偽のあることが明らかな以上、この判決は正義に反する。  七、本件は次に述べるとおり適切な解決がなされるべきである。   本件は1の再審ではないので、公知判断の誤りの訂正はできないであろうが、前回判決と条件がことなるから、結論を採用すべきでないとするか、瑕疵があっても前回判決を無視出来ないのであれば、前回判決は「方法も要件と見なすべき」に続けて「本件特許発明は物を生産する方法の発明と同視し得るもの」としているのであるから、物を生産する方法の発明に係わる特許法の各条項を適用すべきである。特に104条を適用することにより失わせた権利を回復すべきである。   特許法第百四条 物を生産する方法の発明について特許されている場合において、その物が特許出願前に日本国内において公然知られた物でないときは、その物と同一の物は、その方法により生産したものと推定する。   イ号作図でしか得られない製品を所持している被告がロ号作図であると主張するだけでそれが偽りである証拠が示されていても見逃される。このような、ことの当否よりも判例にたよる判決は、司法に頼るものにとっては耐え難いものである。 第二、以上述べた理由により、原審判決を破棄し、さらに相当な判決が下されなければ著しく正義に反するといわなければならない。      以上

10. 侵害訴訟の原審(高裁判決)

裁判年月日 平成10年 4月24日 裁判所名 広島高裁松江支部 裁判区分 判決
事件番号 平8(ネ)16号
事件名 特許権に基づく不当利得返還請求控訴事件
裁判結果 棄却 上訴等 上告 文献番号 1998WLJPCA04246008

島根県出雲市令市町一四三三番地 
控訴人 学校法人星野学園 
右代表者理事 星野實 
右訴訟代理人弁護士 浅田憲三

東京都品川区西五反田八丁目八番二〇号 
被控訴人 株式会社ダーバン 
右代表者代表取締役 水野俊朗 
右訴訟代理人弁護士 山本忠雄 
同 池田崇志 

主文

一 本件控訴を棄却する。
二 控訴人の当審で拡張した請求を棄却する。
三 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一 申立て

 一 控訴の趣旨
  1 原判決を取り消す。
  2 被控訴人は、控訴人に対し、金五一七五万円及びこれに対する平成六年四月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
  (控訴人は、当審において、従前、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成六年四月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員としていた一部請求額を、右のとおり拡張した。)
  3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
  4 仮執行宣言

 二 控訴の趣旨に対する答弁
  主文同旨

第二 事案の概要

 一 本件の経緯

  1 以下の事実は当事者間に争いがない。

  控訴人は、発明の名称を「衿腰に切替えのある衿」とする特許権(昭和四一年一月一五日出願、昭和四七年一一月七日出願公告、昭和四八年五月二四日設定登録、特許番号第六九〇八六八号。以下「本件特許権」という。)を、その存続期間が満了した昭和六一年一月一五日まで有していた。

  本件特許権の特許請求の範囲(以下「本件特許請求の範囲」という。)は、原判決別紙(一)及び附属図面記載のとおりである。

  2 控訴人は、次のとおり主張し、本件訴訟に及んだ。

  〈1〉 本件特許権は物の発明に関するものであり、作図法の如何を問わず、衿腰に切替えのある衿において、衿の寝かせ角が肩上の衿の断面図から算出される一定の角度に一致するものは全てその技術的範囲に属する。
  〈2〉 被控訴人は、その展開図が原判決別紙(二)の各図面記載のようになる衿腰に切替えのある衿(以下「イ号製品」という。)を具えた紳士服を、遅くとも昭和五九年三月一日から昭和六一年一月一五日までの間、業として製造販売した。
  〈3〉 イ号製品は右〈1〉の要件を具備するから、被控訴人は右〈2〉の期間、控訴人に対して実施料を支払うべきであった。しかし、被控訴人はこれを支払わず、イ号製品を金二〇〇億円分製造販売し、三パーセントの実施料相当額金六億円を法律上の原因なく利得し、控訴人はこれにより同額の損失を被った。
  〈4〉 よって、控訴人は被控訴人に対し、不当利得返還請求権に基づき、不当利得金六億円の内金五一七五万円及びこれに対する訴状訂正申立書送達の日の翌日である平成六年四月二九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

  3 これに対し、被控訴人は、次のとおり反論した。

  〈1〉 本件特許権は、本件特許請求の範囲に記載された作図方法(以下「本件作図法」という。)によって得られる衿腰に切替えのある衿の発明に対して与えられたものであるから、本件作図法によることが必須の要件である。
  〈2〉 被控訴人は、衿腰に切替えのある衿を具えた紳士服を製造販売してはいるが、本件作図法を一切用いていない。したがって、被控訴人が控訴人の特許権を侵害しているはずはない。

 二 争点

  1 本件作図法によることが、本件特許権の構成要件か。
  2 被控訴人は、本件特許権を侵害したか。

第三 当裁判所の判断

 一(争点1)本件作図法によることが、本件特許権の構成要件かについて

  1 控訴人は、次のとおり主張する。

  〈1〉 本件特許権は物の発明に関するものであり、作図法の如何を問わず、衿腰に切替えのある衿において、衿の寝かせ角が肩上の衿の断面図から算出される一定の角度に一致するものは全てその技術的範囲に属する。
  〈2〉 本件作図法は本件特許権の衿の寝かせ角を説明するものに過ぎず、本件作図法によることは本件特許権の構成要件ではない。

  2 これに対し、被控訴人は、本件特許権は、本件作図法によって得られる衿腰に切替えのある衿の発明に対して与えられたものであるから、本件作図法によることが構成要件であり、本件特許権は、この作図法によって得られるものに限定されていると反論する。

  3 そこで判断するに、証人星野任思の証言によれば、本件特許権の出願の際に発明者が創作した衿腰に切替えのある衿(以下「本件創作衿」という。)は、衿幅の寝かせ角が三〇度前後であって、人間の頸部にフィットするものであり、発明者は、その衿自体が従来にない発明であると考えていたことが認められる。そして、同証言によれば、本件創作衿の発明者は、本件創作衿につき、作図方法にとらわれず、衿幅の寝かせ角が一定の算出角度になる衿腰に切替えのある衿の全てについて特許権をとろうと考えていたことが認められる。

  しかしながら、特許権というものは、発明者の頭の中にあること全てについて与えられるものではなく、特許請求の範囲として記載された技術的思想に対して与えられるものである。特許権の対象は、発明者が何を考えていたかを考察して決定されるのではなく、特許請求の範囲の記載の解釈によって決定されるものである。

  そこで、本件特許権の対象を特定する本件特許請求の範囲の記載をみるに、同記載においては、まず、本件作図法の説明がなされ、本件作図法「により得られる衿腰に切替えのある衿」として、本件作図法によるべきことが明記されていることは当事者間に争いがない。

  本件特許権の「発明の詳細な説明」にも、その冒頭で、「本発明は弧度の性質を利用した衿腰に切替えのある衿に関するもので、従来の感覚的な工程にたよるしか方法のなかった衿の構成法を作図によって完成させようとするものである。」と述べたうえで、作図方法について詳細な説明がなされている(甲二)。

  とすれば、本件作図法によることは、「衿腰に切替えのある衿」を限定する本件特許権の構成要件であると解する他はない。

  4 したがって、本件特許権は本件作図法によって得られるものに限定されるから、控訴人の右主張は理由がない。

 二(争点2)被控訴人は、本件特許権を侵害したかについて

  控訴人は、被控訴人が、衿の寝かせ角が肩上の衿の断面図から算出される一定の角度であって、人間の頸部にフィットする衿腰に切替えのある衿を具えた紳士服を業として製造販売して、本件特許権を侵害したと主張する。

  そこで判断するに、被控訴人が、昭和五九年三月一日から昭和六一年一月一五日までの間、衿腰に切替えのある衿を具えた紳士服を業として製造販売したことは当事者間に争いがない。

  しかし、前記認定のとおり、本件特許権は本件作図法によることを構成要件とするものであるところ、本件全証拠によっても、被控訴人が衿腰に切替えのある衿を具えた紳士服を業として製造販売した際に、本件作図法を用いたと認めるに足りない。したがって、控訴人の右主張は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

 三 以上により、控訴人の請求を棄却した原判決は正当であって本件控訴は理由がなく、控訴人の当審で拡張した請求も理由がないから、これらをいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。

  (平成九年一二月一九日口頭弁論終結)

 (裁判官 石田裕一 裁判官 水谷美穂子 裁判長裁判官林泰民は退官のため署名押印することができない。 裁判官 石田裕一)