Last Modified: 2005年7月4日(月)20時46分24秒

キルビー最判後を考える

By 松本直樹
(初出: 秋吉先生喜寿記念論文集
(ウェブページ掲載: 2003年1月3日)

 キルビー最判(最判平成12年4月11日)そのコピー)は、特許が明白無効の場合には特許権に基づく請求が権利の濫用になるとした。これによって特許訴訟の仕組みが米国に極めて近くなった。本稿では、主に米国での議論や裁判例を参考にして、キルビー最判の後の問題を考察する。

1. キルビー最判の意義

1.1 権利濫用としたことの意義

 キルビー最判は、権利濫用といっても、主観的な要件を一切求めていない。ここからは、実質的に特許の有効性自体を判断できるようになったと受け止めざるを得ない。

 主観的要件が無いことに対しては、それを批判する議論も可能ではある。[渋谷]はこの点で「理由付けに甘さ」があるなどと批判し、主観的な要件を取り上げるために差し戻すべきだったとする。権利濫用との用語の一般的な意味からすれば、或る程度までもっともな議論ではある。キルビー最判前の議論でも、たとえば[小池]169頁は、既に権利濫用とする裁判例が散見されるとしながら、権利濫用論の性質から、「単に新規性のない発明」の特許に対して「普遍的に権利濫用論を持ち出す」のには「疑問」がある、としていた。

 しかし現実の最判としては、明白無効のみを要件として権利濫用の判断をしているのであり、それが判例だと言わざるを得ない。また、そうした形での権利濫用というのも、決しておかしいわけではない。[高部]1534頁が、「主観的事情(加害の意思)は必ずしも必要とされて」いないのが「判例理論」である、と説くとおりである。

1.2 実質的には当然無効説

 それでもキルビー最判は、あくまでも権利濫用としたものであって、形式上は直接に無効判断をしたものではない。むしろ、[高部]の強調するように、最判の採用した権利濫用論は当然無効説とはまったく違うとの議論も出来る。しかしこれは、実質的とは言いかねる、形而上学的な議論である。[田村1]が言うように、現実的には、「権利濫用」との言葉が入るという以外に違いは見いだせない。

 結局、実質内容としては、当然無効説に極めて近い、ないしはそのものである。

 もちろん、キルビー最判は抗弁としての無効判断を許容しているだけで、無効との主文があり得るわけではない。これは、特許法178条6項が「審判を請求することができる事項に関する訴えは、審決に対するものでなければ、提起することができない。」と規定していることからも当然であるが、当然無効説という場合にもそもそも抗弁としての無効主張を判断することを考えているのであり、この点でもキルビー最判は同じである(だからこそ同最判の結論が認められ得る)。結局、過去との一定範囲での調整のために「権利濫用」との言葉を入れることにしたものとだけ理解される。

1.3 従来の議論との関係

 キルビー最判の前は、当然無効説は、説得的なところがあるにしても、実務的な意義は疑問と考えざるを得なかった。すなわち、法律に反して特許を認める権限が特許庁にあるわけがなく、そうした意味で文字通りの「公定力」が現行憲法の下で認められるとは思われないが(こうした方向では[君嶋]が精緻な説明を提供している。また[牧野1]もこれに賛成して無効審決を待たずに無効主張が出来るべきであると説いていた)、しかし、無効主張を無効審判のルートに限るという制度設計は許されるはずである。そうした制度を前提とすると、その反射的効果として侵害訴訟では無効主張が出来ないとの「公定力」は否定しがたい。このため、従来の当然無効の議論は、あり得る議論ではあっても、そうでなければならないとの説得力には欠けていたように思われる。

 たとえば[中島]206頁は、「排他的管轄の反射効」としての公定力に言及した上で、その説でも「取り消しうべき瑕疵」が「限度」であり、「無効の瑕疵」については排他的管轄に服さない、等として当然無効説を主張する。その主張はよく分かるものの、論証としては必然的なものではないと言わざるを得なかった。

 ところがキルビー最判では、実質的な結論として無効判断を許容している。形式的には無効判断そのものを認めているわけではないにしても、無効主張を無効審判のルートに限るという制度、は明らかに否定してしまった。そうしてみると、当然無効説の、積極的説得力に欠けるとの難点は、一挙に消え去った。今思えば、かつての当然無効説は、進歩性無しでの無効判断を別扱いにすることを考えるなど(たとえば[田村2])、むしろ日和見的だったとすら感じられる。キルビー最判は、明白を要求するのみで、無効の理由についてなんらの限定も付していない。

 これでも「公定力」を否定していない、というのは([高部]1530頁は「行政行為の公定力を否定するものとはいえない」と説明する)、形式上はあり得る理解であることはもちろんだが、随分と無内容な公定力を想定しての議論であって、疑問である。むしろ、反射効としての公定力をも否定していると見ざるを得ない。無効を主張するのに無効審判による必要が無いようにすることが、判決文自身の明言する同判決の趣旨なのであり、ここからは、反射効による公定力も考えることが出来ない。もちろん同最判は、「特許権は無効審決の確定までは適法かつ有効に存続し、対世的に無効とされるわけではない。」と明言するものではあるが、それでも直接に無効と判断され得るものではあり、その様な意味での「適法かつ有効に存続」に過ぎず、これで本来の意味の公定力が肯定されているとは到底言えない。

1.4 「明らか」の意義とキルビー最判の射程

 さらにそれでも、この判決の意義を限定的に理解することも出来る。最判は「無効理由が存在することが明らか」であることを要件として権利濫用となることを認めたものであるから、この「明らか」の点をもって単なる無効判断を認めているのとは違うとの議論も可能ではある。最判のロジックでは、分割の前後で内容が実質的に同一だったことを前提にしているので、なるほどそれなら無効が明白なケースである。そういう範囲に限るとの理解も可能である。

 しかし、[牧野2]や[高林]の説くように、特別な場合に限定しているとの理解は難しい。日本の民事訴訟における要求証明度には一般的にはこのような段階分けは存在しないからである(もっとも[高林]が、我が国の民事訴訟では「常に確信」が要求されている、としているのには疑問な点もある。確信に達しない場合すべてを証明責任によって決するという意味ならば、それは必ずしも適切ではないだろう)。

 さらに、実際の事案まで考えると、違う見方が合理的である。事案としては、必ずしも特殊に無効が明白という場合ではないと言える。このケースの両発明(分割の前後の)を同一だと理解するのは、技術内容の吟味を必要とし、決して容易ではない。しかも、担当審査官は現に違う見解だったものである。こうした事実からすると、大胆に無効判断することを許したケースとも理解できる。

2. 無効判断の効果とブロンダー事件

 キルビー事件最判により特許の明白無効が侵害訴訟で判断されることになって、すぐさま問題として意識されるのが、その判断の効果である。米国での判例と議論を参考にして考察する。

2.1 米国での無効判断の仕組み

 米国では従来から侵害訴訟での無効判断があり得た。これは、米国特許法282条に明記されているし、歴史の源流(英国における現代的特許制度の成立時)からそうだったと思われる。

 米国特許法282条は、特許の有効性の推定(presumption of validity)を規定する条文であるが、そもそも「推定」であることに加えて、さらにその(2)および(3)で、特許の無効事由が抗弁(defenses)となり得ると明記している。また、この有効性推定の帰結として、成立している特許の無効を主張するについては、明白性の証明基準(clear and convincing evidence)を充足することが求められている。キルビー最判の「明らか」と丁度符合している。証明度についての議論の前提が違うとはいえ、興味深いものがある。証明度については、明白性が要求されるとはいえ、実際的に特に難しいと額面通りに受け止められているわけではない。むしろ、特許商標庁での再審査の方が、これまで手続保障が不十分だったというためもあるが、推定は無いにも拘わらずなかなか無効に出来ないというのが実務的な感覚である。これは日本でも共通した点があるだろう。

 日本と違って、むしろ、裁判所の無効判断ばかりで、無効審判に相当するものが無かった。1977年の再発行制度変更や、81年からの再審査によって、或る程度はこれが出来たが、はなはだ不十分だった。そこで修正の試みが最近なされた(任意的当事者系再審査)。後述する。

2.2 ブロンダー事件

 米国での侵害訴訟における無効判断は、元々は相対効しか持たない。しかし、ブロンダー事件最判(Blonder-Tongue Laboratories v. University Of Illinois Found., 402 U.S. 313 (1971))で、無効と判断する判決の第三者による援用が認められることになったため、無効判断には実質対世的な効果が認められるようになった。無効でないとの判断は現在でも相対効しかないが(事実上の影響力があるのはともかくとして)、無効だとの判断については、後に第三者が援用することが許されるので、一度無効との判断が下されて確定すると、他のものに対する権利行使も出来なくなるのである。

 もっとも、手続保障の要件があり、ブロンダー最判自体では、そうした要件がかなり現実的なもののように書いてある(それによって対世効が否定される可能性が現にあるように書いてある)。しかし現状は、対世効が否定されるような事態は殆ど無いというのが普通の理解と思われる。実例も知られていない。これは、ブロンダー最判が既存のもので、そう考えて当事者も行動するから、後から蒸し返しを許すべき場合というのはなおのこと登場しにくくなっているということだと思われる。すなわち、対世効には強化される循環が存在する。

2.3 キルビー最判の判示

 キルビー事件最判によれば、それに従った侵害訴訟での無効判断が相対効であることは、極めて明らかである。判決文中でもそれを前提とした判示がある。権利濫用ということ自体も、相対効を当然のものとする。

 しかし、実際的にどうなるかは疑問である。日本人のメンタリティや裁判官の均質性などから、一回無効と判断されて確定すると、それを覆すことは極めて難しいのではないだろうか。[高部]1539頁でも、「法律上の効力」を否定した上で、「とはいえ、〜事実上判断が異なる事態が生じることは少ないものと思われる。」と指摘している。実際的には、この「事実」こそが重要になるものと思われる。これはすなわち、ブロンダー最判が無くても、同じことになるということである。

 実際、ブロンダー最判は控訴審レベルで相対立する判決が出たために下された最判であるが、それまでの判例では、相対効だとしつつも、実務的には一度無効と判断された特許が後に有効とされることなどが普通にあったわけでは決してない。日本では、ブロンダー事件のような事案が生じることは予想しがたく、そうした状況が継続すると思われる。これは、事実上の対世効が定着してしまうということである。

2.4 無効主張の場面として侵害訴訟が重要になる

 これは多分に主観的で実証の困難な話であるが、筆者は、一旦成立した特許権を無効審判によって無効とするのはかなり難しく、侵害被疑者の立場としては、むしろ、裁判所の判断による方が期待できる場合が多い、という印象を持ってきた。キルビー最判以前でも、先行技術に依拠しようとする被告としては、侵害訴訟の場面でも、場合によっては権利濫用論などによることも考えられたほか、技術的範囲を狭く解釈することを主張する際の材料に出来る可能性があった。状況による話であることはもちろんだが、本来は無効として処置されるべき場合ですら、こちらの方が期待できる、ということがあり得たように思われる。

 筆者は、次のようなことを考えている([拙稿1]および[拙稿2]参照)。特許の有効性の判断と侵害の成否の判断とを別々の手続きで行うことが、それ自体で被疑者に不利に働くのではないか。たとえば、別の手続きによるときには、先行技術との僅かな差異でも特許を認めることになってしまいがちなものが、一つの手続きによるときには、この僅かな思いつきを根拠としてこれだけの侵害責任を認めてよいか、という事情をより真剣に考えることになるのではないか、ということである。

 キルビー最判の事案が、まさにこうした侵害被疑者の考えの例になっている。この事案で富士通は、当初は無効審判を請求しないままに、不存在確認請求訴訟を提起している。

 今後は、キルビー最判により文字通りの無効判断が侵害訴訟裁判所でも下されることが期待できるようになったわけだから、ますます、侵害被疑者が裁判所の判断に期待する場面というのが増えるはずである。これはすなわち、裁判所の無効判断が重要となるということである。

 そうなると、特許権の方から過去の訴訟を知る必要が生じるが(警告状を受けた場合の対処のためなどに)、丁度その用意が出来ている。先般の法改正による特許法168条3項が、侵害訴訟を特許庁へ通知することになっている。米国では、ブロンダー事件最判後の法改正による290条があるが、対応している。

3. 無効判断の出来る場面とカーディナル事件

 次に、いかなる場合に有効性の判断がなされるべきなのかを、カーディナル事件を端緒として考える。

3.1 カーディナル事件

 カーディナル事件最判(Cardinal Chem. v. Morton Int'l, 508 U.S. 83 (1993))は、非侵害でも無効判断をして良いとした近時の最判である。

 事案の概要は、次のとおりである。塩化ビニールの安定化に役立つ化学物質を内容とする2件の特許の権利者(モートン)が、カーディナルに対する本件訴訟をサウスカロライナの地裁で提起した。被告カーディナルは、侵害を否定するとともに、反訴で特許の無効確認を請求した。典型的な侵害訴訟のパターンと言える。なお、実際には他の裁判所での訴訟も問題となったのであるが、ここでは省略する。

 非陪審トライアルにより地裁は、侵害は立証されなかったとし、また特許は無効と判断した。控訴審のCAFCは、非侵害の結論を維持し、無効の判断を取り消した。これは、当時のCAFCが一般的に行っていた実務で、非侵害の結論を維持するなら、無効の判断を当然に取り消していた。この無効判断の取消しというのは、有効だとか無効の証明が無いとかいう趣旨で中身に立ち入って取り消しているのではなくて、侵害が無いという判断を是認する以上は、無効かどうかの有効性の判断をするべきではない、という趣旨のものであった。

 最高裁での争点は、このCAFCの実務の当否である。この実務は、Vieau v. Japax, Inc., 823 F.2d 1510, 3 USPQ 2d 1094 (Fed.Cir. 1987) と、Fonar Corp. v. Johnson & Johnson, 821 F.2d 627 (Fed.Cir. 1987) との2件を代表的な始まりとするもので、その根拠は、2件の最高裁判決、Electrical Fittings Corp. v. Thomas & Betts Co., 307 U.S. 241 (1939) と、Altvater v. Freeman, 319 U.S. 359 (1943) とであった。

 カーディナル事件最判は、この2件の最判について、前者は反訴請求は無かったケースであると指摘し、後者は、無効確認の反訴請求があった場合ではあるが、非侵害の場合でも有効性判断をするとしたが、侵害主張されていた以外にもクレームおよび製品があった場合でその旨の指摘がされていたものの、その場合に限って有効・無効の判断をするべきとしたのではない、とした。

 結局、最高裁は、これらの自身の先例を維持しつつ、それによって当時のCAFCの実務が要求されているものではないとし、結論としては、反訴請求があったなら、非侵害だというだけで有効・無効の判断をしてはならないということではない、と判示した。このケースにおいて最高裁は、侵害が証明されなかったとしても、それでも紛争は解決していないケースであるという判断をした。

3.2 カーディナル事件最判の意義

 カーディナル事件最判の前のCAFCの実務には、2つの方向に問題があった。まず、せっかくの無効判断なのに、法律的にはそれが消えるので、後の行使の可能性が残る。そうすると、他の実施者が対応の労力を強制される(普通に考えれば無効の特許なのに)。また、特許権者としても良くはない。事実上の影響として、地裁の無効判断があったということが残り、それを本当に消し去る機会が無い。特許権者としても、むしろ、無効判断の中身を検討して欲しい。

 それで1993年の最判は、無効確認請求の反訴がある限りは、非侵害であっても、それだけでは紛争は解消しておらず、無効判断もして良いのであり、中身も見ずに取り消す実務は認められない、としたわけである。それにしても、まったくの非侵害だけというなら確認の利益は無いだろうが、侵害訴訟の提起があった以上は確認の利益はある、という趣旨である。

3.3 日本での無効判断

 カーディナル事件での問題そのものは、日本では意識されることもなく、既に同事件最判以後の状況が実現されている。そもそも、キルビー事件そのものが侵害を否定していた事案であり、そこでの無効判断が肯定されたものである(侵害を否定する部分を傍論としている)。その後の下級審裁判例でも、多くの事案において、侵害の判断をしないままに、無効=権利濫用との判断が下されている。侵害を否定した上で、さらに明白無効とした裁判例も少なくない。これに対して高裁がカーディナル事件以前のCAFCのような破棄を行うこともないであろう。キルビー最判からいって当然であるが、少なくとも、侵害が認められることが必要だとの議論はない。

 理論的には次のようなことが考えられる。侵害訴訟においては、侵害の成立と特許権の存在が別個の請求原因事実であり、明白無効は後者に対する関係での抗弁であって、これは前者の存否と無関係に認定できる、という理屈により、非侵害でも明白無効の認定をしているのであろう。なるほど、抗弁とは言っても、請求原因がすべて認められる場合に初めて判断対象となるものではなく、その点では、このような判断順序というのももっともである。しかしまた、「権利濫用」というのは、特許権自体に対しての問題ではなくて、その行使についてのことなのだという点からは、このような割り切りには疑問がある。少なくとも、無効確認が請求されているわけではないのだから(そしてそのための訴訟要件をカーディナル事件最判のように認めるのでなければ)、これが当然とは思われない。

 このように疑問点はあるものの、侵害を前提とせずに無効判断がなされること自体は、キルビー最判の事案から言って必然的である。

 この状況は、侵害訴訟での無効判断について既に米国以上に積極的となった、と理解することが出来る。カーディナル事件最判は、無効確認の反訴請求があることを理由として、侵害が認められない場合でも、紛争が存在する以上は無効確認についての訴訟要件が認められるとの理由付けで無効判断を正当化したものである。これに対して日本の場合は、単なる抗弁としての明白無効主張を、侵害の有無と無関係に判断するとしているのである。

3.4 今後の問題

 日本では既にカーディナル事件最判以降の状況にあると言えるが、この種の問題が、まったく解決されてしまっているというわけでは決してない。状況によっては再考の必要がある。

 上記のように、現在の地裁は、侵害の成否に拘わらずに特許を(明白)無効と判断することがあるが、その上級審の審理および判断の仕方には問題がある。上級審がすべてを維持する場合はよいとして、それ以外の場合に、どのような手順を取るべきか。侵害を肯定するなら、無効かどうかが正に問題となるから、これを審理して判断するのは当然である。

 問題となるのは、上級審が、侵害を否定する点で(または先使用権などによって)権利者敗訴の結論を維持する場合に、無効の点について検討をするか、またする必要があるのか、ということである。特許が有効だとする権利者の立場では、たとえその被告の侵害が認められずその訴訟の敗訴が免れない場合でも、特許の有効性について上級審の判断を求めたい、地裁による無効との判断を覆したい、と希望することが大いにあり得る。

 他方で裁判所としては、請求排斥(控訴棄却)の結論に違いがないのであれば、有効性について検討の必要がない、との考えがあり得る。無効判断の相対効を強調すると、この考えになりやすかろう。この状況を特許権者の側から見直せば、一度無効とされると、事実無効ではなかろうとも、その被告との関係で敗訴である限りは、無効との判断を争う手段が無い、という事態である。これは不当なことにもなり得る。しかし、その被告を相手にわざわざ訴訟を始めたのだから、特許権者に多少の不利を課しても良いとの考えもあり得る。どうするかは難しいところがあり、このような形では、カーディナル事件の種類の問題は、やはり検討の必要がある。

3.5 制裁による実質的な拘束力

 以上の他に、この事件における特許権者の議論の中に、無効判断の影響力に関係して興味を引かれる点がある。

 この事件の上告前の状況では、地裁による特許無効との判断は控訴審で取り消されているわけだが、この取消しは内容判断によるものではないので、事実上の影響力としては、後の特許権行使に対しての大きな障碍となるというのが特許権者の提起する問題点である。権利を行使しようとしても、この判断の影響によって無効と判断されてしまい、さらには、無効な特許権に基づく権利行使の試みとして制裁が科されるおそれがある、という議論をしている。

 実際に無効かどうかの判断について、控訴審による再考があるべきだというのはもっともだが、その上で無効判断が確定したなら、それは基本的に適切な判断のはずであり、それを尊重する仕組みが存在することが望ましい。せっかく労力を費やして判断がなされているのであるから、それをことさらに無視するというのは社会的損失である。その意味で、ここでの特許権者の議論は参考になるところがある。すなわち、民事訴訟法的にその無効判断を対世効とすることは出来ないにしても、ここで示唆されているような形で権利行使を抑制することは考えて良いと思われる。

 その中でも、判断の事実上の影響力というのは、理屈ではないわけで、法律的な議論とは必ずしも関係ないが、制裁があり得るというのが参考になり得る。思うに、特許が明白無効と判断されそれが確定した場合には、その判断自体には訴訟法的な対世効は無いにしても、後に特許権者がその特許権の行使を試みた場合には、単に明白無効で権利濫用というにとどまらず、その試み自体が不法行為を構成する可能性があると考える。この可能性を肯定することによって、無効と判断した判決が確定した場合の後の権利行使の試みが抑止され、労力をかけて無効の判断をしたことが社会的に役にたつようになる。

 東京地判平成14年2月26日(最高裁HP・平成13(ワ)10007)は、実用新案権が無効だった場合の訴訟提起について後に損害賠償を請求した事案である。結論としては請求を排斥したものであるが、その理由は、被告(前訴の原告)代表者が無効事由を知らなかったし容易に知り得たといえない、というものである。無効な権利を行使しようとする訴訟提起が不法行為になる可能性自体は認めている。特に、ここで検討しているような、或る訴訟で無効とされてそれが確定したような場合については、そんな権利についてなおも行使を試みることは、当然に不法行為となるものと考える。

4. 任意的当事者系再審査からの示唆

 米国の任意的当事者系再審査(Optional Inter Partes Re-examination Procedure)は、侵害訴訟での無効判断を前提とした制度であり、日本での今後を考えるに当たって参考になる点がある。制度全体について、[拙稿3]および[拙稿4]参照。

4.1 任意的当事者系再審査の概要

 米国では1981年に再審査制度(reexamination)が新設されたが、第三者請求人にとって主張機会の保障が無いなどの点で不十分なものと言われてきた。そうした理由もあって現に余り使われてこなかった。そこで1999年改正法で、任意的当事者系再審査が新設された。こちらは対審的な構造であり、第三者請求人にもそれなりの手続保障がある。

 もっとも、第三者請求人の上訴権は、特許商標庁限りである。それでいて、特許が維持された場合には、後の無効主張が禁じられることになる(後述)。これには憲法上の疑問がある。それを起草者も自認しているように見える(後の無効主張を禁止する条項において、その条項が効力を否定されても他の部分の効力は残る、などと書いてある)。このため、裁判所への上訴権を認める趣旨の改正が提案されている。

4.2 横断的な拘束力

 米国の当事者系再審査と民事訴訟との相互関係は、次のようになっている。

4.2.1 再審査先行の場合

 まず、再審査の結論が先行し、無効とされた場合には、特許の登録がなくなるわけであり、その後に侵害訴訟などが考えられなくなるのはもちろんである。

 再審査によって特許が維持された場合には、単に特許の登録が維持された状態として権利行使の可能性があるというだけではなく、同一当事者間の後の民事訴訟では、有効性の判断自体に拘束力があるとされる。すなわち、315条(c)が、提起しまたは提起し得た理由に基づく無効主張は禁じられる、としているのである。ただし、提起し得なかったものはここからは外れるわけで、さらに新発見証拠は別とのただし書きもある。もっとも、先行技術というのは本来は入手可能だったものばかりのハズであり、どういう範囲のものがこれに当たることになるのか、大いに疑問が残る。また、この拘束力に対しては、合憲性の問題があり、法改正が審議されている。

4.2.2 民事訴訟先行の場合

 訴訟が先行して無効と判断されれば、その判断には、実質的な対世的効力があるのが現在の判例法であること、既に説明したとおりである(ブロンダー事件)。

 訴訟が先行して、無効でないと判断された場合には、その当事者はもはや当事者系再審査を求めることも出来ない(317条(b))。通常の再審査については、こうした明文規定は存在しないが、特許商標庁の実務としては、こうした場合には再審査請求を取り上げないことが明確にされている(In Re Pearne, 212 USPQ 466 (Commissioner of Patents and Trademarks, 1981))。再審査は、無効な特許を民事訴訟によるまでもなく排除するための制度であって、訴訟で決着がついた問題の蒸し返しを取り上げるのは不適切である、としている(ただし、別の先行技術に基づく主張であれば取り上げる可能性があるように見える記述もある)。

4.2.3 後に無効となった場合の処置

 以上のように、いずれかの手続きで無効とされればそれまでであるが(しかも(実質)対世的無効である)、有効とされた場合には、その判断が同一当事者間ではもう一方の手続きにおいても拘束力を持つ。しかし、別の当事者については、手続保障の必要があるから、改めて無効とされる可能性があるのは当然である。

 それで実際に後に無効になった場合には、どうなるのか。たとえば、無効でないとした判決が確定した後に、別の被告に対する訴訟では無効とされたとしよう。この場合、前後の訴訟の各結論は、いわば矛盾したものではあるが、前訴判決が取り消される等ということはない。民事訴訟の相対的解決の考えからは、これも当然である。

 同様の判決確定の後に、(他の請求人による)再審査で特許が取り消された場合はどうなるか。こうした場合について、特別の規定は見当たらない。既に確定した侵害訴訟の既判力は覆されないと考えられているように見える。こうした事態は、そもそも現実にはまず生じない話であるから、その旨の明確な裁判例などが知られているわけではないが、既判力の考えや、上記のような判決相互間の場合からの類推からは、上記のように思われる。その判決の中では、既に無効かどうかの点についても判断しているのであり、その上で請求認容を判決して確定したとなったら、それが後から別の判断が下されたからといって取り消されるはずはない、ということである。

 また、逆に、先に当事者系再審査で有効とされていたのに、後に無効とされたという場合は(再審査、任意的当事者系再審査または民事訴訟のいずれかで)、元の当事者も無効主張が出来るようになるのだと思われる。もっとも、法律の文言としては拘束力を規定しているだけだから、逆の可能性も否定は出来ない。

4.3 日本での一般的理解

 日本では一般的には、このような拘束力は考えられていない。無効審判で無効とされた場合についてはともかくとして、それ以外については、どちらが先行する場合のどちらの結論についても、後の手続きで違う判断をすることを特に否定する議論は見られない。

 むしろ、拘束力は無く違う判断があり得ることを前提として、その場合の処置についての検討がなされる。すなわち、侵害訴訟で無効でないとした後に無効審決が下された場合には再審(民訴法338条1項8号)となるとの説明がなされ([辰巳]127頁は、その場合に一般的には無過失だから不法行為にはならないとしつつ、支払っていたものについて不当利得が問題となるとしており、返還すべきとの趣旨と理解される)、また、侵害訴訟で明白無効とした後に無効審判で特許を維持した場合には、再審のような調整が出来ないことが問題視されたりする。

 なお、特許法167条で審決の拘束力が認められる範囲では、後の侵害訴訟でも無効と判断することは許されないのは一般的にも認められるであろう。しかしこれは、「同一の事実及び同一の証拠」の範囲に限られており、それ以外では、改めて明白無効とすることも考えられる。もっとも、先行する無効審判で特許が維持されたという場合には、まったく異なる証拠が出てきたというのでない限り、後の侵害訴訟において明白無効との判断を得るのは実際的には極めて難しいとは思われる。

4.4 不法行為となる可能性

 民訴法的には以上のように拘束力を否定するほかないにしても、しかし、だからといって、実質的に決着のついた事項を何時までも争い続けようとすることが、まったく自由で正当であると考えるべきではないと思われる。3.5では民事訴訟相互間を考えたが、それと同様に、不法行為を構成する可能性を認めれば、それによって無益な権利行使の試みを抑止できることが期待される。

 ここでの検討の対象には、3つの場合がある。侵害訴訟で有効とした場合、同じく明白無効とした場合、特許庁で有効とした場合、である。特許庁で無効とした場合には、そもそも特許権がなくなるので、この場合に後に侵害訴訟ということはあり得ない(この意味では、この場合だけは拘束力が認められるわけである)。

 このうち最も実質的な意味があるのは、最初の、侵害訴訟で有効とした場合についてである。侵害訴訟で請求を認容する判決が確定しても、一般的な考えによれば、本当の確定にはならない。無効審決の可能性があり、その場合には再審となるからである。

 しかし、新証拠による実質を伴った無効審判請求であればともかくとして、そうでない場合には、無効審判請求(および特許を維持した審決に対する審決取消訴訟の提起)は、実質的に無意味な行動である。

 こうした場合については、後の審判請求や訴訟提起が不法行為を構成する可能性があると思われる。単に侵害訴訟が確定済みであるというだけで当然に不当というのは行き過ぎにしても、少なくとも、改めて主張するべき内容が見られない場合には、これは特許権者に対して余計な負担を強いているだけのものなのであるから、たとえ訴訟法的には許容される行為であろうとも、不当な行為として、不法行為を構成する可能性を認めることが出来ると考える。

 他の2つの場合についても、同様の可能性があると考える。もっとも、実質的な意味は疑問であるが、それは次のような意味である。侵害訴訟で明白無効とした場合に、後にわざわざ無効審判が請求されるのか疑問であるし、請求された場合の対応という非自発的な行動までも不法行為と出来る場合は限られると思われる。また、特許庁で有効とした場合についての、後の侵害訴訟での応訴も、非侵害主張の点は別論になるから、結局同様に不法行為になるべきことは考えにくい。

4.5 再審否定論

 筆者はさらに、後に無効審決が下された場合の再審についても疑問を持っている([拙稿4]参照)。

 侵害訴訟においては無効判断をしないという前提なら、その判決は特許の有効性の問題を保留してのものなわけだから、後に無効審決が下された場合には再審取消となるのも当然である。しかし、キルビー最判後においては、通常はこの点も判断しての判決のはずである。それなのに再審取消の可能性があるというのは、民事訴訟判決の基本的性質に反していると思われる。

 他の請求人による無効審判で無効審決が下される可能性は理論的には認めざるを得ないが、キルビー最判後の侵害訴訟の判決は、特許の有効性についても検討した上でのものである。それを後に覆すというのは、争点効を否定するにしても理屈が通らない。争点効を否定する議論の内容としては、主文以外の判断には拘束力を認めないとすることによって、過剰な審理を不要とし、訴訟経済に資する、というのが有力な根拠とされているのであり、主文についての拘束力(既判力)は、大前提となっている。それなのに、無効審判と再審というルートによって、主文自体が取り消されてしまい得るというのは、なんともおかしい。

 また、このような再審事由は、非常に例外的である。8号以外の再審事由はいずれも、確定判決の手続き自体に瑕疵がある場合である。また、8号についても、無効審決の場合以外の処分の変更は、一般に請求・出訴期間の制限がある。無効審判の場合だけが、その手続き自体には瑕疵の無い確定判決が、いつまでたっても本当には確定しないのである(民訴法342条2項で判決確定から5年という再審期間の制限はあるが)。こんな事態は、他には見られない異常なものである。

 もっとも、再審が問題となるような事態が現実に生ずるとは想像しがたい。そうすると、ここでの議論の当否が裁判例として表れることもまずあり得ないであろう。

5. 引用文献

 [君嶋]: 君嶋祐子「特許処分の法的性質」(『日本工業所有権学会年報』21号(1997年)1頁)。

 [小池]: 小池豊「全部公知その他無効理由を有する特許権による権利の行使について」(『現代裁判法体系』26巻164頁・第11問)。

 [渋谷]: 渋谷達紀・評釈(『特許ニュース』10391号1頁)。

 [拙稿1]: 松本直樹「米国特許制度におけるPTOと裁判所の役割」(『月刊国際法務戦略』1992年10月号および11月号)。拙稿はいずれも、筆者のウェブページ(http://homepage3.nifty.com/nmat/)にも掲載。(ここではリンクしてあります。)

 [拙稿2]: 松本直樹「侵害訴訟における無効判断と多項制そして年金の関係」(『特技懇』200号(1998年7月号))。

 [拙稿3]: 松本直樹「任意的当事者系再審査」(『知財研フォーラム』(知的財産研究所)41巻(2000年春号)13頁)。

 [拙稿4]: 松本直樹「米国制度からの示唆」(『審判制度と知的財産訴訟の将来像に関する調査研究報告書』(知的財産研究所2002年)第8章)。

 [高林]: 高林龍・評釈(『判例評論』503号37頁(判例時報1728号215頁))。

 [高部]: 高部眞規子・解説(『法曹時報』54巻5号1531頁)。

 [辰巳]: 辰巳直彦・評釈(『民商法雑誌』124巻1号98頁)。

 [田村1]: 田村善之・評釈(『知財管理』2000年12月号1847頁)。

 [田村2]: 田村善之「公知技術の抗弁と当然無効の抗弁」(『機能的知的財産法の理論』(信山社1996年)第3章)。

 [中島]: 中島和雄「侵害訴訟における特許無効の抗弁」(本間還暦『知的財産権の現代的課題』(1995年)192頁)。

 [牧野1]: 牧野利秋「特許処分の瑕疵を裁判所で是正することの是非について」(『特許の有効性と侵害訴訟』(経済産業調査会2001年)187頁・W1章)。

 [牧野2]: 牧野利秋・評釈(『特許研究』32号(2001年10月号)5頁)。

6. 改版履歴

2008年3月30日: 脱字を直しました。れこと→れたこと


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