H13. 3.29 大阪高裁 平成11(ネ)3484 著作権 民事訴訟事件

平成一一年(ネ)第三四八四号著作権侵害行為差止請求控訴事件
(原審 大阪地方裁判所平成一〇年(ワ)第六九七九号(第一事件)、同年(ワ)第九七七四号(第二事件))
【口頭弁論終結日平成一二年一一月二〇日】
          判    決
    控訴人(第一事件被告)     株式会社アクト
    右代表者代表取締役       新 谷 雄 二
    控訴人(第二事件被告)     株式会社ライズ
    右代表者代表取締役       上 岡 良 和
    右両名訴訟代理人弁護士     椙 山 敬 士
    同               藤 田 康 幸
    同               小 川 憲 久
    同               吉 田 正 夫

    同               藤 本 英 介
    同               中 野 通 明
    同               小 倉 秀 夫
    同               杉 浦 幸 彦
    同               岡 村 久 道
    同               木 村 圭二郎
    同               北 岡 弘 章
    同               錦     徹
    同               神 頭 正 光
    同               志 村   新
    同               濱 田 広 道
    同               鈴 木   誠
    同               大 土   弘
    同               岩 崎   晃
    同               権 藤 龍 光
    同               追 川 道 代

    被控訴人(両事件原告)     株式会社カプコン
    右代表者代表取締役       辻 本 憲 三
    被控訴人(両事件原告)     コナミ株式会社
    右代表者代表取締役       上 月 景 彦
    被控訴人(両事件原告)     株式会社スクウェア
    右代表者代表取締役       鈴 木   尚
    被控訴人(両事件原告)     株式会社ナムコ
    右代表者代表取締役       中 村 雅 哉
    被控訴人(両事件原告)     株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント

    右代表者代表取締役       佐 藤   明
    被控訴人(両事件原告)     株式会社セガ(旧商号 株式会社セガ・エンタープライゼス)
    右代表者代表取締役       佐 藤 秀 樹
    右六名訴訟代理人弁護士     松 村 信 夫
    同               島 村 和 行
    同               村 本 武 志
    同               田 中 千 博
    同               岩 井   泉
    同               近 藤 剛 史
    同               和 田 宏 徳
    同               前 田 哲 男
    同               小岩井 雅 行
    同               斎 藤 浩 貴

    右松村信夫訴訟復代理人弁護士  岡 本 満喜子
          主    文
     一 原判決を取り消す。
     二 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
     三 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。
          事実及び理由
第一 控訴の趣旨
   主文同旨
第二 事案の概要
   事案の概要は、次に当審主張を付加するほか、原判決中の「第二 事案の概要等(原判決七頁九行目から四二頁八行目まで)」のとおりである(ただし、原判決一五頁四行目の「検甲一ないし六」の次に「。枝番号を含む。」を加える。)から、これを引用する。
  (控訴人らの当審主張) 
 一 ゲームは映画の著作物ではない。
  1 著作物の一類型としての映画の著作物には、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」た著作物であって、「物に固定」されたものを含むものとされている(著作権法二条三項)。

    右にいう「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」た著作物といえるためには、単に、影像が連続して動いているように見えるだけでは足りず、NGフィルム選別、シナリオに従った粗編集、細編集、音づけ等の映画製作過程を通じて初めて「著作者の思想、感情に基づいた一貫した流れのある影像が表現されていること」が必要である。我が国の著作権法上の映画の定義に関する規定は、ベルヌ条約ストックホルム会議の成果を受けて起草されているところ、同会議においては、各画面(カット)をいかにつなぎ合わせて(モンタージュ)、思想感情を伝えるために全体を構成するかという映画表現の手法(PROCESS)により表現されているものを映画的著作物とするものとされていたからである。
    また、右にいう表現が「物に固定」されているとは、特定の有体物を媒介として、一定の内容の影像が常に一定の順序で再生される状態を指す。ここにいう「固定」の語は、著作権法二条一項一四号にいう「固定」と同様の解釈をすべきである。法が映画の著作物の要件として「固定」性を要求した趣旨は、テレビの生放送を映画の著作物に含めないためである。これを、テレビ放送を含む映像表現全体に適用できるように抽象化していえば、実際に上映したときに初めて具体的な連続影像群が特定されるような映像表現を映画の著作物から除外するために「固定」性の要件を設けたというべきである。

    また、映画の著作物に関する著作権法の規定が劇場用映画の利用について映画製作者による配給制度を通じての円滑な権利行使を可能とすることを企図して設けられたものであることからすると、著作権法は、多数の映画館での上映を通じて多数の観客に対して思想・感情の表現としての同一の視聴覚的効果を与えることが可能であるという劇場用映画の特徴を備えた著作物を映画の著作物として想定しているものと解すべきであり、映画の著作物といい得るためには、当該著作物ないしその複製物を用いることにより、同一の連続影像が常に再現される(常に同一内容の影像が同一の順序によりもたらされる)ものであることを要するというべきである。
    本件各ゲームソフトは、一定の内容の影像が常に一定の順序で再生されるものでなく、ゲームをプレイすることによってモニターに映し出される映像表現がプレイヤーによるコントローラーの操作等に応じて生成し、生成と同時に消滅してしまうものであるから、映画の著作物に該当しない。

  2 ゲームは、プレイヤーが達成すべき一定の事象が設定されていて、プレイヤーによる右の事象達成を目的としての主体的かつ能動的な競技行動(自分の行う「選択」及び選択に従っての「実行」)と相手方の競技行動(相手方の行う「選択」及び選択に従っての「実行」)が連続的に行われ、その「選択」と「実行」の優劣により勝敗が決せられ、プレイヤーが「選択」と「実行」の連続及びその結果としての勝敗に一喜一憂し、楽しみつつ何度も継続することが可能となるものである。プレイヤーによる「選択」と「実行」により「一定の効果」が発生し、これを前提に相手方プレイヤーも「選択」と「実行」を行い、新たな「一定の効果」を現出させるという「選択」と「実行」の連続、その結果としての勝敗がゲームの本質的な要素である。ゲームの本質をコンピューターとモニターを利用して実行可能としたものがテレビゲームである。テレビゲームのソフトがプレイヤーによる選択、実行の連続という本質的な要素を備えていることは自明であり、「勝」、「負」が設定され、負ければゲーム・オーバーとなる。
    これに対して、映画は、映画製作者の完成された表現を鑑賞することを特徴とする表現形式であって、製作者が完成した映画表現を視聴者に鑑賞させる表現形式である。映画の視聴者は、基本的に受動的な鑑賞を行うにすぎず、達成すべき事象もなければ、そのための「選択」と「実行」、「勝敗」も存在せず、「勝・敗」という観念を容れる余地がなく、中途で終了し得ず、映画鑑賞のために所定時間を必要とし、所定時間で必ず完了するのであり、ゲームソフトと異なる。
 二 本件各ゲームソフトは頒布権付の映画の著作物に該当しない。
  1 ベルヌ条約ストックホルム規定
    同規定の採択に際し、映画の著作物となるためには連続影像という視覚的効果があるだけでは足りず、カットやモンタージュ等の映画的手法に適合したものでなければならないことが確認された。画面上に表示される連続影像が一定の内容及び順序によるものとしてあらかじめ定められていることのないゲームソフトは頒布権を有する映画の著作物に該当しない。

  2 頒布権と配給制度
    映画の著作物にのみ頒布権を認めるという例外的な取扱いが認められたのは、実態的に映画の配給権という形での商慣習が成立しており、商慣習としての配給権イコール頒布権という発想に基づき、十分詰めないまま、国際会議の趨勢とこれに基づいて定められたベルヌ条約の規定に従い、立法がされたことによる。そして、劇場用映画フィルムの場合、経済的な効用度が高く、一本のフィルムの上映によって多額の収益を上げることができるため、映画の著作物が化体されたオリジナルコピーともいうべき映画プリントの物品的価値に着目して、その行先を指定する権利としての頒布権を認めたのである。したがって、上映による収益が予定されておらず、配給制度、配給権と無関係な本件各ゲームソフトは頒布権が認められるべき映画の著作物に該当しない。

  3 頒布権と大量流通
    頒布権が与えられるべき映画の著作物は、少量の複製物しか製作されず、製作された複製物の経済的効用が劇場用映画のオリジナルプリントに比肩するものに限定される。ゲームソフト(の複製物)は、大量に生産され、大衆に対し大量に販売される(平成九年のゲームソフト新品売上本数は一億本を超えている。)のであって、極めて少数の複製物が製作され、映画館にのみ供給される映画の著作物とは著しく流通形態が異なっている。また、大量に生産され大衆に対し大量に販売される動産の流通経路のすべてにわたって製作者にコントロール権を与えることは実際問題として非現実的である。仮にそのようなコントロール権が貫徹されるとすれば、我が国の民法・独占禁止法等を含めた法秩序・法体系が保障しようとしている商品の自由な流通が根底から脅かされ、商品の自由な流通を阻害し、権利者に過大な保護を与える弊害が生じることになる。複製物が多数製造され、公衆への譲渡が予定される著作物には本、音楽CD、プログラムなど他にもたくさんあるが、本件各ゲームソフトのみに頒布権を認めるのは他の著作物と比較して保護内容に均衡を失することとなる。

  4 頒布権と公衆提示目的
    WIPOが一九七八年に発行した逐条解説(和訳一九七九年)は、ベルヌ条約一四条に関し「映画はもちろん上映のために製作される。」、「映画を上映のために提供できる国を制限し(頒布権)」とし、ベルヌ条約一四条の二に関し「頒布権(上映のための提供)」としており、上映目的のない映画の頒布はそもそも同条項の予定する範囲にないことを明らかにしている。映画であっても、現在のビデオカセットのような、劇場で上映する目的ではなく家庭内で鑑賞する目的のものの譲渡をコントロールするようなことはもとより想定されていなかった。まして、個人の家庭内使用がよりいっそう明らかなゲームソフトにおいてをやである。
    法二条一項一九号は、映画の著作物を含む著作物一般に関する頒布概念として前段(「複製物を公衆に譲渡し、又は貸与する」こと)を規定し(以下「前段頒布」という。)、映画の著作物のみに適用される「頒布」概念として後段(「これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与すること」)を規定している(以下「後段頒布」という。)。後段頒布は映画の著作物にのみ認められた特別の規定であり、これは法二六条という特別の扱いを認めるためにのみ作られた規定である。したがって、後段頒布こそ頒布権という特別な規定の内容をなす頒布の意義でなければならない。しかして、後段頒布は公衆への直接的な譲渡・貸与でなく、上映など公衆へ提示する目的を有する者に対する譲渡・貸与すなわち配給を意味する。これは、立法当時の映画が劇場において多数の者の需要を一時に満たすという利用形態を前提としていたわけで、その限りでの強力なコントロールの根拠であり得えたわけである。

    これに引き換え、ゲームソフトには配給制度もないし、劇場用映画やテレビ放送用映画のように公衆提示目的で譲渡されるわけではない。したがってゲームソフトの販売では、そもそも頒布権の対象となる後段頒布はなされておらず、頒布権侵害が生じる余地がない。
  5 頒布権と貸与権
    昭和五九年に貸与権が創設されたことをゲームソフトの頒布権肯定に結びつけることは誤りである。貸しビデオは、貸与権によって規制することができ、映画の著作物の頒布権による規制の必要性がない。ゲームソフトは、映画の著作物に当たらないとした場合でも、公衆への貸与につき貸与権で規制でき、不都合はない。
  6 頒布権と投下資本回収
    頒布権は、投下資本の回収一般のために認められているわけでなく、劇場用映画の利用・流通形態の特殊性すなわち配給制度が頒布権の認められる根拠であり、配給以外の多様な機会など存在せず、想定もされていない。

    著作物についての各支分権は、投下資本の回収の多様な機会を保障するために付与されているわけではない。多くの消費者が創作性を評価し、価格効能比を考慮して購入するという行動に出るかどうかが投下資本回収の可能性の決め手であり、製作者がいかに巨大な資本を投下しても、その投下資本を回収できるかどうかは市場が決めることである。
 三 頒布権の内容及び消尽
   仮に万が一、本件各ゲームソフトにつき頒布権が認められるにしても、頒布権は第一頒布に適用されるのみで、その後の再頒布には及ばない。本件各ゲームソフトの複製物が最初に適法に流通に置かれた後は、その複製物について頒布権は消尽する。
  1 著作権法による著作権の保護も社会公共の利益との調和の下において実現されなければならない。一般に譲渡においては、譲渡人は目的物について有するすべての権利を譲受人に移転し、譲受人は譲渡人が有していたすべての権利を取得するものである。著作物の複製物が市場での流通に置かれる場合も、譲受人が著作権の複製物につき著作権者の権利行使を離れて自由に再譲渡をすることができる権利を取得することを前提として取引行為が行われる。仮に、著作物の複製物について譲渡を行う都度著作権者の許諾を要するということになれば、市場における商品の自由な流通が阻害され、著作物の複製物の円滑な流通が妨げられ、かえって著作権者自身の利益を害する結果を来し、ひいては「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする」(法一条参照)という著作権法の目的にも反することになる。他方、著作権者は、著作物の複製物を譲渡するに当たって著作物の複製物の利用の対価を含めた譲渡代金を取得し、著作物の利用を許諾するに当たって許諾料を取得するのであるから、著作物の利用許諾の代償を確保する機会は保障されているということができ、著作権者又は許諾を受けた者から譲渡された著作物を含む製品について、著作権者が流通過程において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しない。
  2 ベルヌ条約における映画の著作物に関する頒布権は、最初の公衆への頒布行為に適用されるのみであり、いったん頒布された後の再頒布には及ばない。
    すなわち、WIPOにおけるベルヌ条約議定書の検討のための事務局文書では、「この規定の頒布権とは著作物の最初の公衆への頒布行為に適用されるのみであり、いったん頒布された後の再頒布には及ばない(BCP/CE/I/3 パラ 123,124)」と説明されており(平成七年二月著作権審議会マルチメディア小委員会ワーキング・グループ検討経過報告ーマルチメディアに係る制度上の問題について。乙二一。)、ベルヌ条約上頒布権は第一頒布に限定されることを当然の前提としている。ベルヌ条約が頒布権a right of distributionについて規定しているのは、映画の著作物として翻案された作品と映画の著作物そのものだけに関してである(一四条(1)及び第一四条の二(1))。しかし、条約の英語版と仏語版には差異がある。英語版では、「distribution」という語が用いられているが、仏語版では「mise en circulation」という表現が用いられている。英語の「distribution」は二通りに解釈できる。すなわち、第一回目の頒布だけか、以後の一切の頒布をも合わせ意味するかである。しかし、「mise en circulation」(「流通に置くこと」)は第一の頒布のみを意味する。この関係で留意すべきなのは、同条約の第三七条

一項(c)の下で「多数の言語版の解釈上意見の違いがある時は、仏語版が優先する」ということである(乙二一、二二。枝番を含む。以下同様。)。    
  3 著作物の複製物の譲渡について著作権が及ぶ形になっている法制度を取る国では、例外なく、第一販売で権利が消滅する消尽やファーストセールドクトリンなどの法理が認められている。このことは、米国や欧州連合諸国のみにとどまらず、韓国などのアジア諸国やロシアなどの旧共産圏諸国でも例外でない。また、WIPOなどの国際会議でも頒布権が国内消尽することは当然の前提となっており、WIPO著作権条約もその前提のもとに頒布権の規定が設けられている。
  4 ゲームソフトのレンタルは貸与権の規定でカバーできるし、外国(特にドイツなど)における消尽理論は、当初著作権について判例で認められ、その後特許権等について認められたものであり、被控訴人ら指摘の立法の経緯や著作権審議会の報告書は、単に、頒布権の消尽について、立法府や行政府が明確な解釈を示さず、司法にその解釈をゆだねたことを示しているにすぎず、頒布権が消尽しないとする根拠にならない。

 四 他の法律、制度等との関係
   中古品の所有権の帰属にかかわらず、これを販売することが違法という主張は、極めて特異であって、憲法、独占禁止法、民事執行法、古物営業法と矛盾するものであり、我が国の法制全体の中で整合性を有しない。
  1 憲法上の問題
    財産権の不可侵は憲法二九条が保障するところである。財産権の剥奪又は財産権の本来の効用の発揮を妨げるような制限は許されない。
    譲渡できるということは所有権における本質的な内容であり、所有者に対して譲渡を禁止するには極めて高度の合理的目的、公共の福祉の必要性がなければならない。法律が譲渡を禁止するのは、麻薬など禁制品、健康に害を与える食品など公共の福祉の面から合理性があり、その必要性が高い場合に限られている(麻薬取締法、食品衛生法など)。

    本件各ゲームソフトは、著作物の複製物であるとともに動産であり、譲渡によって社会に危険を及ぼすこともない。本件各ゲームソフトの所有者である控訴人らがその譲渡を禁止されるという所有権の制限を受けるべき実質的理由はない。本やCDと同様にゲームソフトは著作物の複製物であるとともに商品であり、商品の自由な流通は確保される必要のあることはいうまでもない。
  2 民事執行法上の取扱
    ゲームソフトが頒布権の付着する著作物の複製物として著作者の許諾なく譲渡できないのであれば、差押、売却もできなくなり、差押禁止動産とすべきことになる。しかし、民事執行法は頒布権の付着する著作物の複製物について差押禁止動産としていない(民事執行法一三一条参照)し、差押禁止動産とする合理性、必要性も全くない。

  3 古物営業法上の取扱
    古物営業法は、古物の買受けなどの場合に、原則として、相手方の住所・氏名などを確認などする義務を定めつつ、一定の金額未満のものなどを例外とし(一五条一項)、さらにその例外として「特に当該確認又は文書の交付の必要があるものとして国家公安委員会規則で定める古物に係る取引をする場合」を定め(一五条一項一号括弧書)、古物営業法施行規則は、「確認等の義務を免除する古物等」について「国家公安委員会規則で定める古物」として「専ら家庭用コンピュータゲームに用いられるプログラムを記録した物」を定め(一六条二項二号)、「専ら家庭用コンピュータゲームに用いられるプログラムを記録した物」とは、「テレビゲーム、パソコンゲーム等のゲームソフトのことで、カセット式、フロッピー式等型式を問いません。」とされており(警察庁生活安全局生活安全企画課監修・財団法人全国防犯協会連合会編著『新古物営業法 ー実務の手引きー』(東京法令出版一九九六年)、また、古物営業法施行規則は、古物営業法五条一項三号に関し、二条で「古物の区分」について一号から一三号まで規定しており、一〇号で「道具類(…磁気記録媒体、蓄音機用レコード、磁気的方法又は光学的方法により音、影像又はプログラムを記録した物等)」と規定している。ゲームソフトがこれらの規定に該当することは明らかである。すなわち、古物営業法はゲームソフトの中古販売が合法であることを前提にしている。
  4 独占禁止法上の問題
    著作権法は、かなり政策的要素の強い法であり、その解釈に当たって、権利者と社会一般の利益の調和、つまり創作へのインセンティヴを確保しつつ社会の発展を阻害しない調和点を模索すべきであって、競争法的な要素も十分考慮されるべきである。ゲームソフトに消尽しない頒布権を認めると、自由な流通を阻害する結果を招来することになり、ゲームソフトの市場における公正な競争を阻害し、著作権法が映画の著作物に頒布権を与えた趣旨を逸脱する結果を招来するから、独占禁止法に違反する(同行為は独占禁止法第二三条の著作権法による権利の行使と認められない。)。また、中古ゲームソフトの販売を頒布権に基づいて禁止することは権利の濫用に該当する。

  5 環境問題
    環境問題が深刻であるがゆえに、国際機関レベル、国家レベル、地方自治体レベル、企業レベル、市民レベルで非常に多様で懸命な努力が行われている。製品の再使用は環境保護の一つの柱であるから、中古品違法論は環境保護の促進に真っ向から背馳するものである。ゲームソフト業界だけが人類的課題を尊重しないことが許されると考えるべきでない。したがって、環境保護の観点からも中古販売を禁止することを容認するような著作権法の解釈は正当といえない。
  (被控訴人らの当審主張) 
 一 映画の著作物の該当性
  1 表現方法の要件
     表現方法の要件において求められているのは、「映画の効果」に「類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる」という「方法で表現されていること」である。
     (一) 映画の効果

       ここでいう「映画の効果」とは視聴覚的側面における効果である。
     法二条三項の文言のうち「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」との部分は、ベルヌ条約ストックホルム会議における公式提案にあった「works expressed by a process producing visual effects analogous to those of cinematography」との部分を採用したものであるが、その意味するところは、「映画の視覚的効果に類似する視覚的効果を生じさせる方法により表現された作品」という意味であり、法二条三項にいう「映画の効果」が映画の視覚的又は視聴覚的効果をいうことが明らかである。
     (二) 視覚的又は視聴覚的効果としての「映画の効果」
        「映画」とは、「多数の静止画を連続投影することにより眼の残像現象を利用して動きのある画像として見せること」(岩波書店「広辞苑第五版」)であり、この「映画」の一般的な定義にもみられる「目の残像現象を利用して動きのある画像として見せる」という視覚的な「効果」及びトーキー映画におけるような連続影像と音声・背景音楽・効果音等との同期による聴覚的な「効果」こそが法二条三項にいう「映画の効果」である。

    (三) 映画の効果に「類似する」視覚的又は視聴覚的効果
        法二条三項にいう「映画の効果」とは、「目の残像現象を利用して動きのある画像として見せる」という視覚的な「効果」及びトーキー映画における連続影像と音声・背景音楽・効果音等との同期による聴覚的な「効果」であるから、これに「類似する」視覚的効果又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されているかどうかが問題となり、また、「類似する」ものであることが求められているのであるから、必ずしも「同一」である必要はない。
     (四) 視(聴)覚的効果が「表現方法」に求められる。
       法二条三項は、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されること」を求めているのであって、表現の内容たる「思想・感情」や表現物の「利用態様」における映画との類似性が求められているのではない。

       ベルヌ条約ストックホルム規定は、ブラッセル規定の「映画に類似する方法で得た(映画に類似する過程により製作された)produced by a process analogous to cinematography」という表現を「映画に類似する方法で表現されたexpressed by a process analogous to cinematography」という表現に変更した。
       法二条四項(写真の著作物の定義)は、「この法律にいう『写真の著作物』には、写真の制作方法に類似する方法を用いて表現される著作物を含む」と規定しており、映画の著作物とは異なり、「製作方法」の類似性に着目した定義規定となっている。映画の著作物に関する法二条三項と写真の著作物に関する法二条四項とは意識的に書き分けられた。
       したがって、劇場用映画とは全く異なる「思想・感情」を表現するものであっても、その表現方法が類似していれば映画の著作物であり、表現物の利用態様が異なっても、表現方法の視聴覚的効果において類似性があれば映画の著作物となる。

   (五) 要件の充足
     本件各ゲームソフトは以上のような表現方法の要件をすべて備えている。
  2 内容の要件
     (一) 法二条三項が著作物性を求めた理由
        法二条三項が特に著作物性を求めて内容の要件が必要であることを明示した理由は、ストックホルム会議の結果を踏まえ、著作物性のない単なる録画物を映画の著作物から除外することを明らかにするためである。
     (二) 視覚的効果における創作性の内容
       映画の著作物に求められる創作性は、独創性の有無を問わないものであり、他の著作物に求められる創作性と同じである。
     一九〇八年のベルリン改正条約の段階では映画の著作物のみに著作物一般と異なる特殊の創作性を求めるという考え方が存在しており、劇映画のように「出来事incidentsの組合せ」によって独創的性質を付与されていることが映画著作物たることの要件であった。ローマ改正条約は、単なる風景や街頭の雑件を写実的に撮影したものもまた映画著作物の概念のなかに含めることとするとともに、独創性を有する映画と独創性を欠く映画とを共に映画著作物であるとしつつ、その保護の内容に区別を設け、この考え方が旧著作権法の昭和六年(一九三一年)改正の際そのまま採用されたが、現行法は、独創性を欠く映画と劇映画を典型とする独創性を有する映画とを区別するべきでないという立法判断を明示的に行って、法二条三項を設けた。

     (三) カット、モンタージュ等
     右の創作性は「視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる表現方法」において求められるものであるが、そのことは、カメラワークの工夫、モンタージュあるいはカット等の手法、フィルム編集などなんらかの知的な活動が行われ、創作性がそこに加味される必要があることを意味する。ベルヌ条約ストックホルム会議において、ウルマー博士がカットやモンタージュ「等」の映画的手法に適合したものでなければならないと説明しているのも、カットやモンタージュだけに限定して創作性の有無を判断するという趣旨ではなく、カメラワークその他の視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法も含まれる。
     (四) 内容の要件の充足
      本件各ゲームソフトにおいて、著作者が視点及び視線方向を設定し、ある視点から見た三次元的な影像を描くとともに、登場人物の動き等に合わせて視点及び視線方向をダイナミックに移動させ、さらにズームイン・ズームアウト等の技法を用いることによって迫力のある影像を創作しており(カメラワークの工夫)、また、その登場人物の動き方を創作し、光源の位置を設定して明暗及び影をつけ、その明暗及び影を登場人物等の動きに合わせて変化させるライティング(照明演出)を行い、背景及び操作対象の登場人物以外の登場人物をも動画によって表現し、さらに影像と音響・音声効果を同期させ、どの段階で視点の切替え(アングル切替え)や場面の切替え(カット)を行うか、ある状況において次にどのような影像を画面に表示させて一つのシーン(場面)を構成するかの創意工夫(モンタージュ)をしている。

       本件各ゲームソフトの製作の手法はアニメーション映画に近い。アニメーション映画では、監督(演出家)は、あらかじめ自己の演出意図を絵コンテ等によって表現し、ショットの構成やタイミング、カメラワークを含む作品成立にかかわるすべての表現要素を示した絵コンテをいわば作品の完全設計図として具体的な影像が作成されていくので、実写映画におけるフィルムの切貼りによる編集が絵コンテ段階で行われているといえる。ゲームソフトの著作者は、ゲーム画面において何を描き、どのような視覚的又は視聴覚的な効果を持たせるのか、また、どのような場面状況になったときにどのような影像を表示させ、それをどのように展開させていくのか等をあらかじめ絵コンテ等により詳細にわたって設計・演出し、そこに作品の創作意図を表現していくのであるから、著作者の意図を創作的に表現する編集行為が存在している。右編集行為は、プレイヤーの操作・選択による変化をも織り込んだ上で、あらかじめ設計・演出された視覚的又は視聴覚的表現をプレイヤーに体感させるものであって、高度の創作性を持ったものである。そして、本件各ゲームソフトはプレイヤーの操作を前提としないで連続影像が展開される部分とプレイヤーの操作を前提として連続影像が展開される部分とが有機的に連結して全体として一つの著作物を形成している。プレイヤーは、あらかじめゲームソフトの著作者によって創作・演出された視覚的効果又は視聴覚的効果及び基本的な場面展開のパターンの範囲内において、限られた操作・選択をするにすぎず、プレイ中の画面において表現される影像は、プレイヤーの操作によって異なるとはいえ、その細部にわたるまでゲームソフトの著作者によって視覚的又は視聴覚的効果が創作・演出されているものであり、ゲームソフト著作者によって想定されていない視覚的又は視聴覚的表現が画面上に生じることはない。本件各ゲームソフトの一連の連続影像は、プレイヤーの操作による選択を前提としつつ、ゲームソフトの著作者によって創作・演出されているのであって、ゲームソフト著作者自身の視聴覚的表現行為が行われ、その視聴覚的表現行為において著作者の思想・感情の創作性ある表現が十分認められる。
  3 存在形式の要件
     (一) 固定を求めることの意味
       著作権法は映画の著作物についてのみ物に固定されていることを要件としている。
       ベルヌ条約は映画の著作物自体の定義においては固定を要件としていない。ストックホルム規定以前のベルヌ条約は、「舞譜及び無言劇の著作物」について固定性を要求していた。ストックホルム会議で、舞譜及び無言劇の固定の要件を廃止するとともに、一般的に、同盟国は全部又は一部の著作物についてそれが有形物に固定されていることを保護の要件とすることができる旨の規定を設けた。この規定は、法律によっては、著作物を確認し、他人の提供したものとの混同を避けるため固定を必要としているものがあることから、同盟国にその裁量の余地を与えるものである。右のとおり、同盟国が保護の要件として固定を求めることができることの意味は、ある著作物と他人の著作物との混同を避け、その著作物の存在を立証するという点にある。

    (二) わが国が映画の著作物に固定を求めた理由
       右のとおりベルヌ条約二条(2)において著作物一般に関する規定として固定性を求める権能が同盟国に留保されたため、条約上、わが国はこれを活用し、テレビの生放送番組のように、放送と同時に消えて行く性格のものを映画の著作物として保護しないということにした。わが国が映画の著作物に固定性を求める国内立法をした動機がテレビの生放送を排除する点にあったことは明白である。固定性の要件は、生成と同時に消滅していく連続影像を映画の著作物から排除するために機能するものにすぎず、著作物が何等かの方法により物に結びつくことにより、その存在、内容及び帰属等が明らかとなる状態にあれば、右固定性の要件を充足する。
     (三) 本件各ゲームソフトは、著作者により創作された一つの作品としてCDーROMという媒体に固定され、プログラムに基づいて抽出された影像についてのデータがディスプレイ上の指定された位置に順次表示されることによって全体として連続した影像となって表現され、そのデータがCDーROM中に記憶されており、本件各ゲームソフトの海賊版やこれを模倣した他のゲームソフトが現われたとき、他のゲームソフトとどのように区別されるのかを明らかにすることができるから、その存在、内容及び帰属等が明らかとなる状態にある。

       なお、本件各ゲームソフトにおいては、プレイヤーによるコントローラの具体的操作に基づいて、画面上に表示される影像の内容や順序がプレイヤーによって選択され、各回のプレイごとに異なるが、いずれも、当該ゲームソフトのプログラムによってあらかじめ設定された範囲内であり、著作者によって創作されていない影像が画面上に表示されることはないのであるから、常に同一の影像及び音声が連続して現われないからといって、物に固定されていないということはできない。
 二 頒布権の消尽
  1 著作権法の条文の構造上からして消尽論を適用する余地はない。
   (一) 著作権法は、著作物一般については頒布権を認めず、著作権を侵害する行為によって作成された物を情を知って頒布する行為を著作権侵害行為とみなす旨の規定を設けている(法一一三条一項二号)反面、映画の著作物についてのみ、他の著作物一般には認められていない頒布権を認め(法二六条一項)、映画の著作物をその複製物により頒布する権利を著作権者に専有させている。このことは、とりもなおさず著作権を侵害する行為によって作成された物であるか否かを問わず、映画の複製物により頒布する権利を著作権者に専有させていることを意味し、映画の著作物の頒布権について消尽論を適用する余地はない。

   (二) 現に、映画の著作物の頒布権は、特許権と異なり、第一譲渡後も消尽しない権利として一般的に理解されてきたのであり、その行先を指定する権利として認められている。複製物の行先等をコントロールする権限を認めることは、最初の譲渡に関してではなく、その後の譲渡に関してこそ、実質的な意義がある(平成一〇年一二月の著作権審議会第一小委員会のまとめ。甲一一。)。
   (三) 昭和五九年の著作権法の改正により、著作物一般について認められた貸与権(二六条の二。現行法二六条の三)は、複製物が適法に譲渡された後であっても行使できることが当然の前提となっているところ、貸与権の対象となる著作物から映画の著作物が明示的に除外されたのは、映画の著作物には貸与を含む頒布権が認められており、改めて貸与権を定める必要がなかったことによることが明らかであって、立法担当官もその旨を明言している(甲七九)。著作権法は、「頒布」の定義規定を二条一項一九号に設け、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい」と譲渡と貸与とを一体のものとして定義した上、二六条において、頒布権を認めたのであるから、譲渡と貸与とで区別し、一方については消尽するが他方については消尽しないと解釈する余地はない。

  2 法二六条の立法趣旨からして消尽論を適用する余地はない。
   (一) 法二六条の立法趣旨は、映画の複製物が譲渡によって流通することを前提とし、複製物の所有者による譲渡の自由に対し、著作権者保護の観点から制限を加えようというところにある。著作権法は、映画の著作物の著作権者に対し、複製物の最初の譲渡にとどまらず、その行先を指定する権利としての頒布権を認めたのであり、その頒布権の具体的内容には、頒布先、即ち譲受人又は借受人を限定したり指定したりすること、頒布場所を限定・指定したりすること、時間的に頒布期間を限定することが含まれる。
   (二) 法二六条は、「譲渡」と「貸与」との複合概念である「頒布」について著作権者にコントロールする権限を認めたものであり、「貸与」についてのみ著作権者のコントロールを認めたものではない。このことは、頒布権が複製物の「貸与」による流通だけでなく、複製物の「譲渡」による流通を前提とし、これを著作権者のコントロールの下に置くのが法二六条の立法趣旨であることを意味している。

     すなわち、実質的にみても、複製物の所有者と著作権者とが一致する場合には、頒布権を認めなくとも、その者は、複製物の所有権によって当該複製物の利用、収益、処分をコントロールすることができ、頒布権が格別の意味を持つのは、複製物の「所有者」と「著作権者」とが分離する場合においてであって、法が複製物により公衆に譲渡する権利を認めたのは、著作権者でない者により複製物が公衆へ譲渡されることを想定しこれに対しても著作権によるコントロールを行おうとしたからであって、それ以外に理由はない。映画の著作物については、その著作権が法二九条一項により原則として映画製作者に帰属しており、また、劇場用映画のフィルム原版の所有権も映画製作者に帰属するから、原則としてフィルム原版の所有者と著作権者が一致する。フィルムの所有者と著作権者とが分離するのは、映画製作者又はその許諾を受けた者により当該フィルムの第一譲渡がなされた後のことであり、法二六条が複製物の譲渡を著作権者によるコントロールの下に置いたのも、第一譲渡後のフィルムの所有権移転を想定しているからであって、そうでなければ頒布権に実質的な意味はない。
  3 法二六条の二の立法経過からして消尽論を適用する余地はない。
   (一) 一般の著作物については、平成一一年の著作権法改正により「譲渡権」が認められたが、右譲渡権は「譲渡権を有する者又はその許諾を得た者により公衆に譲渡された場合」には消尽することになっている(法二六条の二第二項一号)。これに対し、映画の著作物については、かような明文による例外規定は設けられておらず、従来から著作物の行先を指定する権利としての頒布権が認められていると解されている。この頒布権が一般に販売されている市販ソフトとしてのビデオ・カセット等に適用があることは、少なくとも解釈論として異論がない(東京地裁平成六年七月一日判決知裁集二六巻二号五一〇頁など)。映画の著作物を収録したビデオ・カセット等は、既に現行著作権法施行以前から商品化され、ある程度の普及をみているところ、これに頒布権が存在しないという解釈論を取る余地はない。

   (二) もっとも、立法論としては、頒布権を市販のビデオ・カセット等にそのまま認めていくことについては、将来のビデオ・ソフトの利用発達程度あるいは利用態様に鑑みて、法改正を要するのではないかとの指摘もあり、譲渡権創設の審議過程において、頒布権が劇場用映画の配給という実態を踏まえた権利であってビデオ・ソフト等の円滑な流通を図るために権利が消尽するとすべきではないかとの意見や、映画の著作物がビデオ化された後も頒布権が消尽しないことを前提とした流通秩序が既に存在することから引き続き頒布権を消尽しないこととする必要があるとの意見があり、様々な議論があったが、頒布権が消尽するかどうかということは取引秩序に重大な影響を与えることであって、従来の映画の著作物の取扱を変更すべき決定的な理由も見出し難いとの理由から、平成一一年改正においても、従来の規定を維持することになったという経緯がある(平成一〇年一二月の著作権審議会第一小委員会の審議のまとめ。甲一一。)。
  4 劇場用映画について第一譲渡行為により消尽しない頒布権が認められるにもかかわらず、映画の著作物である本件各ゲームソフトについて消尽するという解釈は取れない。
    本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当するにもかかわらずこれらについて頒布権の消尽を認めるという解釈を取った場合、少なくとも劇場用映画については第一譲渡行為により消尽しない頒布権が認められるから、同じ映画の著作物について、消尽する頒布権と消尽しない頒布権という二つの異なった権利を認める結果となる。しかしながら、平成一一年の著作権法改正に伴い、映画以外の著作物についての譲渡権に関し、第一譲渡行為後に消尽することが明文で規定された(法二六条の二第二項)ことをも考慮すると、同じ頒布権について、条文の規定もなしに消尽を認めるものと消尽を認めないものという異なった権利を認める解釈をすることは、解釈論の域を越えたものであり、認められない。

  5 特許権に関する最高裁判所平成九年七月一日判決(民集五一巻六号二二九九頁・BBS事件)で示された国内消尽論に関する論旨は本件には適用されるべきでない。
   (一) BBS事件最高裁判決では、傍論において特許権の国内消尽について論旨が展開されているが、特許法とは異なり、著作権法は映画の著作物についての頒布権が第一譲渡行為後においても消尽しないことを前提にしているのであるから、特許権に関する右判決を引用して、右頒布権について国内消尽を論ずること自体がそもそも的外れである。
   (二) のみならず、実質的にも、BBS事件最高裁判決の論旨は映画の著作物についての頒布権に適用されるべきでない。
     BBS事件最高裁判決の「一般に譲渡においては、譲渡人は目的物について有する全ての権利を譲受人に移転し、譲受人は譲渡人が有していた全ての権利を取得するものであり」「市場での流通に置かれる場合でも、譲受人が目的物につき特許権者の権利行使を離れて自由に業として使用し再譲渡などをすることができる権利を取得することを前提として、取引行為が行われる」という前提(譲渡当事者間における合理的意思の推認ないし特許権者による黙示の許諾)は著作物の複製物の譲渡において成立していない。

     特許権においては、特許製品は発明が反映された「物自体」の利用価値・交換価値に着目して取引されるのが通常であり、「実施」概念も「物自体」の使用価値・交換価値を中心にして構成されている(特許法二条三項一号)ため、「譲受人が目的物につき特許権者の権利行使を離れて自由に業として使用し再譲渡などをすることができる権利を取得することを前提として、取引行為が行われる」という実情がある。これに対して、著作物は「物自体」というよりもむしろ「物」に化体された「表現物」に着目して取引が行われるうえ、著作権では多くの支分権が規定されておりその利用形態が極めて多様であるため、著作物の複製物が譲渡された場合、たとえそれが著作権者の許諾を得て複製された物であっても、当該複製物を用いた公衆送信や公衆に対する貸与など支分権の対象となる行為について別途著作権者の許諾を得ない限り各支分権侵害となることが当然に予定されており、一般の取引においても、そのように認識されている。特に、映画の著作物に関しては、貸与権が譲渡権と一体不可分の権利である頒布権として規定されているため、第一譲渡行為後の頒布権についての消尽を認めることは第一譲渡行為後の貸与権について消尽を認めることに他ならず、このような事態が取引の実情に反することは明らかである。したがって、映画の著作物の複製物が譲渡されるにあたっては、一般論として、「譲受人が目的物につき権利者の権利行使を離れて自由に業として使用し再譲渡などをすることができる権利を取得することを前提として取引行為が行われる」という前提が成り立ち得ない。また、本件各ゲームソフトには、いずれも、中古販売を禁止する旨が明確に表示されており、本件に即して具体的に考えても、右のような前提(譲渡当事者間における合理的意思の推認ないし特許権者による黙示の許諾)が成り立つ余地はない。
     次に、「仮に、特許製品について譲渡等を行う都度特許権者の許諾を要するということになれば、市場における商品の自由な流通が阻害され、特許製品の円滑な流通が妨げられて、かえって特許権者の利益を害する結果をきたす」という点(商品の自由な流通の阻害の防止ないし取引の安全保護)についても、著作物の複製物の譲渡に関しては当てはまらない。

     すなわち、特許製品は発明が反映された「物自体」の使用価値・交換価値に着目して取引がされる。通常、特許製品であるかどうか、仮に特許製品であるとしても、どの部分が誰のどのような特許を実施しているのか譲受人にとって明らかではないし、取引を行う当事者間においてもそれらの点について意識されていないのが通常である。したがって、特許権者等により国内で譲渡された特許製品については、譲受人が、特許権と密接不可分に結びついた「物自体」の所有権者として使用収益処分し得るようにしておく必要がある。これに対し、著作物は、「物自体」というよりもむしろ「物」に化体された「表現」に着目して取引が行われる。譲受人はまさに無体物たる著作物そのもの(表現)を鑑賞するために複製物を購入するのであり、具体的な「物」である複製物は「著作物」(表現)を提示する際に使用される「器(うつわ。媒体。)」にすぎない。譲受人は、当該複製物がある特定の著作物(表現)の複製物であることを当然知って取引を行っているのであるから、物の所有権者としては可能な使用・収益・処分が、著作権法上の観点から別個の制限を受けることを当然に予見でき、かかる著作権法上の観点からの制限により取引の安全を害される結果とならない。そして、本件各ゲームソフトには、いずれも、中古販売を禁止する旨が明確に表示されているのであるから、具体的に考えても、市場における商品の自由・円滑な流通が妨げられるおそれはない。また、著作権においては、著作物の複製物が譲渡された後、その複製物を貸与したり公衆送信したりする場合には、その都度著作権者の許諾を得る必要があり、元来そのような性質を有する著作権に関し、第一譲渡行為後の譲渡についてもその都度許諾を得る必要があると解したからといって、商品の円滑な流通が妨げられるという事態が新たに引き起こされることはない。したがって、商品の自由な流通の阻害の防止という観点についても、特許製品の譲渡と著作物の複製物の譲渡とを同列に考えることはできない。
     さらに、「特許権者は、特許製品を自ら譲渡するに当たって特許発明の公開の対価を含めた譲渡代金を取得し、特許発明の実施を許諾するに当たって実施料を取得するのであるから、特許発明の公開の代償を確保する機会は保障されているものということができ、特許権者又は実施権者から譲渡された特許製品について、特許権者が流通において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しない。」(特許権者の二重の利得の禁止)という点についても、映画の著作物の頒布権については妥当しない。
     すなわち、特許権の場合には、その実施概念は「生産」「譲渡」「貸渡し」「使用」等多岐にわたってはいるものの、特許発明が「生産」を通じて特許製品に具現化すると、以後、特許発明の経済的価値は、具現化した「物」(特許製品)の使用価値や交換価値と密接不可分に一体化したものとなる。そこで、特許権者が特許製品を譲渡する際に取得する譲渡対価には、通常、当該特許発明の経済的価値に対する対価の支払が含まれていると解せられる。言い換えれば、特許権者は、特許製品を市場において譲渡することによって、特許発明の公開の代償を確保する機会が保障されているのであり、以後の「譲渡」「貸渡し」「使用」等に対して、再び特許権を行使して対価を得ることは、かえって「二重の利得」を得ることになるのである。これに対して、著作権の場合は、著作物は「物自体」というよりもむしろ「物」に化体された「表現物」に着目して取引が行われるうえ、多くの支分権が規定されておりその利用形態が極めて多様であるため、著作物の複製物の譲渡代金には当該著作物を利用することの対価のすべてが含まれているわけではなく、また、著作物を創作したことの代償を確保する機会が譲渡代金の取得機会によって確保されているものでもない。したがって、映画の著作物の頒布権について消尽を認めなくともBBS事件最高裁判決が懸念するような二重の利得が生ずるおそれはない。
  6 実質的にも本件各ゲームソフトには消尽しない頒布権を認めることが妥当である。
   (一) 投下資本の巨大性及び投下資本回収の必要性
     一般的に、ゲームソフトは、プロデューサー、ディレクター、キャラクターデザイン担当者、映像担当者、サウンド担当者、プログラマー、シナリオライター等多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作されており、本件各ゲームソフトもその例外ではない。その反面、ゲームソフトは、一般的に言って、視聴者(需要者)に比較的短時間で満足感を与えるものであり、特に、人気ゲームソフトにおいては、新作発表後二ないし三ヶ月で中古品販売数量が新品販売数量を上回ることも少なくない。かかるゲームソフト製作及び流通の実情に照らせば、ゲームソフト(特に本件各ゲームソフトのような人気商品)については、消尽しない頒布権を認め、投下資本の回収を図る機会を与えるべき十分な合理性があるというべきである。

   (二) 現代社会におけるデジタル著作物保護の必要性
     現代社会においては、映画の著作物についてはもちろんのこと、映画の著作物以外の著作物においても、特にデジタル化された著作物の場合には、複製物の中古品が公衆に対して販売されることによって新品の販売と異ならない著作物の享受をエンドユーザーに与えることがある。そこで、中古販売業者が新品と異ならない著作物の享受を公衆に提供し、かつ、著作物の公衆への提供行為それ自体によって経済的利益を上げることに対しては、映画の著作物以外であっても、著作権者が何らかの権利を行使できるとすべきであるという考え方が有力である。映画の著作物については、既に現行法において頒布権が設けられているのであり、現代社会においては、頒布権による中古販売の規制は、もはや解釈論上やむを得ないが立法論としては否定されるべきものではなく、むしろ積極的にその現代的意義が肯定されるべきものであり、映画の著作物に付与された頒布権を何らの制限規定がないのに消尽する権利であると解釈することは、現代社会において、複製物の再利用ともいうべき中古販売からデジタル著作物を保護する必要があるという実質的観点からしても合理的でない。

   (三) 消尽しない頒布権を認めないと控訴人らが不当な利益を享受する。
     本件における控訴人らの販売行為は、フランチャイズチェーンを展開するなどして、組織的かつ大量に本件各ゲームソフトの中古品を購入・再販売するというものである。かかる中古品販売形態においては、控訴人らが同一のゲームソフトを繰り返し購入・再販売することにより、不特定多数又は特定多数の者に継続・反復してゲームソフトを利用させる結果をもたらし、あたかも公衆に対し中古品の貸与を行うのと同一の効果を生じさせることになる。すなわち、右のような形態でのゲームソフトの中古品販売は、著作権者が譲渡の際に予定していない貸与の効果を生じさせることになる反面、中古ゲームソフト販売業者が貸与利益に相当する利益を不当に利得するという不合理な結果をもたらす。

第三 当裁判所の判断
   当裁判所は、争点1、2については、原審と同じく、本件各ゲームソフトは「頒布権のある映画の著作物」に該当すると判断するが、争点3については、原審と異なり、本件各ゲームソフトについて認められる頒布権は第一譲渡によって消尽すると判断するものである。
   以下、その理由を述べる。
 一 争点1(映画の著作物性)についての判断の理由は、次に付加訂正するほか、原判決「事実及び理由」中の第三の一(四二頁一〇行目から六〇頁一行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
  1 原判決の訂正等
    四五頁一〇行目の「一八号」を「一七号〔平成一一年法律第七七号による改正後のもの〕」と改め、四九頁四行目の「後記二の2でも示すとおり、」を削る。
  2 控訴人らの当審主張一について

   (一) 控訴人らは、争点1の「映画の著作物」該当性について、重ねて前記第二の一1のとおり主張するが、採用することができない。
    (1) 証拠(甲一七、四九、五〇、七六、八二、乙六八ないし八二〔以上枝番を含む。以下同様。〕)及び弁論の全趣旨によれば、昭和四六年(一九七一年)一月一日施行の現行著作権法(以下単に「法」ともいう。)二条三項の制定過程は以下のようであったと認められる。
     ア 明治三二年七月一五日施行の旧著作権法(一部改正後のものを含む。)は、映画を第一次的著作物としての映画と他人の著作物を映画化して作られた二次的著作物としての映画とに分けて規定し、前者に関しては独創性の有無によってその保護期間に区別を設け、独創性を欠くものについては一般の著作物よりも短い写真の著作物の保護期間(発行後一〇年)によるものとしていた(二二条ノ二、二二条ノ三、二三条)が、これらはベルヌ条約ローマ規定(一九二八年)の内容をそのまま取り入れたものであった。

     イ 一九四八年のベルヌ条約ブラッセル規定は、「映画的著作物及び映画に類似する方法で得た著作物」という表現で保護すべき著作物の一として映画の著作物を明示的に規定し、ベルヌ条約ローマ規定一四条(2)が「活動写真的製作物」につき独創的性質を有するものと独創的性質を有しないものとを区別して規定していたものを廃止し、創作性につき他の一般著作物と同様のものとした。
     ウ さらに、一九六七年の同条約ストックホルム規定は、保護を受ける著作物(二条)として、ブラッセル規定が著作物の例示中舞譜及び無言劇の著作物について固定されている(演出が文書又は他の方法で定められた)ことを保護の要件としていたのを廃止し、一般的に、同盟国は、全部又は一部の著作物についてそれが有形物に固定されていることを保護の要件とすることができる旨の規定を設けた(二条(2))。また、ブラッセル規定の「映画に類似する方法で得た(映画に類似する過程により製作された)produced by a process analogous to cinematography著作物」という表現を「映画に類似する方法で表現されたexpressed by a process analogous to cinematography著作物」という表現に変更した(二条(1))。

       ストックホルム会議の公式提案は、いわゆるテレビジョン著作物の保護を目的として、映画に類似する視覚的効果を生ずる方法で表現された著作物で固定されているものを映画的著作物とみなすものとしていたが、同会議は、単なる影像の連続を感得せしめるものとしての映画との類似性よりも、より著作物性に重点を置いた影像のモンタージュやカット等の手法的な類似性によって映画類似の著作物を捉えようとしたものである。このことによって、著作物の例示の上ではテレビジョン著作物をも含めて固定のいかんにかかわらず映画に類似する方法で表現されているものは映画としての保護の対象となるが、国内法は保護の要件として固定を要求することができるものとなった。
     エ 現行著作権法は、以上のベルヌ条約ブラッセル規定に即応し、同条約ストックホルム改正規定をも踏まえて立法されたものであり、保護すべき著作物の一として映画の著作物を明示的に規定し、独創性を有する映画と独創性を欠く映画とを区別しないこととし、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的方法で方法で表現されたものであることを要するとともに、テレビの生放送番組のように放送と同時に消えて行く性格のものを映画の著作物として保護しないということで固定の要件を規定し、現行法二条三項を設けた。

    (2) 右の立法経過に照らすと、ベルヌ条約が、映画の著作物に関し、創作性を他の一般著作物と同様のものとし、次に、著作物性に重点を置いた影像のモンタージュやカット等の手法的な類似性によって映画類似の著作物を捉えてテレビジョン著作物をも含めて固定のいかんにかかわらず映画に類似する方法で表現されているものが映画としての保護の対象となるが、国内法で固定を要求することができるものとし、現行著作権法がこれに基づきテレビの生放送番組のように放送と同時に消えて行く性格のものを映画の著作物としては保護しないということにして固定の要件を規定したのであるから、法二条三項は、第一に、創作性につき他の一般著作物と同様のものとし、第二に、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で「表現され」ることを求めているのであって、表現の内容たる「思想・感情」や表現物の「利用態様」における映画との類似性を求めていないというべきである(この点は、法二条四項[写真の著作物の定義]が「この法律にいう『写真の著作物』には、写真の製作方法に類似する方法を用いて表現される著作物を含む」として映画の著作物に関する法二条三項と異なり「製作方法」の類似性に着目した表現で規定して区分けされていることによっても裏付けられる。)。そして、第三に、表現が「物に固定」されることは、テレビの生放送番組のように放送と同時に消えて行く性格のものを映画の著作物として保護しないということで要件とされたのであるから、一定の内容の影像が常に一定の順序で再生される状態で固定されるというような特別の態様を要求するものでないことは明らかであり、法二条一項一四号にいう「録画」の定義としての「影像を連続して物に固定」するのとは異なるというべきである。  
    (3) 証拠(甲四三、七二、七三、七七、当審での検証の結果)によれば、アニメーション映画では、あらかじめ演出意図を絵コンテ等によって表現し、ショットの構成やタイミング、カメラワーク等作品成立にかかわるすべての表現要素を示した絵コンテを作品の設計図として具体的な影像が作成されること、ゲームソフトにおいても、その著作者は、ゲーム画面において何を描き、どのような視覚的又は視聴覚的な効果を持たせるのか、また、どのような場面状況になったときにどのような影像を表示させ、それをどのように展開させていくのか等をあらかじめ絵コンテ等により詳細にわたって設計・演出し、そこに作品の創作意図を表現し、その際、プレイヤーの操作・選択による変化をも織り込まれること、本件各ゲームソフトにおいては、プレイヤーの操作を前提としないで連続影像が展開される部分と、プレイヤーの操作を前提として連続影像が展開される部分とが有機的に連結して、全体として一つの著作物を形成しており、いずれも、アニメーション映画の技法を使用して製作されていること、以上の事実が認められる。

      右の事実によれば、本件各ゲームソフトは、アニメーション映画におけるのと同様、ショットの構成やタイミング、カメラワークを含む作品成立にかかわるすべての表現要素をまとめた編集行為が絵コンテ段階で行われ、プレイヤーの操作・選択による変化をも織り込んで、著作者の意図を創作的に表現する編集行為が存在しているのであり、プレイヤーによる操作を前提としつつ、これを想定した上で著作者がいかに見せるかという観点から視聴覚的効果を創作的に表現しているというべきであって、前記引用にかかる原判決記載のとおり、本件各ゲームソフトは、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的方法で表現され、かつ、創作性があって著作物性を有し、右表現がプログラム化されてCDーROMに収録されて固定されているから、映画の著作物に該当するというべきである。
   (二) 控訴人らは、前記第二の一2のとおり、劇場用映画を典型とする映画の著作物と本件各ゲームソフトとの相違を指摘し、本件各ゲームソフトは映画の著作物に該当しないと主張する。
     控訴人らが指摘強調する右の相違点それ自体は、当裁判所もこれを肯認するに吝かではないが、これらはもっぱら表現の内容たる思想・感情ないしは表現物の利用態様における相違をいうものであるから、前記(一)で説示したところに照らすと、これらの相違点があることをもって、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当するとの前記判断を左右することはできないというべきである。
     控訴人らの主張は、劇場用映画から抽出した特質をもって映画の著作物の要件とした上で、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当しないとするものであって、独自の限定解釈を前提とするものというほかない。

 二 争点2(頒布権の有無)について
  1 著作権法は、映画の著作物について、著作権者が頒布権を専有する旨を定めており(法二六条一項)、映画の著作物の中で頒布権を認めるものとそうでないものとの区別をしていない。したがって、争点1で判断したとおり、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上、著作権者である被控訴人らは本件各ゲームソフトについて頒布権を有することになる。
  2 控訴人らは、本件各ゲームソフトについては頒布権を認める前提を欠き、頒布権付の映画の著作物に該当しないと主張する(控訴人らの当審主張二)。
   (一) 現行著作権法二条三項の制定過程でベルヌ条約の規定が反映され、その趣旨を内容とする立法がされたことは前記認定のとおりであるところ、証拠(甲一七、二六、乙六の1ないし3、一一の1ないし3、二一の1ないし3、五七、六八ないし七七、七九、八〇)及び弁論の全趣旨によれば、さらに、次の事実が認められる。

    (1) 旧著作権法は映画著作権の内容として頒布権の規定を置いていなかったが、現行著作権法への改正に際し、ベルヌ条約ブラッセル規定(一九四八年)が映画の著作物について頒布権を認めていたから、これに即応して、映画の著作物の頒布権を定める必要があった。一方、右改正の当時、劇場用映画について、映画製作会社や映画配給会社は、オリジナル・ネガフィルムから少数のプリント・フィルムを複製し、映画館経営者に対してプリント・フィルムを貸し渡すにとどめ、上映期間が終了した際に返却させ、あるいは指定する映画館へ引き継がせるといった形態の配給制度を慣行として維持・運営しており、映画フィルムの配給権という社会的取引の実態があった。ここに、映画の配給とは、製作された映画著作物すなわち著作権を有するネガフィルムをプリントに複製し、これを上映するために映画館(興業者)に一定期間貸し出すことをいうと観念されていた。そして、映画フィルムは、経済的な効用度が高く、一本のフィルムによって多額の収益を上げることができ、右のような配給制度の下で取り引きされている実態に照らすと、流通に大きな影響力を与える頒布権を認めても、取引上の混乱が少ないと考えられた。その結果、行先を指定する権利として、頒布先(譲受人又は借受人)、頒布場所、頒布期間を限定したり指定するものとしての頒布権が認められた(法二六条)。
    (2) また、新たに、法二条一項一九号は、映画の著作物を含む著作物一般に関する「頒布」概念として前段(「複製物を公衆に譲渡し、又は貸与する」こと)を規定し(以下「前段頒布」という。)、映画の著作物のみに適用される「頒布」概念として後段(これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与すること」)を規定(以下「後段頒布」という。)した。
    (3) 一方、現行著作権が制定された昭和四五年当時、放送事業者によって製作されたフィルム、ビデオテープは存在したが、本件のようなゲームソフトは存在せず、訴外任天堂が「ファミリーコンピューター」を発売した昭和五八年頃から、ゲームソフト(の複製物)は、大量に生産され、直接、大衆に対し大量に販売され、平成九年のゲームソフト新品は、売上本数が約一億本、販売額約五三七七億円(国内約三八九九億円、海外約一四七八億円)で、中古品は、売上本数が約四〇〇〇万本、販売額約一三九五億円であり、前記映画の配給とは全く異なる流通、取引形態を取っている。

   (二) 右事実によれば、控訴人らの主張するように、法二六条は、劇場用映画の配給制度という取引実態を踏まえて、映画の著作物について頒布権という特別の支分権を認めて作られた規定であるところ、本件各ゲームソフトの流通、取引形態は、右劇場用映画の配給制度とは全く異なるものであるということができるが、しかし、そのことから、直ちに、本件各ゲームソフトが頒布権を有しない映画の著作物に該当するとすることはできない。けだし、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上、法二六条が適用されることになるのは当然であって、明文によって認められる権利を否定するにはそれだけの十分な理由付けが必要であるところ、右事由は、未だ本件各ゲームソフトについて頒布権を否定するに足りるだけの理由に至っていないというべきだからである。
     なお、平成一一年法律第七七号による改正により、映画の著作物以外の著作物について譲渡権の規定が新設された(法二六条の二)ことに照らしても、控訴人らのような解釈を採ると、本件各ゲームソフトは、法二六条、二六条の二のいずれにも該当しないことになり、著作物のうち唯一譲渡権の認められないものを肯定するという不相当な結果を招くことになる。
 三 争点3(頒布権の消尽等)について
  1 前記のとおり、当裁判所は、本争点については、消尽を積極に解する控訴人らの主張に左たんするものである。
    すなわち、被控訴人らは、本件各ゲームソフト(各パッケージに中古販売を禁止する旨が記載されている。右取扱いは一般的に平成一〇年頃から始められた。)を一次卸店を通じて、卸店、小売店を経由して最終ユーザーに譲渡されるまでの各販売につき許諾(黙示的)をしたものであるところ、控訴人ライズは、フランチャイザーである控訴人アクトの指導の下に、ゲームソフト販売店を開設して営業し、本件各ゲームソフトを最終ユーザーから購入した上、一般公衆に対して販売したことが認められる(前記引用に係る原判決記載の前提となる事実、検甲一ないし六の各一、弁論の全趣旨)から、本件各ゲームソフトは、小売店を経由して最終ユーザーに譲渡され、いったん市場に適法に拡布されたものということができ、そうすると、権利消尽の原則という一般的原則により、被控訴人らは、少なくとも最終ユーザーに譲渡された後の譲渡につき頒布禁止の効力を及ぼすことができないというべきである。

    以下にその理由を述べる。
  2 著作権法の領域において消尽の原則が適用されるのは同法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づく。
   (一) 特許権に権利消尽の原則が認められることは一般に承認されている。特許権の消尽理論は、特許権の効力を特許製品の流通過程に及ぼすことが自由競争ないしは取引の安全を害することとなることから、特許権者と一般公衆の利益との調整を特許製品が流通に置かれる時点で考慮するものということができる。特許制度の目的は、権利者に独占的な実施を認めることによりその利益を保証して発明へのインセンティヴを増すことにあるが、その効力は常に公共の利益とのバランスにより決定されなければならず、商品が転々流通することは産業発展にとって必須であるので、特許権がそれを阻害するような制度であってはならないという優れて政策的な判断から権利消尽の原則という理論が肯定される(最高裁判所平成九年七月一日判決・民集五一巻六号二二九九頁[BBS事件]参照)。

     すなわち、特許権は、発明の保護及び利用を図ることにより発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的として認められたものであり、特許発明の保護範囲を明確にした上で公開するという方法で、一方では特許発明者に公開の代償として一定期間の独占的利用権を与えてこれを保護することにより研究開発のインセンティブを図り、他方、万人がこれを共通の知識資源として研究開発する道を開いて自由競争を行わせることにより、産業上の技術の発達を図る点が眼目であって、特許法による発明の保護は社会公共の利益との調和の下において実現されなければならないものである。そして、資本主義経済の繁栄と拡大の前提をなす所有権の絶対と自由契約を内容とする自由な商品生産・販売市場の維持、保護は、産業の発達と経済の繁栄を達成するという社会公共の利益の重要な前提をなしている。
     しかるところ、特許制度自体、研究開発上の自由競争を促すことにより産業の発達と経済の繁栄との達成を目的とするものであって、特許権それ自体の保護が自己目的化することは避けなければならない。したがって、第一に、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となる限りにおいて権利消尽の原則が認められ特許権の効力が否定されるのは、市場経済の本質に根ざし、特許法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づくもので、特許法の明文の法律の規定の有無にかかわらない論理的帰結であり、第二に、特許権の効力を権利者以外の行為に及ぼすことが自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となる限りにおいて権利消尽の原則が働くのであるから、特許権の権利者及び特許権の権利者以外の者の行う生産、使用、譲渡等の具体的行為態様の如何により権利消尽の原則の適用の有無が定まり、特許権の内容である生産、使用、譲渡等をする権利の効力を及ぼすことの有無が定まることとなる。
   (二) 著作権においても、ことは同様であって、有形的な商品取引の行われる場合、すなわち著作物自体又は著作物の有形的再製物(複製物。以下単に「複製物」という。)につき商品取引の行われる場合、自由な商品取引という公共の利益と著作者の利益との調整として、消尽の原則が適用されると解するのが相当である。
     けだし、(1) 著作権法による著作物の保護は、社会公共の利益との調和の下において実現されなければならないものであるところ、(2) 一般に譲渡においては、譲渡人は目的物について有するすべての権利を譲受人に移転し、譲受人は譲渡人が有していたすべての権利を取得するものであり、著作物又はその複製物が市場での流通に置かれる場合にも、譲受人が目的物につき著作権者の権利行使を離れて自由にこれを利用し再譲渡などをすることができる権利を取得することを前提として、取引行為が行われるものであって、仮に、著作物又はその複製物について譲渡等を行う都度著作権者の許諾を要するということになれば、市場における商品の自由な流通が阻害され、著作物又はその複製物の円滑な流通が妨げられて、かえって著作権者の利益を害する結果を来し、ひいては「著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与する」(法一条参照)という著作権法の目的に反することになり、(3) 他方、著作権者は、著作物又はその複製物を自ら譲渡するに当たっては、著作物の利用の対価を含めた譲渡代金を取得することができ、また、著作物の利用を許諾するに当たっては、著作権料を取得することができるのであるから、著作権者が著作物を公開することによる代償を確保する機会は保障されているものということができ、したがって、著作権者から譲渡された著作物又はその複製物について、著作権者がその後の流通過程において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しないということができる(前記最高裁判所判決参照)からである。
     すなわち、著作権法は、著作物の公正な利用に留意しつつ、著作者の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とするものであり、そもそも、「思想及び感情を創作的に表現したものであって、文学、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」である著作物自体、公衆に広く公開・利用・鑑賞されることを本来的目的として包含しており、その内実に沿った利用を認める一方、著作者の権利を保護することにより、創作のインセンティブを図り、もって社会と公衆の文化の発展を図る点が眼目であって、著作権法による著作物の保護は社会公共の利益との調和の下において実現されなければならないものである。そして、資本主義経済の繁栄と拡大の前提をなす所有権の絶対と自由契約を内容とする自由な商品生産・販売市場の維持、保護は、右社会公共の利益の大きな部分を占めるものであり、現代資本主義市場経済の下における著作権の保護は、自由な商品生産・販売市場の発展のうちにその実現が保障される関係となっている。

     したがって、第一に、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となる限りにおいて権利消尽の原則が認められ著作権の効力が否定されるのは、市場経済の本質に根ざし、著作権法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づくもので、著作権法の明文の法律の規定の有無にかかわらない論理的帰結であり、第二に、著作権の効力を権利者以外の行為に及ぼすことが自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となる限りにおいて権利消尽の原則が働くのであるから、著作物の権利者及び著作物の権利者以外の者の行う頒布等の具体的行為態様の如何により権利消尽の原則の適用の有無が定まり、著作権の各種支分権のうち、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得る頒布等の権利の効力を及ぼすことの有無が定まることとなる。
   (三) 被控訴人らは、著作物については物に化体された表現物に着目した取引が行われるとして、特許権との違いを強調し、権利消尽の原則に関するBBS事件最高裁判決の法理が著作物一般に適用されるべきでないと主張する(前記第二の被控訴人らの当審主張二5)が、著作物の性質上、物に化体された表現物に着目した取引が行われることは当然としても、そのことを根拠として権利消尽の原則の適用を排除することはできないというべきである。このことは、後記3のとおり、平成一一年改正後の法二六条の二、WIPO著作権条約、各国の立法例において、著作物一般について権利消尽の原則が採用されていることに照らしても明らかである。

  3 被控訴人らは、現行著作権法の条文の構造、法二六条の立法趣旨、法二六条の二、三の制定経過等に照らして、本件各ゲームソフトに消尽論を適用する余地はないと主張する(前記第二の被控訴人らの当審主張二1ないし4)ので、検討する。
   (一) 前記のとおり、第一に、権利消尽の原則が認められるのは、著作権法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づくもので、著作権法の明文の法律の規定の有無にかかわらない論理的帰結であり、第二に、著作物の権利者及び著作物の権利者以外の者の行う頒布等の具体的行為態様の如何により権利消尽の原則の適用の有無が定まり、著作権の各種支分権のうち、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得る頒布等の権利の効力を及ぼすことの有無が決せられるものと解される。

     したがって、法二六条所定の頒布権は、その権利内容からして自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得るから、当然に権利消尽の原則という一般的原則に服するものであり、ただ、具体的行為態様において、自由な商品生産・販売市場を阻害するものでない場合には、例外的に権利消尽の原則の適用を免れることになると解するのが相当である。
     被控訴人らの主張が、法二六条所定の頒布権は権利として例外なく当然に権利消尽の原則が適用されないという趣旨であれば、頒布権が譲渡の権利をも内容とすることを無視するものであって、相当でない。このことは、特許法において、特許権が特許発明にかかる物等の生産、使用、譲渡等をする権利を内容としている旨の明文の規定(特許法六八条、二条三項)があるにもかかわらず、権利消尽の原則の適用が排除されないということによって裏付けられる。すなわち、特許権も、譲渡等の権利を内容としているからこそ、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得て権利消尽の原則の適用が肯定されるのであり、同様に、法二六条所定の頒布権も、譲渡の権利をも内容とするからこそ、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得て権利消尽の原則の適用が肯定されることになるのである。

   (二) そこで、次に、本件各ゲームソフトについて、例外的に権利消尽の原則の適用が排除される余地はないかどうかを検討する。
    (1) 現行著作権法の制定経過は、前記一2、二2で認定のとおりであって、法二六条所定の頒布権は、映画著作権の内容として頒布権の規定を置いていなかった旧著作権法の改正に際し、映画の著作物について頒布権を認めていたベルヌ条約ブラッセル規定(一九四八年)に即応する必要があったところから、昭和四五年に成立した現行著作権法において導入されたものであるが、その当時、我が国の社会的事実として、劇場用映画に関する配給制度(映画製作会社や映画配給会社がオリジナル・ネガフィルムから少数のプリント・フィルムを複製し、これを映画館経営者に貸し渡すにとどめて、上映期間が終了した際に返却させ、あるいは、指定する別の映画館へ引き継がせるという取引慣行実態)が存在したのであって、このような取引実態を前提として、映画の著作物に頒布権を認めても取引上の混乱が少ないと考えられた結果、右の立法がなされたものと認められる。

      また、法二六条と同時に制定された法二条一項一九号は、「頒布」の定義として、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい、映画の著作物又は映画の著作物において複製されている著作物にあっては、これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含むものとする。」と規定し、映画の著作物を含む著作物一般に関する「頒布」概念としての前段頒布と映画の著作物だけに関する「頒布」概念としての後段頒布とを定めている。
      しかし、後記(二)の平成一一年の改正に至るまでは、現行著作権法には、権利の消尽に関する規定は存在しなかった。
      なお、現行著作権が制定された昭和四五年当時、放送事業者によって製作されたフィルム、ビデオテープは存在したが、本件のようなゲームソフトは存在していなかった。

    (2) 昭和五九年の著作権法の改正により、映画の著作物を除く著作物の著作権者に貸与権を認める旨の規定(二六条の二)が設けられ、さらに、平成一一年法律第七七号による改正により、右の貸与権の規定が二六条の三に繰り下げられ、新たに譲渡権に関する現行の法二六条の二が設けられた。この規定は、映画の著作物を除く著作物一般について、著作権者に「その著作物をその原作品又は複製物の譲渡により公衆に提供する権利を占有する。」として、譲渡権を認めるとともに(一項)、この譲渡権は、譲渡権を有する者により譲渡された複製物等には及ばないことを明記し、譲渡権が第一譲渡によって消尽することを明らかにしている(二項)。
      前者の昭和五九年の改正は、貸レコード業が昭和五六年に登場して急速に全国に広がり、その利用者の多くが借りたレコードからテープに録音するため、レコードの売上げが減少し、著作者、実演者、レコード製作者の経済的利益に影響を与えるという事態が生じたことを契機として、貸レコード以外の著作物の複製物の貸与も対象とする一般的な内容の権利として貸与権の規定が設けられたものである。また、後者の平成一一年の改正は、一九九六年(平成八年)一二月に採択されたWIPO著作権条約(乙二四、二五)が著作物一般に頒布権を認めたことから、我が国の著作権法においても、著作物一般に頒布権を認める必要があるとの判断により、前記の規定が新設されたものである。

    (3) ベルヌ条約に定められた頒布権が第一頒布後の消尽を否定するものであることを示唆する資料はなく、むしろ、ベルヌ条約上頒布権は第一頒布に限定されることを示唆する資料が存在する。すなわち、WIPOにおけるベルヌ条約議定書の検討のための事務局文書では、「この規定の頒布権とは著作物の著作物の最初の公衆への頒布行為に適用されるのみであり、一旦頒布された後の再頒布には及ばない(BCP/CE/I/3 パラ 123,124)」と説明されており(平成七年二月著作権審議会マルチメディア小委員会ワーキング・グループ検討経過報告―マルチメディアに係る制度上の問題について。乙二一)、少なくともベルヌ条約上の頒布権が第一頒布後の消尽を否定するものであるとはいい難い。
      また、各国の立法例をみると、控訴人らが主張するように、多くの国では、映画の著作権を含む著作権一般について頒布権を認める場合には、第一譲渡ないし公衆への最初の提供によって消尽するとの法制が採られていることが認められる(乙二六ないし三二)。

    (4) 以上の諸点を総合すると、法二六条所定の頒布権には本来権利消尽の原則が働くが、前記のような配給制度に該当する商品取引形態(後段頒布)は、流通に置かれる取引の態様からして自由な商品生産・販売市場を阻害する態様とならないといえるから、権利消尽の原則の適用されない例外的取引形態というべきであり、このような取引については右の原則は適用されず、著作者の権利が及ぶと解するのが相当であり、昭和四五年に法二六条により映画の著作物について頒布権が導入されながら、その消尽について何らの規定もされなかったのは、劇場映画に関する配給制度という我が国特有の取引形態を前提とすれば、そのような映画の著作物に頒布権を認め、その消尽について特段の定めをしなくても、取引上の混乱を生じることはないと考えられた結果であるということができる。
      すなわち、映画の著作物についても、第一譲渡により適法に公衆に拡布された後にされた譲渡のように、およそ前記の配給制度が予想していないような場合(前段頒布)には、前記1、2で説示した原則どおり頒布権は消尽し著作権の効力が及ばないものと解し、配給制度に相応した後段頒布についてのみ権利消尽の原則の適用されない頒布権を認め、公に上映する目的で映画の著作物の複製物が譲渡又は貸与された場合には、著作者の権利が及ぶと解するのが相当である。平成一〇年一二月の著作権審議会第一小委員会のまとめ(甲一一)その他立法担当者等の見解において、映画の著作物の頒布権が消尽しないという趣旨をいう部分は、右のことを前提としたものとして了解することが可能である。
      また、法二六条の頒布権に含まれる貸与権も、権利消尽の原則によって否定される対象とならないというべきである。けだし、前記昭和五九年の貸与権規定の制定経過に明らかなとおり、貸与権は、複製権と密接な関係を有し、複製利用を内容とする著作権の特質を反映した権利というべきところ、このような貸与権が第一譲渡により消尽するとすれば、一回の許諾に対応した対価のみで複数の複製を許諾したのと同様の結果を招くことになり、不当だからである。

      この点につき、被控訴人らは、法二六条所定の頒布権に、消尽するものと消尽しないものの二種類を認めることは許されないと主張するが、右に説示したところに照らすと、被控訴人らの主張は理由がない。
    (5) また、被控訴人らは、法二六条の二、三の譲渡権及び貸与権の規定の新設に際し、映画の著作物が明文で除外されたことの反対解釈として、映画の著作物の頒布権は例外なく消尽しないと解すべきであると主張する。
      右の立論は、形式論理としては一理あり、これをむげに否定することはできないけれども、立法者としては、消尽しない頒布権が認められる映画の著作物の範囲を明確にすることを避け、これを解釈に委ねて立法的に解決することを留保したものと考えることが可能であって、前記のような解釈が十分成り立つというべきである(この点については、本件のような紛争を防止するためにも、前記の映画の著作物の概念をも含めて、早期に立法的解決が図られるべきである。)。

    (6) 以上によれば、本件各ゲームソフトについて、権利消尽の原則の適用が排除される余地はないということになり、被控訴人らの前記主張は採用することができない。
  4 被控訴人らは、実質面等からしても本件各ゲームソフトに消尽しない頒布権を認めるのが妥当と主張する(前記第二の被控訴人らの主張二6)。
   (一) 証拠(甲一二、三二)によれば、ゲームソフトは、プロデューサー、ディレクター、キャラクター・デザイン担当者、映像担当者、サウンド担当者、プログラマー、シナリオライター等多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作される場合も多く、右のような傾向は、ゲーム機の高性能化とも相まって最近では一層顕著になってきており、ゲームの内容も影像・音楽の技術的な進歩による視聴覚的表現方法の向上が著しく、映画との差が小さくなり、本件各ゲームソフトについてみても、その製作に多大な費用(本件各ゲームソフトの宣伝広告費を除いた平均製作費は約九億五〇〇〇万円程度に達する。)、時間及び労力を要したものであることが認められる。

     右事実によれば、本件のようなゲームソフトは、多数の者により多額の費用と時間をかけて製作される場合も多く、本件各ゲームソフトについても、その製作に多大の費用、時間及び労力を要したものであることが認められ、この点では劇場用映画に類似するということはできる。
     しかしながら、一方、証拠(乙五七)によれば、ゲームソフトの複製物は、大量に生産され、直接、大衆に対し大量に販売され、平成九年のゲームソフト新品は、売上本数が約一億本、販売額約五三七七億円(国内約三八九九億円、海外約一四七八億円)であり、劇場映画の配給制度とは全く異なる方法で流通していることが認められ(なお、中古品は、売上本数が約四〇〇〇万本、販売額約一三九五億円である。)、この方法による投下資本の回収ができる流通実態を取っているといい得るから、当然に流通実態の全く異なる劇場用映画と同一方法による投下資本の回収の機会を与えることに合理性があるということはできない。

     そうすると、被控訴人らゲームソフトの著作権者は、第一段階の販売(譲渡)の機会に、適正な価格を設定することにより、投下資本の回収を図ることが可能というべきであるから、前記の事実があるからといって、権利消尽の原則を排除する根拠とすることはできないというべきである。
   (二) また、本件各ゲームソフトの各パッケージに中古販売を禁止する旨が記載されているが、このような記載により中古業者がユーザーから新品又は中古品のゲームソフトを購入した後にした販売の効力(所有権移転等の効力)を法律上否定できないことは明らかであり、また、権利消尽の原則は、取引の客観的態様・性質により適否が定まるものであって、取引当事者の個別的意思表示よりその適否が左右されるものでないから、右記載により権利消尽の原則の適用を排除し得ない。

   (三) 新品又は中古品のゲームソフトを購入したユーザーが、これを中古業者に売却して出捐した資金の一部を回収した上、新たに新品又は中古品のゲームソフトを業者から購入する(業者が販売する)ことは、後者の購入が経済的に貸与の機能を果たすといえる面がないではないが、前者の売却と後者の購入とは別の物品について行われている上、いずれも所有権移転行為であることはいうまでもないから(自由な商品生産・販売市場を阻害しないということは法律上の問題として考えられるべきである。)、権利消尽の原則が適用されることに変わりはない。
  5 ゲームソフトの複製物は、大量に生産され、直接、大衆に対し大量に販売され、本件各ゲームソフトは、一次卸店を通じて、卸店、小売店を経由して最終ユーザーに譲渡されたのであるから、劇場用映画におけるような例外的商品取引形態でなく、いったん市場に適法に拡布されたものということができ、そうすると、権利消尽の原則という一般的原則により、被控訴人らは、少なくとも最終ユーザーに譲渡された後の譲渡につき頒布禁止の効力を及ぼすことができないというべきである。

 四 結語
   以上によれば、原判決は不当であり、本件控訴は理由があるから、主文のとおり判決する。


       大阪高等裁判所第八民事部

                     裁判官    若  林     諒            

                     裁判官    西  井  和  徒            

   裁判長裁判官鳥越健治は転補のため署名押印することができない。

                     裁判官    若  林     諒