Last Modified: 2022年10月8日(土)19時04分28秒

株主代表訴訟(実務対応編)

(初出:『平成5年改正商法の実務と対策』(第一法規 1993年))
松本直樹

 本の題名の通り、商法の平成5年改正についての解説の1章です。この本は、第二東京弁護士会の研究会で共同執筆したものです。私が担当した部分は、株主代表訴訟についてのこの実務対応編でした。

 この平成5年改正の後、株主代表訴訟が話題になることが非常に増えました。この文章の6 見込まれる影響で指摘したところは、結構あたっているところもあるように思います。しかし、野村証券事件のように、あまりに明白な非合法行為が堂々と行われているというのは、筆者の想像以上のことでした。こういう場合にも、株主代表訴訟ということになるようですが(この部分は1997年6月23日に記載)、これほど明白な違法行為の場合には、代表訴訟を待つまでもなく会社が自ら責任追及をするべきです。

(2022年7月追記: 2022年7月13日の東電事件地裁判決をうけて、2.7 控訴の手数料はどうなるか(2022年7月加筆)6.10 東電事件(2022年7月加筆)を加筆し、ついでに体裁を整えました。株主代表訴訟での控訴の印紙代について、今まで十分に考えていませんでした。なお、これら以外の箇所は昔のままです、法改正などもあるわけですが、手を入れ始めると切りが無く、かえって矛盾を来してしまいそうですので。)


目次

1 株主代表訴訟  

 商法267条は、会社の取締役に対する請求について、株主が会社に代わって訴訟を遂行する途を開いている。

1.1 手続

 同条1項は、「6月前より引続き株式を有する株主は会社に対し書面を以って取締役の責任を追及する訴の提起を請求することを得」とし、これを受けて2項が「会社が前項の請求ありたる日より30日以内に訴を提起せざるときは前項の株主は会社の為訴を提起することを得」と規定している。

 6ヶ月という期間は要求されているものの、株数の下限は規定されていない。端株主ではだめだが、たとえ僅か1株の株主であっても(単位未満株主を除く)、代表訴訟を提起することが許される。

 1項の規定する訴え提起の請求を会社を代表して受けるのは、監査役である(商法275条ノ4)。ただし、資本の額が1億円以下でかつ負債の合計金額が200億円未満の会社(監査特例法22条の規定するいわゆる小会社)については、取締役会が定めた者がこの役割を果たすことになる(監査特例法24条および25条)。いずれにしても株主は、会社に対する請求から30日が経過すれば、2項によって会社に代わって取締役に対する責任追及の訴えを提起することができる。

 なお、30日の経過を待っていたのでは「会社に回復すべからざる損害を生ずる虞ある場合」には、会社に対して訴え提起を請求した後直ちに自ら訴えを提起することが許される(267条3項)。

1.2 対象となる取締役の責任

 法制度としては、会社の有する様々な種類の債権について代表訴訟を許すこともあり得る。現にアメリカの多くの州の制度では、株主代表訴訟の対象には、必ずしも限定は無いようである。

 我国では、商法267条が代表訴訟の対象を「取締役の責任」としている。まずこの文言から、米国とは違って、取締役に対する請求だけが株主代表訴訟の対象となることが明らかである。さらにこれを、取締役として会社に対して負うに至った責任だけが代表訴訟の対象とし得る趣旨であると解することも可能である。しかし、取締役に対する請求はすべて代表訴訟の対象となり得ると解するのが通説であると言われている(『新版注釈会社法(6)』360頁。ただし、同書の著者は制限的に考えるのを正当とする)。

1.3 取締役としての責任

 通説に従うにしても、実際上は、取締役としての責任が重要であるには違いない。すなわち、266条1項の1号から5号までに規定される責任および280条ノ13の規定する資本充実責任が主な問題となる。

 266条1項の責任については、取締役会決議に基づいてなされた行為が問題となる場合には、決議に賛成した取締役は全員その行為を自らしたものとみなされてしまう(同条2項)ことに注意が必要である。それも、議事録に異議をとどめない限り決議に賛成したものと推定される(同条3項)から、多くの場合に全取締役が責任を追及されることになる。

1.4 監査役に対する代表訴訟

 株主代表訴訟の規定は、商法280条1項により、監査役についても準用されている。ただし、監査役が会社に対して負う責任については、277条が「監査役が其の任務を怠りたるときは其の監査役は会社に対し連帯して損害賠償の責に任ず」とするだけで、266条1項のような個別的な責任要件を列挙した規定はない(監査役会制度が設けられたため、監査役会決議に基づいて職務を執行する場合の手当が必要となったことから、新設の監査特例法18条の4第1項によって266条2項および3項は準用されることになったが、266条1項の準用はない: なお、第3章を参照)。

2 従来の問題点とその改正  

 制度としては代表訴訟の用意があったものの、これまで、その実効は必ずしも上がってはいない。

2.1 手数料の問題

 実効性が上がっていなかった理由の1つとして、訴訟提起にあたって多額の手数料の納付(印紙の貼付)が必要とされていることが指摘されてきた。

 問題となるような役員の責任は、相当に大きな金額となることも少なくない。請求金額を基準として手数料の納付を求めるならば、大規模な請求の場合には、手数料も膨大なものとなってしまう。

 原告となった株主は、たとえ株主代表訴訟で勝訴しても直接には得るものはない(会社が受け取るだけである)。このため、わざわざ多額の印紙代を負担して訴え提起をしようというのは、相当に特殊な場合に限られてしまう。このように、手数料納付義務の障害によって代表訴訟の実効が上がっていなかった面がある。

2.2 請求額説と95万円説

 今次の改正の前でも、高額の請求の場合にも僅かな額の手数料で良いとする見解もあった。いわゆる「95万円説」である。金井繁二他『訴額算定に関する書記官事務の研究』(裁判所書記官研修所実務研究報告書・法曹会 1992年)105頁以下は、「会社が受ける利益を訴額とする見解」(いわゆる「請求額説」)が通説であると紹介しながらも、「代表訴訟によって受ける経済的利益を算定困難であるとして、その訴額を民訴費用法4条2項を類推して95万円とすべきであるとする見解」を支持している(ちなみに民訴費用法4条2項は「財産権上の請求でない請求に係る訴えについては、訴訟の目的の価額は、95万円とみなす。」と規定している)。

 他の法領域では、95万円説に相当する見解が最高裁判例となっているものがある。地方自治法242条の2第1項4号に基づいて地方公共団体の住民が提起する損害賠償請求訴訟、いわゆる住民訴訟である。最判昭和53年3月30日(民集32巻2号485頁)は、住民訴訟における「訴を以て主張する利益」は、地方公共団体の損害が回復されることによってその訴えの原告を含む住民全体の受けるべき利益であり、その算定は極めて困難であるから民訴費用法4条2項に準じて定めるとする(当時の規定により、訴額を35万円、手数料を3350円とした)。

 この住民訴訟の場合と同じ論理が株主代表訴訟においても妥当すると考えることは十分に可能なはずである。しかしまた、住民訴訟の場合の公益性を強調して、会社の請求権の実現を図るものである株主代表訴訟は違うとする立論もあり得るところであった。

2.3 日興証券事件

 日興証券事件東京高裁判決は、法改正に先立って、解釈論として95万円説をとったものである。

 日興証券事件で問題となったのは、一部の顧客に対して証券取引に関して生じた損失を補填するなどした行為、いわゆる損失補填である。原告らは、これが違法であると主張して、補填のために使われた470億7500万円を会社に返還するよう求めた。訴え提起にあたって原告らは、訴額は算定不能であり民訴費用法4条2項の類推によって95万円とみなされるとして、手数料として8200円分のみを納付した。

 東京地方裁判所は、請求額470億7500万円が訴額になるとして、これに対応する手数料2億3538万2600円の納付を求め、既に納付されている8200円との差額を追加納付するように補正命令を発した。しかし、原告らは補正期間内にこれを納付しなかった。そこで裁判所は、不足額を納付しない本件訴えは不適法であるとして却下した(平成4年8月11日・金融・商事判例915号15頁・資料版/商事法務101号37頁)。

 原告らは東京高裁に控訴した。東京高裁は、手数料は8200円で足りるとして、原判決を取り消し事件を東京地裁に差し戻した(平成5年3月30日・資料版/商事法務109号70頁)。直接的な理由付けとしては、株主代表訴訟において「訴えをもって主張する利益」は「全株主が受ける利益」であり、「その価額を具体的に算定する客観的、合理的基準を見出すことも極めて困難であるから、結局、費用法4条2項に準じて95万円とするのが相当である。」としている。また、これを補足する議論として、「株主代表訴訟の濫用の防止については、手数料納付の制度のみによって達成されるべきものではなく、現に他の手段(商法267条4項の担保提供の制度など)が法定されている」とか、手数料が高額になると「この訴訟で株主が勝訴しても弁護士報酬を会社に請求できる以外に直接利益を受けるわけではないことに照らすと、正当な権利行使としての提訴をも抑制する方向に強く働く結果となり、この訴訟の存在意義を失わせることになりかねない」といった指摘もしている。

2.4 一部請求

 請求額説の下であっても、一部請求の形をとることによって高額の手数料の問題を事実上回避することが可能である、との指摘もある。たとえば、上記の日興証券事件東京地裁判決も、一部請求によって「所期の目的を達成することができる」ことをもって請求額説をとる根拠の1つとしている。高額の損害を主張するにしても、手続的にはその一部としての限定された額を訴額として請求することにより、その小さな訴額に対応しただけの印紙で済ませるわけである。そして、勝訴した後に(または勝訴が見込まれるようになった後に)、残額を請求する(または請求を拡張する: 原告株主がやらなくても、会社が自ら請求することになる場合も多いはずである)。

 しかし、この方法には限界がある。被告役員が本格的に争った場合には、訴訟が相当に長期化することも稀ではない。一方、一部請求の場合には、時効中断の効果は請求部分のみに生じ残部には及ばないとするのが判例である(最判昭和34年2月20日・民集13巻2号209頁)。したがって、一部請求の方法をとったのでは、より額の大きい残部が消滅時効にかかってしまう可能性がある。なお、時効期間は、民法167条1項による10年ということになるものと思われる。商法522条による商事債権の5年になる余地もないではないが、役員としての委任契約自体は商行為というわけではないものと思われ、さらに、問題となる責任は役員の義務違反によって成立するものであってこの点でも商行為によって生ずるわけではないからである(最判昭和50年2月25日・民集29巻2号143頁参照)。

 実は、日興証券事件東京地裁判決は、この消滅時効の問題にも言及している(括弧書きになっているが)。しかし、「会社が消滅時効の中断の効力を得るために自らが訴えを提起する場合よりも、手数料の負担において軽減されるべき合理的な理由はないから、それはやむを得ないことである。」として、なお請求額説を維持した。

2.5 新法

 この度の改正により、両説の対立は立法的に解決され、手数料額は8200円とされた。

 条文上は、267条に「前2項の訴は訴訟の目的の価額の算定に付ては財産権上の請求に非ざる請求に係る訴と看做す」とする4項が新設された(同時に、従前の4項および5項が、必要な修正の上でそれぞれ5項および6項とされた)。

 民訴費用法は、「訴訟の目的の価額」に応じて手数料の額を定めているが、同法4条2項は「財産権上の請求でない請求に係る訴えについては、訴訟の目的の価額は、95万円とみなす。」としている。そこで、商法267条4項の新設により95万円に対する手数料額である8200円が株主代表訴訟における手数料額となった。

 経過規定としては改正法附則3条が、施行(平成5年10月1日)前に提起された訴訟の訴額の算定についてはなお従前の例によるとしている。そこで、改正法施行までに訴えを提起する場合には、請求額説による取扱の可能性が残ることになる。しかし、前述の日興証券事件東京高裁判決もあることであり、95万円説による取扱が支配的になるであろう(仮に、裁判所が請求額説をとるなら、原告としては10月1日以後に提起し直すことになるだけである: したがって、実務的な感覚からすれば、改正法施行前であっても請求額説をとる合理性は極めて乏しい)。

 新法では、会社が請求するよりも、株主が代表訴訟で請求する方が手数料が廉く済むようになった。これにはアンバランスな面も確かにある(日興証券事件東京地裁判決が言うように)。しかし、代表訴訟ができるのは、取締役に対する責任追及という、極めて限定された場面だけである。元来、何についても手数料納付を求めなければならないという理由もないのであり、特に問題とするほどのことではないように思われる。

2.6 調査費用等

 手数料額についての267条4項が新設されるとともに、268条ノ2第1項が改正され、勝訴した株主は「其の訴訟を行ふに必要と認むべき費用にして訴訟費用に非ざるものを支出したるとき」は「其の費用の額の範囲内」「に於て相当なる額の支払を請求すること」ができるようになった。この新設部分に該当するものとしては、調査費用等が考えられている。

 従来の268条ノ2第1項は、勝訴した株主が「弁護士に報酬を支払うべきとき」について、「其の報酬額の範囲内に於て相当なる額の支払を請求することを得」とだけしていた。すなわち、弁護士報酬以外の費用については、条文上は、償還を請求する根拠は特になかったのである。もっとも、解釈論として、弁護士報酬以外についても請求できるとする見解もあったが、少数説にとどまっていた(『新版注釈会社法(6)』381頁)。

 代表訴訟を提起するには、当然のことながら、訴訟費用および弁護士報酬以外にも費用が必要となる。これをすべて株主の自己負担とするのでは、代表訴訟を提起しようとする株主にとって酷である。こうした費用も会社のためのものであるから(特に、株主が勝訴した場合には、その費用によって会社が現実に利益を得ているのであるから)、これをすべて株主の自己負担とするのは正当ではない。そこで、調査費用等の償還を可能とする立法がなされたわけである。

 経過規定である改正法附則2条により、施行前に提起された訴訟であっても、施行後に判決が確定したものについては、改正法の適用がある。

2.7 控訴の手数料(印紙代)はどうなるか(この項は2022年7月加筆)

 東電の株主代表訴訟の東京地裁判決(2022年7月13日)を切っ掛けにして、控訴の際の手数料額(控訴状の印紙代)が問題になると思われました。

 一般的に、控訴の際にも、訴状と同様に手数料を納める必要があります。控訴状に印紙貼付するのが原則です。民事訴訟費用等に関する法律の3条1項が「別表第一の上欄に掲げる申立てをするには、申立ての区分に応じ、それぞれ同表の下欄に掲げる額の手数料を納めなければならない。」とし、その別表第一の1項が訴訟提起について定めるのに続いて、2項が「控訴の提起(四の項に掲げるものを除く。)」について「一の項により算出して得た額の一・五倍の額」と規定しています(なお、四の項というのは原審が却下判決だった場合の規定です)。訴訟提起についての1項の下欄では、「訴訟の目的の価額に応じて、次に定めるところにより算出して得た額」として金額計算を規定していて、それの1.5倍が控訴の手数料というわけです。

 ここでは余り親切に書かれていませんが、金額計算では、訴状では「訴訟の目的の価額に応じて」の計算になるところ、控訴では普通は不服の分の価額に基づく計算をします。

 株主代表訴訟では、上記の2.5で言及の商法267条4項を引き継いだ条文が、会社法847条の4第1項となっています(この条文が枝番号付きなのが、どういう経過によるものなのか、恥ずかしながら存じません。会社法の当初からあった条文のはずと思われ、なのに枝番号が付いているのは不思議です)。それが「...訴訟の目的の価額の算定については、財産権上の請求でない請求に係る訴えとみなす。」と規定しています。それで「財産権上の請求でない請求に係る訴え」ということになるので、民訴費用法4条2項で「百六十万円とみなす」とされ、この結果、訴状の貼用印紙額は1万3000円となります(昔は95万円とされて手数料額は8200円だったものが変わっています)

 訴状では上記の条文により1万3000円だったわけですが、控訴ではどうなるのでしょうか。

 可能性としては、一つは、訴状についてと同じに「財産権上の請求でない請求に係る訴え」として、控訴では1.5倍にして1万9500円とすることです。いま一つは、地裁判決の認容金額に基づいて計算することです。後者だと、今回の東電事件の地裁判決認容額は計13兆3210億円ですので、手数料が199億円余りという非現実的な金額になります、これだと現実的には控訴は不可能です。

 どちらも可能性はありそうです。まず前者の方向で言えば、会社法が「財産権上の請求でない請求に係る訴え」となると規定しているので、その控訴もかかる「訴え」であり(その続審である)、1万9500円だ、という理屈です。ある面ではこれは文理に忠実かも知れません。

 しかしこの会社法の規定の趣旨からは、後者を支持する議論も可能です。もともと、原告が自分で受け取ることを請求しているのではないことが、財産権上の請求ではないとする理由だと思われ上記2.3の日興証券事件控訴審判決の言うように)、現在の条文もそういう意味だと考えることは十分に可能です。これに対して、請求を認容した一審判決に対する控訴では、控訴人は自分の負担する義務を否定する請求をしているのであり、これは株主代表訴訟の原告の立場とは違います。まさに自分にとっての財産的な(取消の)請求をしているものです。条文の文理についても、会社法847条の4第1項は「第八百四十七条第三項...の責任追及等の訴えは」としており、そうした控訴はこれから外れるというのもあり得ると思われます。

 実例はあるはずですが(地裁で認容された例が多くはないので、実例は多くはありませんが、あるにはありますから)、十分に争点になって判断された例は無いようです。実例でどう扱われたか、裁判例としては表示されたものを見付けられていません。どちらかでの処置がされているはずですが、特に争点とならなければ、裁判例にもならないので、知るのは困難です。

 どちらもあり得るので、この地裁判決を否定したいなら、前者をとって控訴を認める、ということになるかも知れません。余り理論的ではないですが、現実的にはそういう判断の仕方がありそうです。実際の結論がどうなるかは分かりませんが。。

(以上、2022年7月に加筆)

3 償還請求の手続とその範囲  

 268条ノ2第1項により勝訴株主は費用等の償還を請求できるが、その具体的範囲については、今回の改正による部分については勿論、従前から認められている弁護士報酬についても不明な点が多い。さらに、償還請求のための手続についてはまったく未解明である(株主原告の勝訴が確定した例がこれまで殆ど知られていないから、無理もないのであるが)。

3.1 手続に関する疑問

 268条ノ2第1項は、「株主が勝訴したる場合に於て」と規定しており、これは今次の改正によっても変わっていない。この文言は、勝訴判決(一部勝訴を含む)の確定の後に会社に対して請求する、という手順を想定したものであると理解されている(『新版注釈会社法(6)』380頁)。

 株主が勝訴した場合でも、従来から可能であった弁護士報酬についても今次の改正による調査費用等についても、支出したもの全部の償還が認められるというわけではなく、「相当なる額」だけである。しかし、このように争いの余地のある請求が、上記のような手順によってなされるとすると、はたして会社は素直に支払うものだろうか。株主は、代表訴訟に勝訴した後に、さらに会社に対して弁護士報酬等を請求して訴えを提起することにならないだろうか。

 手続を迅速に完了するためには、会社に対する弁護士報酬等の請求を、代表訴訟と併合して訴え提起することも考えられないではない。しかし、代表訴訟では、原告株主は実質において会社と利害を共通にしているのであるから、その会社を被告とする訴えを併合するというのは何ともおかしいであろう。

3.2 敗訴者負担の可能性

 さて、会社が弁護士報酬等を勝訴株主に支払ったとする。これを会社は最終的に負担する他ないのだろうか。

 会社法の議論としては、こうした費用は、会社自身が役員に対しての訴訟を遂行した場合にも発生したものであるから、会社が負担するべきである、というので十分である。そして、原告となった株主と会社との間については、これで問題は解決している。しかし、会社と敗訴役員との間の問題が残るはずである。

 不法行為を原因とする損害賠償請求については、最判昭和44年2月27日(民集23巻2号441頁)以来ほぼ異論なく、原告被害者が相当範囲の弁護士費用を敗訴被告に対して他の損害の賠償に加えて請求できるとされている(岨野悌介「弁護士費用の損害賠償」(『新・実務民事訴訟講座』第4巻 日本評論社 1982年)103頁)。一方、債務不履行責任については、一般的には不当応訴のような場合に限って弁護士費用の賠償が認められるとする扱いがなされることが多いようである(同128頁)。しかし債務不履行の中でも、一般の取引契約上の債務不履行の場合はともかくとして、救済法的な類型については、弁護士費用の賠償も認められることが多いようである。すなわち、「安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求事件や医療過誤による損害賠償を診療契約違反を理由に求める事件などについては、被害者の損害賠償請求を認容する場合は同時に弁護士費用の賠償請求も認容することが多い。」と言われている(同125頁)。そもそも、不法行為については弁護士費用の賠償を認める以上、債務不履行の場合についても別異に解する理由はない(同124頁)。

 役員の責任は、委任契約違反に基づくものではあるが、法律的な性格としては、取引契約的というよりは救済法的な構造を持っていると言えるであろう。個別的な取引から生ずるトラブルではなく、役員の違法な行為に起因するものだからである。したがって、弁護士費用の賠償が認められる可能性は大いにあるように思われる。

3.3 敗訴者負担の場合

 仮に、敗訴者負担が認められるとして、これを本来の代表訴訟の手続の中で同時に処理すれば、額の確定などに伴う困難は解消する。

 ただし、現行の規定は、こうした手続を予定していないものと見られ、若干の問題があるように思われる。株主原告は、弁護士費用を代表訴訟として請求することになるものと考えられるが(株主原告自身の損害と構成することも考えられないではないが、原告は自身が直接に損害を被っているわけでもないのに自分の判断によってわざわざ訴訟をしているのであり、これを「損害」というのは何ともおさまりが悪いように思う: なお、訴訟費用については、民訴法89条の規定から原告株主が直接に支払を受けることができよう)、そうなると、自分に直接支払わせることはできないことになろう。

 敗訴者負担は、役員個人の支払能力の問題から実効性が高くはないことも多かろうが、勝訴株主原告にとっては、償還されるべき弁護士報酬の額が速やかに確定するだけでも意味があるように思われる。

 現行の代表訴訟関連の条項は、いずれも弁護士費用の敗訴者負担制を想定していないように見える。たとえば、株主敗訴の場合についての規定である。268条ノ2第2項は、株主敗訴の場合にも悪意でない限り「会社に対し」損害賠償の責任を負わないと規定しているが、これは、株主の不適切な訴訟遂行に起因する敗訴によって会社の権利が失われてしまう場合の損害を考えてのものである。しかし、会社や他の株主による訴訟参加が可能となっている(268条2項)上に、再審の可能性まである(268条ノ3第1項)のだから、こんな「損害」が問題となることは相当に稀であると思われる。それよりも、株主敗訴の場合に、被告役員の負担した弁護士費用を負うのかどうか、の方が遥かに現実的で重要な問題と見られる。しかし、これについては対処した条項はない。訴訟費用は敗訴株主が負うことになると思われ、それを承知してあえて規定が存在していないものと考えられるが(『新版注釈会社法(6)』383頁)、弁護士費用の負担は制限するのが適切なように思われる。しかし、何の規定もない(不存在で一貫している点で他と平仄は合ってはいるが)。

3.4 弁護士報酬の「相当なる額」

 弁護士報酬の「相当なる額」が、いかなるものであるかは、難しい問題である。

 前項で論じた、敗訴者負担の場合の弁護士費用の額についての取扱は、その個別の数字はともかくとして、議論の仕方としては参考になるところがある。不法行為の中でも、交通事故についてはかなりの判例の蓄積がなされている。弁護士会の報酬基準を含む諸般の事情を勘案して算定するものとされているが、その結果として、認容額の10%程度を基準として訴訟の難易に応じて増減させる、という取扱が一般化している(東京三弁護士会交通事故処理委員会編『損害賠償額算定基準』1993年版14頁)。

 株主代表訴訟と交通事故とでは、典型的な事件規模も訴訟にかかる手間の性質もまったく異なるから、そのまま参考にすることはできないのは確かである。しかし、いずれはこのような定式化が必要となるかもしれない、という点では参考になるものがあろう(それだけの判例の蓄積が容易になされるとは思われないが)。

 なお、267条4項の新設が、原告株主との間での報酬規定の適用や「相当なる額」の認定について影響を及ぼすものでないことは、立法趣旨からして当然であろう。

3.5 調査費用等の範囲

 今回の改正により、「訴訟を行うに必要と認むべき費用にして訴訟費用に非ざるもの」の相当額の償還が認められるようになったわけであるが、その具体的な内容は不明である。

 訴訟費用について規定する現行の民訴費用法2条は、訴訟に直接に必要とされる支出については、かなり様々なものをカバーしている。ただし、その金額が現実的なものであるかどうかは疑問である(たとえば、民訴費用規則2条は書記料をB列5番1枚当たり150円としている)。

 改正法による新たな償還の対象は、こうした「訴訟費用」に該当しないものである。したがって、「訴訟費用」の金額を超えるものや、「訴訟費用」とされるものよりは間接的な費用が、その内容として考えられることになる。

 しかし、「訴訟費用」の金額を超えるものが、はたして「相当」とされ得るものか、疑問である。また、「訴訟費用」にならないような間接的なものが「訴訟を行うに必要と認むべき」とされるのかも、よく分からない。昭和46年改正前の旧民訴費用法においては認められていたが現行法では認められていない種類のものが対象となるとの説明も聞くが、新旧の民訴費用法を比べてみても、言われるような相違点は見当たらない。訴訟提起前の調査費用などが対象となるものと考えられているが、具体的な内容はいまひとつはっきりしない。

4 米国の制度の影響  

 株主代表訴訟の活性化を目的とする法改正は、今回の他の改正点と同様に、日米構造協議におけるアメリカ側からの指摘に発していると言われている。

4.1 アメリカ側からの指摘

 株主代表訴訟の活性化全般は確かにアメリカ側の要求に発しているが、手数料額の問題がアメリカから指摘されたものかどうかははっきりしない。現に、改正作業の初期の段階では、調査費用の償還だけが取り上げられていたようである(たとえば、吉戒修一「会社法改正作業の現況について」商事法務1299号12頁以下)。

 しかし、経過には多少はっきりしないところが残るものの、少なくとも実質上、手数料額の問題もアメリカから示されたと言うべきものと見られる。民訴費用法が平成4年に改正されて手数料額が引き下げられたが、池田耕平「民事訴訟費用等に関する法律の一部を改正する法律について」(自由と正義43巻9号22頁)によると、この改正は日米構造協議での指摘に起因するとのことである。この際に第一に想定されていたのは、独占禁止法25条に基づく損害賠償請求の活性化だということであるが(これは、アメリカ側が手数料額を問題とすることになったきっかけが、米軍横須賀基地談合事件で訴訟を検討した際に、多額の提訴手数料が問題となったという自身の経験に基づくらしいということである)、株主代表訴訟も、高額な提訴手数料が問題となっていたものの代表例であり、しかも、アメリカ側は株主代表訴訟の活性化を事実求めていたのであるから、今回の改正も少なくとも実質上アメリカ側の指摘に発するものと理解できる。

4.2 アメリカの現状

 もっとも、アメリカ国内でも、株主による訴訟をどの程度にやり易くするか、または難しくするか、については様々な立場がある。米国では、会社法は州法であり、扱う裁判所も原則的には州裁判所である。そこで、州によって相違があり、一括りに扱うことはできない。

 米国でも、株主による会社経営者に対する訴訟が、濫訴の傾向にあるとして批判されることがある。そこで、場合によっては(原告の所有株数が少ない場合など)、担保を積ませるなどの法制をとっている州もある(たとえばニューヨーク州では、発行済株式総数の5%未満または時価5万ドル未満の株主について担保提供義務を課している: なお、日本の267条5項(改正前の4項)でも、株主悪意の場合(6項によって準用される106条2項)には裁判所の裁量により担保の提供が命じられる)。しかし、これには批判もあり、連邦法ではこうした法制はとられていない(この関連で連邦法が扱うのは、証券取引法違反等の限られた場合だけであるが)。

 また、州法の中でも、多くの大会社がその州法を準拠法としているデラウェア州では、担保を求める法制にはなっていない。これについては、デラウェア州では、会社法訴訟が重要な“産業”となっており、それを減らすような法制を採用することは多くの関係者の反対にあうので実現できないのだ、などといった皮肉な分析も聞く。

4.3 アメリカの制度

 米国の代表訴訟(derivative suit)では、会社は名目上の被告となる(Robert W. Hamilton, The Law of Corporations, P.416 (West Pub. 2nd ed. 1987))。もちろん会社は、株主原告勝訴の場合には被告から支払を受ける立場にあり、この点で原告と利害関係を共にする。しかし、米国の代表訴訟の建前からは、会社は被告となるのである。というのは、代表訴訟は、株主が会社に対して訴えを提起することを請求する訴訟と、その対象となっている請求とが結合されたものが起源となっているからである。

 実は米国では、役員に対する株主からの責任追及の手段としては、代表訴訟よりもむしろ証券取引法上の請求の方が主流であると言われている。これは、証取法ならば連邦裁判所が担当することになるところ、連邦裁判所の方が州裁判所よりも個人原告にとって有利であると考えられていることが理由の1つであると見られる。

5 これまでの実例  

 今後増加が予想される代表訴訟への対処を検討するには、まず、これまでの事例を検討するべきであろう。日本で役員の責任が株主代表訴訟によって追及された事例は、決して多くはない。その中でも原告が勝訴した事例は、極めて限定されている。

5.1 三井鉱山事件

 三井鉱山事件は、自己株取得が違法とされ多額の賠償責任が実際に認容された衝撃的な実例として、頻繁に言及されている。

 この事件は、昭和50年、三井鉱山がその子会社である三井セメントとの合併を計画したことに始まる。三井鉱山は合併の計画を進めたのだが、三井鉱山の発行済み株式総数の25.8%を保有していた大株主の了解が得られなかった。そこで三井鉱山常務会は、100%子会社の三池開発を通じてこの大株主から三井鉱山の株式を高値で買い取り三井グループ各社に売り渡すことにした。三池開発による買取り価格は約82億円、売却価格は約47億円だったので、この取引によって三井鉱山は三池開発を通じて約35億円の売却損を負担することになった。

 原告は、この取引が自己株式取得禁止(商法210条)に違反して会社に損害を生ぜしめたものとして、昭和53年11月8日、株主代表訴訟を提起した。ただし、約35億円の損害を主張しながら、その一部としての1億円を請求した。

 東京地方裁判所は、原告の請求をほぼそのまま認めた(昭和61年5月29日・判例時報1194号33頁・商事法務1078号43頁)。東京高裁も、原審判決を支持して控訴を棄却した(平成元年7月3日・商事法務1188号36頁)。

5.2 片倉工業事件

 片倉工業事件も、自己株の取得に関するものである。

 片倉工業は、自社株式合計400万株を代金合計23億6800万円で買い取り、暁星エンタープライズ(片倉工業の100%子会社)に同額で売り渡した(厳密に言うと、借入金債務を引き受けさせて支払にあてた)。暁星エンタープライズは、この株を取得価額より安値で売ったので、その差損などで7億3870万円余の損害を受けた。

 片倉工業の株主が代表取締役と常務取締役を相手取って株主代表訴訟を提起したが、その際に主張した会社の損害額は(i)主位的には、買取代金合計である23億6800万円、(ii)副位的に、暁星エンタープライズにおける売却損等7億3871万2540円、(iii)さらに副位的には、片倉工業の有する暁星エンタープライズの株式の評価損1億4597万7000円(それぞれについて金利が加わる)であった(ただし、請求金額はその内金としての7億3000万円である)。

 東京地裁は、株式の評価損(と利息)のみを認めた(平成3年4月18日・判例時報1395号144頁)。

5.3 東海圧延事件

 東海圧延事件では、代表取締役の自己取引が問題とされた。

 被告は、昭和43年ころ東海圧延の代表取締役となった。また、被告は、昭和45年に新東鋼業(当時の社名は山庄製陶所)の全株式を取得し、昭和47年10月17日には同社の代表取締役となった。新東鋼業は、昭和45年7月ころから(判決書には、昭和47年であるように見える箇所もあるが、前後の関係から誤記であると思われる)、東海圧延から丸棒を購入している。なお、昭和47年10月2日に、東海圧延の取締役会は、被告の新東鋼業代表取締役就任および同社との取引につき承認を与えていた。

 東海圧延の株主が、東海圧延から新東鋼業への丸棒の売却価格が不当に廉価で東海圧延に2億5472万1558円の損害を生ぜしめたとして、代表訴訟を提起した。

 名古屋地裁は、東海圧延取締役会の承認の前については商法266条1項5号の法令違反の行為として、承認の後については同項4号の行為として、いずれも被告の責任を認めた(昭和58年2月18日・判例時報1079号99頁)。ただし、認容額は9432万7025円であった(比較対象とすべき公正価額の認識の仕方の違いによる)。

5.4 分析

 原告株主が勝訴しているこれらの事件に共通して言えることは、問題とされた取締役の行為が、法によって特に禁止されたものであることである。

 取締役の責任としては、266条1項は、違法配当等と並んで単なる「法令又は定款に違反する行為」をあげており(5号)、受任者としての善管注意義務(民法644条)に反することもこの法令違反に該当するものと解されている。したがって、故意または過失によって善管注意義務に違反した経営をして会社に損害を生ぜしめた場合には、266条1項の責任を負うことになり、当然に代表訴訟の対象ともなる。

 しかし、結果的には会社に損失が生じていたとしても、行為自体は特に何等の法に違反するものでもなかった場合までを、善管注意義務違反として責任追及するのは非常に難しかろう。結果的には失敗に終わった場合でも、役員には経営者としての裁量権があるから、行為の段階で既に違法であったとまでは言えない場合が多いものと思われる(善管注意義務違反でも責任を生じ得るといっても、単に損害が発生しているというだけでは足りず、義務違反として行為自体が違法とされなければ責任1は認められないはずである)。現に、単なる善管注意義務違反を問題とした代表訴訟では、ほとんどの事件で請求が棄却されている。なお、この点については、後に証明責任の問題としてさらに議論する。

5.5 損益相殺について

 損害額の認定においては、支出が違法であったとしても、そこから利益が得られている場合、これをいかに扱うかが問題となる。

 片倉工業事件では、原告株主は、主位的には自己株式の買取り代金の全額が違法支出として損害にあたると主張したが、認められなかった。裁判所は、自己株式の子会社への売却による回収を計算に入れることを認めた上で、子会社株式の評価損のみを損害としている。

 三井鉱山事件では、被告は、他の抗弁に加えて、自己株式買取りによって可能となった合併の成果を斟酌して損益相殺するべきであると主張した。しかし裁判所は、「商法266条1項5号所定の違法行為による損害額の算定に当り損益相殺の対象となるべき利益は、当該違法行為と相当因果関係のある利益であるとともに、商法の右規定の趣旨及び当事者間の衡平の観念に照らし、当該違法行為による会社の損害を直接填補する目的ないし機能を有する利益であることを要するものと解するのが相当である。」(前出控訴審判決)とした上で、被告主張の成果は関係会社の支援その他の多くの原因が加わることによってはじめて達成・取得されたものであるとして、損益相殺の対象とならないとの結論を下した。

 これは、妥当な結論ではある。しかし、「相当因果関係」と「商法の右規定の趣旨及び当事者間の衡平の観念に照らし、当該違法行為による会社の損害を直接填補する目的ないし機能を有する利益であること」という2つの要件は、必ずしも明解なものではない。

 日興証券事件をはじめとする損失補填が問題となっている案件では、いずれも、顧客との取引関係を継続することを主たる目的として、違法と主張される支出がなされている。すなわち、経営判断として、補填のための支出をしても、それによる取引関係の継続から得られる長期的な利益の方が大きいと考えて実行したものである。こうした場合に、はたして(そして、どこまで)損益相殺が認められ得るものかどうかは議論となろう。

6 見込まれる影響とビジネスジャッジメントルール等による責任の制限  

 今次の改正により、訴え提起時の多額の手数料という、株主代表訴訟にとっての大きな障害の1つが除かれ、さらに調査費用等の償還がなされるようになるわけであるから、当然に増加が見込まれよう。

6.1 大型訴訟の増加

 請求額説による手数料は、特に大型訴訟において障害となっていたのだから、今後は、日本のこれまでの訴訟では見られなかったような多額の賠償を請求する訴訟も提起されるようになると考えるべきである。

 ことさらに多額の訴訟が頻発するのではなくても、従来でも起こっているような訴訟において請求金額を制限する理由がなくなるだけでも、請求額が増すことになるであろう。三井鉱山事件でも、片倉工業事件でも、原告は主張する損害の全額を請求していたわけではないのである。

6.2 担保提供の義務

 しかし、訴訟が激増するというものではないと思われる。

 そもそも、株主原告は、たとえ勝訴した場合ですら、費用等の償還があるだけで何の利益も得られないのであるから、訴訟提起をしようというインセンティブが存在しない。

 濫訴に対する制限としては、267条5項(改正前4項)により、担保提供を求めるという手段をとることができる。ただし、同条6項(改正前5項)によって準用される商法106条2項により「訴の提起が悪意に出でたものなること」の疎明が必要とされ、しかも、命令の発布は裁判所の裁量による。したがって、この制度の実効性は、「悪意」の認定の仕方と裁判所の裁量権の行使についての態度に大いに依存することになる。既述のように、米国の多くの州では、持株割合等の要件を満たさない場合には、担保提供義務が当然に課されることになっているのと違っている。

 もっとも、この制度がどれだけ役立つかについては、担保提供制度が濫訴防止の効果も健訟阻害の副作用も生じなかったという米国での歴史に照らして、原告適格を否定するくらいでなければ十分な効果を持たない可能性があるとの指摘も見られる(竹内昭夫「株主代表訴訟」(『法学協会百周年記念論文集』第3巻 1983年)181頁)。

6.3 情報収集の難しさ

 社外の通常の株主が、役員の責任を追及しようとする場合には、情報収集の困難が大きな問題となるものと思われる。すなわち、会社内のことを社外から知ることは難しいから、代表訴訟が機能できる場面は限られるものと思われる。

 米国では、ディスカバリーにおける訴訟当事者の権限として、相手方の内部書類等を閲覧したり、関係者の証言を求めることができる。こうした手続によって、相手方の内部情報を獲得することが可能であり、民事訴訟が、隠された不正を暴いて法を実現する機能を有している。

 日本では、ディスカバリーにおけるこうした権限に相当するものはなく、訴訟の事実究明機能が十分とは言えない。今次の改正で帳簿閲覧権を行使できる場合が広がったが、この権限だけで目的を達成するのはなお困難であろう。このため、訴訟当事者は、訴訟と関係なく情報を獲得して(すなわち訴訟の前から既に自ら有していた情報によって)訴訟を維持するしかない。したがって、元従業員が訴え提起する場合か、刑事手続によって経営陣自らが不法を認めている場合など、極めて限られた場面でしか原告株主が勝訴することはできないだろう。

 ディスカバリーの権限に相当するものがないことが、日本の株主代表訴訟の難点であることは、既に田中英夫・竹内昭夫「法の実現における私人の役割」(法学協会雑誌 88巻5・6号575頁 1971年)が指摘しているところである。

 調査費用等の償還請求を可能とした267条4項の新設は、原告株主による十分な訴訟遂行を可能とすることを目指したものではある。確かに、後に償還請求ができることになったために、費用をかけて調査をすることもある程度は可能となった。これによって、原告株主による訴訟遂行が充実する面のあることは間違いない。しかし、これには限界がある。最重要情報は会社内部のものであり、これを取得する権限が無くては、費用をかけることができようとも勝訴することは多くの場合にやはり困難であろう。

6.4 株主原告が勝訴し得る類型

 情報収集の困難さを考えると、外部との取引が、類型として違法なものである場合でないと株主原告が勝訴することは難しいであろう。

 代表的なのは、三井鉱山事件のような自己株式の取得である。その類型の取引すべてがそれ自体として違法であるから、手持情報の限られている一般の株主でも、勝訴できる可能性がある。

 こういった観点からは、証券各社の損失補填も可能性がある。特に、公正取引委員会との関係で、「不当な利益による顧客誘引」として独占禁止法19条に違反することを認めて排除勧告を受け入れている(平成3年12月2日付け日経朝刊1頁)結果、補填の支出行為自体が違法なものであることを取締役の側で否定するのは難しくなっている面がある。そこで、自己株式取得の場合と同様に、取締役個人の責任が認められることになる可能性があるように思われる。

 建設業界の贈賄あるいは使途不明金のたぐいも、その事実が明らかとなった場合には、株主が勝訴できる可能性がある類型のように思われる。また、株主に対する利益供与も、事実が表面化した場合には、株主の勝訴が容易であろう。しかし、これらはいずれも陰で行われるものであり、明るみに出ることは多くはあるまい。

6.5 株主の勝訴が難しい類型

 既に記したとおり、単なる善管注意義務違反でも責任が認められる可能性はあるはずだが、これで株主原告が勝訴するのは極めて難しい。

 代表訴訟の関係で、倒産させてしまった方が親会社の負担が小さい場合に安易に子会社を救済することなどによっても、役員の責任が認められる危険性があるという見解も聞く。確かにその可能性はあろうが、しかし、そう簡単に責任が認められるというものでもないように思われる。子会社救済のための支出は、それ自体が違法なわけではない。取締役の責任は、善管注意義務違反として認められる可能性があるだけである。倒産させてしまった方が得かどうかは、微妙な問題となるから、株主原告が証明責任を果たすことができることは少ないのではないだろうか。すなわち、株主原告の得られる情報は限られていることから、勝訴することは難しい場合が多いものと見られる。

6.6 証明責任

 以上では、株主の持つ情報が限られていることからの困難を指摘したが、これに対しては、証明責任の一般論に立脚した疑問が提示されるかもしれない。取締役の善管注意義務違反は一種の債務不履行であるところ、一般原則としては、債務不履行責任追及の争訟においては主張・立証責任は債務者側が負担するとされる。ならば、株主原告は証明責任を負わず、その有する情報が限られていることは問題にならないのではないか、というわけである。

 まず、証明責任の配分が、代表訴訟によらない“会社による取締役に対する請求”の場合と同じであることには異論はあるまい。株主は、会社の有する取締役に対する請求権について訴訟担当しているに過ぎないのであるから、これは当然である。そこで、役員の債務不履行が問題となるなら、債務者たる役員が証明責任を負うのではないか、ということが問題となる。

 取締役の責任の問題について証明責任を議論した論稿には未だ接していないが、この問題は、医療過誤事件について昭和50年代に盛んに議論されたところとよく似ているように思われる。医療過誤訴訟においては、「昭和30年代までは専ら不法行為で構成されていたが、昭和40年代に入ると昭和50年代の前半ころまでは債務不履行で構成することが流行し」たと言われている(並木茂「医療過誤訴訟における債務不履行構成と不法行為構成」(『裁判実務体系』第17巻 青林書院 1990年)4頁)。債務不履行構成による主張は、「主として債務不履行の一般原則に基づいて「過失」の主張・立証責任を被告側に負わせようとする意図の下に、登場した。」とされる(黒田直行「医療過誤訴訟における審理上の諸問題」(『新・実務民事訴訟講座』第5巻 日本評論社 1983年)293頁)。

 しかし、昭和50年代後半以降は、こうした考えに対して次のような批判が加えられた。すなわち、「医師と患者との診療契約は、通常、準委任契約であって、これに基づく医師の診療義務は、内容的に確定された一定の結果を達成すべき『結果債務』ではなく、患者に対して医学上の知識と専門的技術を用いて診療行為を行う『手段債務』であること、したがって、診療行為の結果、疾病が治癒しなくても、また、死亡や身体的障害等の予期しない結果が発生したとしても、診療債務の不履行とはいえず、医師が診療行為を行うに際して要求される善管注意義務を怠った場合にのみ債務不履行になること、そして、この善管注意義務違反は、とりもなおさず、『過失』の内容であるから、債務不履行構成をとったとしても、原告において債務不履行(履行の不完全)について主張・立証責任を負う以上、過失の主張・立証責任を負うのと同じ結果となることーー以上のことが指摘されるに至った。」(同前)という批判である。

 同様の議論は、使用者が従業員に対して負う安全配慮義務に違反した場合の責任についても見られる。この関係では、国の国家公務員に対する安全配慮義務の違反が問題となった事案において、「原告が、右義務の内容を特定し、かつ、義務違反に該当する事実を主張・立証する責任を負う。」との最高裁判例がある(最判昭和56年2月16日・民集35巻1号56頁)。

 取締役の責任についても、こうした場合とほぼ同様のことが言えるように思われる。役員は経営の結果について債務を負っているわけではないはずである。これを証明責任の問題として議論するかどうかという用語法の問題は残るが、何にせよ、被告役員の経営にあたっての判断の不適切性(それも、違法とされる程の)を、原告株主が解明しなければならないものと思われる。この帰結の理由付けとしては、不完全履行と見て、履行の不完全性については証明責任を債権者が負担するとされている(倉田卓次監修『要件事実の証明責任(債権総論)』(西神田編集室 1986年)91頁)ところを参考にすることも考えられる。

 以上のようであるから、入手できる情報が限られていることは、やはり株主原告にとって重大な困難とならざるを得ない。

6.7 ビジネスジャッジメントルール

 また、米国でいうビジネスジャッジメントルール(business judgment rule: 経営判断不介入の法理; 取締役の経営上の判断は、たとえ会社に損失をもたらす結果が生じたとしても、その当・不当につき裁判所が事後的に介入しないとする会社法上の法理(田中英夫他『英米法辞典』(東京大学出版会 1991年)によった))のようにまで経営者の判断を治外法権的に扱う法理論の妥当性は疑問であるが、一定の裁量権が認められるべきであることは当然である(近藤光男『会社経営者の過失』(弘文堂 1989年)147頁を参照)。こうした観点からも、結果として損害が生じているというだけの認定で役員の責任が認められるべきではない。

 これまでの株主代表訴訟の大部分において原告株主の請求は棄却されているわけであるが、そこでの議論を見ると、日本の裁判所でもビジネスジャッジメントルールに類似した主張が認められ得ることが分かる。たとえば東京地裁昭和49年3月14日(判例時報773号127頁)では、建物および営業用機械設備などを代金額2000万円で売却したところ、その価額は少なくとも7202万1642円でありその差額5202万1642円の損害を会社に生ぜしめたと原告株主が主張して代表訴訟を提起した事案(請求金額は、損害の一部として5000万円)において、請求を棄却するにあたって裁判所は、廉価で売却する判断を取締役が下す理由となった事情を幅広く認めている(会社の元従業員が、営業を継続するために設立した新会社に売却したのであるが、その新会社の支払能力の限界が2000万円であった、という事情があった事案で、こういった背景事情を考慮に入れることを認めた)。この認定の仕方には、経営判断を尊重しようとする態度が見られるように思われる。

 もっとも、よく考えてみると、こうした認定は米国でいう「ビジネス・ジャッジメント・ルール」とはいささか違っているとも言える。「ビジネス・ジャッジメント・ルール」では、手続が妥当であると認定した場合には、経営判断の実体には立ち入らない。上記の裁判例では、曲がりなりにも実体についてコメントしようとしているわけだから、これは「ビジネス・ジャッジメント・ルール」の適用ではないとも言える。しかし、実効的には(または結論的には)同様の働きがあるものと思われ、言葉の上だけのことと見られるので、上のようにまとめた。

6.8 特殊株主

 高額請求の株主代表訴訟が現実的になると、これが特殊株主(総会屋)が会社を脅すのに悪用されるのではないか、といった心配もされている。

 しかし、対処にあたっては、特殊株主に商法に違反して利益供与をすることこそが、違法行為として特殊株主にさらに咎められることにもなることを留意しなければならない。一旦、利益供与をすると、それを嗅ぎつけた他の(実は裏ではつながっているかもしれない)特殊株主が、利益供与の事実自体をもって脅しに来ることになる。こういった連鎖による泥沼にはまり込んでしまった、といった事件が出てくることも予想される。

 こうした可能性を問題であるとする見解もあろう。しかし、法の順守を貫徹する姿勢に欠けていた従来の状態こそが問題であったと考えるべきである。

6.9 社会運動での利用

 会社側から見れば特殊株主の一種に他ならないということになろうが、社会運動での利用も見込まれよう。電力会社やその他の公的企業に対するものなどが考えられる。

 しかし、原告側としては、訴訟にすることには特別の利点はないように思われるから(ディスカバリーの権限があるわけでもない)、特に頻繁に利用されるようになるというものでもなかろう。

 もっとも、標的とされる可能性のある会社の役員としては、対処の用意を真剣にしておかなければならない。後述のとおり、会社として応訴するのとは違う問題があることに十分に留意しておく必要がある。

6.10 東電事件(2022年7月加筆)

 2022年7月13日に、約13兆円の判決が出された東電株主代表訴訟は、前項の典型例で、原発に反対する社会運動としての訴訟だと理解されます。元の原稿でも「電力会社」と特に書いていました、今となっては、当時どうした主張を想定してこう書いていたのか思い出せないのですが。。

 私は、原発に特に反対ではありませんが、この判決はあり得るように思っています。福島第1原発は、原発に期待された安全性を欠いていました。非常用電源が津波にまったく脆弱だったのは驚きであり、残念です。

 この金額には驚きましたが、実は金額には大きな意味はありません。普通の個人の債務としては、破産するしかないのは間違いないからです。破産となれば、手持ちの個人資産は全部吐き出して後は免責を得るので、13兆でも13億でも違いはありません。そういう判決です。ただし、控訴の際の手数料(控訴状の貼用印紙額)を認容額に基づいて計算するなら、この違いは大きいですが(13億なら543万円で普通に負担可能です)

 福島の事故は、どうしようもない天変地異と言うべき地震があったのではなく、福島第1原発が期待された安全性を有していなかったという問題だと思うのです。そういう意味で、この判決の結論は、案外と常識に適っているようにも思います。もっと安全にしておくのは東電の義務だったのであり(それは各種の訴訟でも認定されています)、それが果たされていなかったために大損害が生じている以上は、責任者としての取締役の個人責任も認められるべきです。その結果、個人には到底果たせない金額となりましたが、それは現にそれだけの大損害が生じているのだから仕方の無いことです。

 この問題は、一般的な経営判断とは違います。個人責任を課すことで、経営判断が過度に萎縮するのは避けるべきことですが(それがビジネスジャッジメントルールの趣旨です)、こうした安全については、現実に十分に安全にするべきものです。萎縮が問題となるような事項ではありません。

 驚きの金額ではありますが、それで取締役のなり手がいなくなるというものではないはずです。現に安全なものとすれば問題は無いのです。

(以上、2022年7月に加筆)

6.11 東電事件へのコメントなどを検討

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/6992c5bf6ebbeca87c1bd9eee58db9bab6c01bd2
東電旧経営陣に13兆円賠償判決で疑問の声 民事訴訟で過去最大、支払い非現実的か 「事実認定や表現に違和感」識者指摘
「元東京高裁判事の升田純弁護士は「事実認定や表現に違和感のある判決だ。東京電力の旧経営陣側の主張をほとんど退け、原子力事業者としての責任感が欠如していると判断している。こうした判決が出たことで、公共的事業者の経営陣に大きな萎縮効果を生むことを懸念する」と指摘している。」

 上記引用のとおり、元判事の弁護士さんは批判的ですが、この記事に寄せられている大量のコメントは、

 

最高裁の判断は、国の責任についてとはいえ、回避可能性を否定している 福島民友新聞の記事

 最判で検討された可能性は、防潮堤であり、想定された津波の高さに対応の防潮堤では対応できなかったというのが、回避可能性否定の中身です。

 

7 弁護士の利益相反の問題  

 今回の改正で、株主代表訴訟がある程度は増えることは確かであろう。増加するとなると、改めて考えなければならない事項がいくつかある。その1つが、代表訴訟における役員の訴訟代理人の選任の問題である。

7.1 利益相反の構造

 各役員にとって最も信頼できる弁護士は、会社の顧問弁護士であろう。個人として依頼する場合でも、会社の顧問弁護士が第一候補になるのが普通だと思われる。通常の場面では、「役員=会社」であるから、これで何の問題もない。ところが、株主代表訴訟の場面では困ったことになる。会社と各役員は、利害が相反する立場に置かれることになる(原告たる株主が勝訴した場合には、被告取締役が会社へ支払をするのであるから)から、会社の顧問弁護士が役員の代理をするのは利益相反の問題を生ずるのではないか、ということを考えておく必要がある。

7.2 弁護士倫理26条1号

 弁護士倫理26条が利益相反の問題を規定している。まず、代表訴訟において問題とされた事実そのものに関して既に相談を受けていた場合には、弁護士倫理26条1号の問題となる。1号は「事件の協議を受け、その程度及び方法が信頼関係に基づくときは、その協議をした者を相手方とするその事件」の受任を禁止している。会社の顧問として、代表訴訟において問題となった事実について相談を受けていた場合には、これに該当することになるものと思われる。

 ただし、この適用関係には多少の疑問がある。代表訴訟においては会社と役員とは対立当事者の関係に立つとはいえ、会社から相談を受けた際と、代表訴訟で役員の代理をする際とで、同じ方向の主張(その行為が適法であるとの主張)をする立場におかれることがある(これが一般的とも思われる)。この場合には、普通の場合の1号とは違った状況であることは確かである。これを理由として、1号は適用されない、と考えることもあるいは可能かもしれない。

 1号の場合は、次の3号についてと違って、依頼者の同意による禁止解除等は規定されていないし、依頼関係の継続が問題とならないから顧問の辞任云々も関係ない。

7.3 弁護士倫理26条3号

 その事実そのものについて相談を受けてはいない場合に問題となるのは、3号「受任している事件の依頼者を相手方とする他の事件」の受任の禁止である。顧問先である会社という「依頼者」を相手方とする事件ということになるのではないか、ということである。代表訴訟では、会社は文字通りの相手方となるわけではないが、上述のとおり、実質を考えるならこれに該当することは否定しがたいであろう。

 もっとも、同条は「ただし、第3号及び第4号に掲げる事件については、受任している事件の依頼者の同意がある場合は、この限りではない。」としていることから、会社の同意があれば構わないのではないか、との解釈も考えられる。しかし、これを実行するには難点がある。会社の同意を取り付ける方法である。

7.4 特別利害関係

 会社と取締役との間に利害対立がある(取締役が会社の顧問弁護士に依頼をしようというのだから、取締役と会社の間で弁護士を取り合っているわけであり、ここに利害対立がある)のだから、会社が同意を与えるには、商法265条1項の規定する「取引」に準じて取締役会の承認が要求されるものと解される。しかも、自分でも代表訴訟の被告となっている取締役は、「特別利害関係」にあることになろうから、取締役会の決議に参加することができない(260条ノ2第2項)。そこで、全取締役が訴えられている場合には、取締役会が開催できず、同意を与えることもできないことになるものと思われる(あるいは、258条1項に準じた状態であるとして、同条2項により裁判所に職務代行者の選任を求めることができるかもしれないが、そういった手続までして同意を与えるというのはいかにも不適切な処理であろう)。

7.5 会社顧問の辞任と利益相反

 3号についての以上の議論は、会社との顧問関係(ないし事件の受任)を継続することを前提としての話である。一方、役員との個人的な関係の方が強いために、会社の顧問を辞して役員の訴訟代理をする、という対処をするという話も聞く。辞任によって形式上は3号に該当しないことになろうが、適切とは思われない取扱である。特に、訴訟の時点では辞任したとしても、代表訴訟において問題とされるのは顧問であった時期の役員の行為なのであることを考えると、不適切であるように思われる。

7.6 まとめ

 以上のとおりであるから、一般的には、会社の顧問弁護士が株主代表訴訟において役員の代理をすることはできないものと考えるべきである。

8 増加状況の対処: 役員責任保険の問題点  

 取締役ないし会社側の対処として、役員責任保険に加入することが考えられる。

8.1 役員責任保険

 役員の賠償責任をカバーする、いわゆる役員責任保険(またはD&O保険)が我国でも用意されている。

 この種の保険は、米国では極めて一般化していると言われている。資産額10億ドル以上の企業では、90%以上が付保しているとのことであり、役員責任保険の用意がない会社には役員のなり手がないとまで言われる(石川茂「わが国における会社役員賠償責任保険」ジュリスト1012号79頁)。米国では、役員個人の責任を追及する訴訟が提起されることが頻繁にあるためである。

 海外で責任を追及される可能性があることや、国内でも役員が賠償を請求される例が出て来ていることから、我国でも平成2年6月に会社役員賠償責任保険の認可取得がなされた(同前)。同保険の普通保険約款が、ジュリスト1012号84頁に示されている(約款の原文は英文とされており、三井火災提供の訳文が掲載されている)。

 我国で役員が責任を問われることは、米国に比べれば遥かに少ないことから、保険料率も低くなっていると言われている。保険料額の決定方法は保険会社のノウハウということで明かされていないが、日本電気が加入した支払限度額年間10億円の保険が年間保険料約1000万円であるとの報道が見られる(平成5年3月12日付け朝日朝刊9頁)。

8.2 実効性の疑問

 株主代表訴訟によって責任を追及される可能性に対処するためにも、役員責任保険は検討に値するものであることは確かである。しかし、役員責任保険が実効性あるものであるかどうか、疑問とする向きもある。

 前出の約款4条(b)は、「不誠実行為または犯罪行為に起因する損害賠償請求」を保険金の支払われない場合としてあげている。会社に損害を与えることが分かった上での行為の場合は、この条項によって保険の恩典はなくなってしまう。ところが、厳しく解釈するなら、多くの場合がこの免責条項に該当してしまうのではないか、とも思われるわけである。

 また、同条(e)は、賄賂的な支出について保険会社の免責を定めている。仮に、証券会社の損失補填や、建設会社の使途不明金あるいは闇献金について役員の責任が認められた場合、(e)を広く解釈するなら、保険に加入していても保険金は支払われないことになろう。

 株主代表訴訟の関連で考えると、株主が勝訴するような場合(または、勝訴の見込があって訴えを提起するような場合)というのは、役員の責任がかなり明白な場合に限られるものと思われる(明白でなければ、外部者たる株主が勝訴できる程の情報を得られるとは期待しがたい)。そういう場合というのは、役員にかなりの悪性があるものであろう。こうした際には、多くの場合に保険会社は免責されてしまうのではないか、ということである。

 もちろん、免責条項を相当に広く解釈したとしても、保険が働く機会が無くなることは決してない。まず、応訴のための費用(役員が勝訴すべき場合の)がカバーされるはずである。また、266条2項によって取締役会の決議に賛成した取締役(同条3項によって賛成したものと推定される場合を含む)が行為したものとみなされてしまった結果として敗訴する場合のように、その役員個人としては悪性がない場合には、保険が免責となるものではなかろう。

 この問題は、保険料会社負担の問題との関連で後に改めて議論する。

8.3 継続性の必要

 役員責任保険は、保険期間中に請求のあったものをカバーする。約款1条で、「保険期間中に損害賠償請求の提起を受けた場合」を対象とすることが明記されている。すなわち、一般の賠償責任保険が保険期間中に発生した事故を対象とするのとは異なり、行為時を問わず賠償請求が保険期間中になされたものを担保するクレームメイド方式となっている。そこで、保険に一定期間だけ加入していた後に、保険加入を打ち切ってから請求を受けた場合には、たとえその請求が保険に加入していた期間の行為に基づくものであったとしても、その保険ではカバーされない。

 一方、新規に保険に加入する場合には、過去の行為に基づく請求については免責とする特約が加えられることが普通であると言われている(勝股利臣「企業の国際化とD&O保険」金融法務事情1351号8頁)。仮に特約にしなくても、約款4条(h)が「被保険者が、この保険契約の保険期間の開始日において、被保険者または会社に対する損害賠償請求がなされる恐れがあることを知りまたは知り得べき場合に、当該事実、事情または不当な行為に起因する損害賠償請求」を免責としており、これだけでも相当程度まで同趣旨が達せられるものと考えられる。

 そこで加入者としては、一旦加入した保険会社が引受を継続してくれないと困ることになる。米国系の保険会社が我国でも引受実績を伸ばしつつあるようだが、こうしたところに理由があるようにも思われる。国内の保険会社は、これまでの引受実績が無いから、加入する方では将来的に継続して引き受けてもらえることを期待するのが難しい。この点で、米国系の保険会社の方が、既に実績がある点で顧客にアピールするものがあろう。

9 役員責任保険の保険料会社負担の問題性  

 現在認可されている役員責任保険では、会社が保険料を支払うことが予定されている。しかし、被保険者は役員個人であり、個人が保険による利益を得ることになる。そこで、本来は役員個人が保険料を支払うべきものではないか、ということが問題となる。

9.1 問題点

 役員責任保険でカバーされる責任の中でも、対第三者の責任については問題はないと思われる。これも、被保険者は取締役個人であるが、これは言わば、会社の業務で自動車を運転する場合の賠償責任保険を会社が買うのと同じであり、取締役としての職務のためのコストを会社が支払うのに不思議はない。もっとも、自賠責保険と比べると、まったく同様に問題がないというわけではないとの議論もあり得る。商法上の役員の対第三者責任は、悪意または重過失の場合に限定されている(266条ノ3)のであるから、それを会社が支払ってしまうというのは、不正を認めていることにもなりかねない。しかし、保険の約款の条項からすると、こうした責任は大部分、免責となってしまうものと思われる。結局、役員責任保険は、商法上の対第三者責任については応訴費用を中心にカバーするということになると思われ、そう考えれば(たとえこういった点までを考慮に入れるとしても)問題ではない。

 問題となるのは、代表訴訟で問題とされるところの会社に対する責任が含まれるためである。会社は、この関係では言わば被害者であり、被害者が賠償責任をカバーする保険の保険料を支払うのは一種の自己矛盾になってしまい不当なのではないか、ということである。特に、会社の費用負担で保険に加入することは免除の先取りと見ることも可能であるところ、商法266条5項は、同条1項の責任について「総株主の同意あるに非ざれば之を免除することを得ず」としているために問題となる。

 会社の法務部では、これを問題としている向きがかなりあるように聞く。こうした点が株主総会で糾弾される可能性があるとして、役員責任保険への加入を薦めることができない、という意見もある。

 この問題については、次のような説明を聞くこともある。保険に加入していなければ、役員各個人の支払能力は期待できないところから、会社には賠償金が入ってこないことが多かろう: 保険に加入していれば、これが入ってくるから、保険加入は結果的に会社の利益になる: だから、会社が保険料を負担してもおかしくない。しかし、どうしてこれが会社が保険料を負担する理由になるのであろうか。こういう趣旨なら、会社は、役員に保険に入らせるのがスジであるし、そうでなくとも、自らが被保険者になる保険を考えるべきである。

9.2 税務上の問題

 保険料の会社負担は、上記のように原理的な問題となると同時に、税務上も問題ともなり得る。役員責任保険は被保険者たる役員に便益を与えるものであるから、それを会社が支払うなら、少なくとも役員報酬と扱うことは必要となるはずである。対第三者責任については、自動車運転についての賠償責任保険と同様に、取締役としての職務執行に必要な費用であると言えるにしても、会社に対する責任もカバーするのであるから、これを費用として処理するのはいかにもおかしい。

 ところが、税務上の問題については、役員責任保険が認可された際の国税庁の判断によると、役員の報酬とは扱わないことになっている。

9.3 解決方法

 これらの問題があり得ることからすると、むしろ、各役員の報酬としたうえで払い込むという経理処理をする方が望ましい。すなわち、取締役に対する報酬の一部と扱うのである(会社の経理では損金になることは問題ないにしてもその名目が違う)。

 しかし、現実に用意されている保険では、あくまでも会社が負担することを前提としている。少なくとも保険会社ではそのように理解している。確かに、現行の約款では、対第三者責任と対会社責任をまったく区別していないので(保険の対象を「損害賠償請求の提起を受けた場合」の損害としており、誰からなのかについての言及がまったくない)、対会社の部分について問題があるというのには対処ができない。だが、約款を見る限りでは、保険料負担者については限定は無いようだから、まとめて役員の個人負担とする扱いを会社側が希望する場合には柔軟に対応しても良いのではないかと思われるが、他に障害があるのであろうか。

 なお、各役員が保険料を支払うようにするにしても、保険のうちで対会社の責任をカバーする部分だけが問題なのだとすると、その割合だけを役員個人による支払にするという方策も考えられないではない。しかし、対第三者責任のカバーと対会社責任のカバーとを、一体どういう割合で分割するか問題である。現在実際に用意されている保険では、既述のとおり、これらをまったく区別しておらず、保険料の算出においても一体のものとして扱っているものと見られる。分割しようにも、その基準が存在しない。この点で、対会社の責任をカバーする部分だけについて役員個人が保険料を支払うようにするというのは実行不可能であると思われる。

9.4 再考

 米国での会社による補償制度(indemnification)についての議論が、この問題と関係するように見られるので、この観点から再考してみる。

 補償制度とは、役員の経営上の過失について生ずる賠償責任やそれに関連した訴訟のための費用を、役員に代わって会社が負担するというものである。前出の近藤光男『会社経営者の過失』(弘文堂 1989年)37頁以下によれば、米国でも20世紀初頭には補償制度について批判的な議論がされたとのことである。現在では、訴訟費用および防御のための弁護士報酬を会社が支払う制度を採用することは認められているが、しかし、役員が敗訴して会社に対して責任を負うことになった場合については会社負担とできるのは例外的であるとされる(同前42頁)。

 なるほど、原則として役員勝訴の場合しかカバーしないという限定がされるなら、実質上、濫訴に対する応訴の費用だけのための保険ということになる。これなら、保険料を会社が支払っても問題はないとの立論が容易である。

 しかし、現実の保険は、ここまでの限定が付されているようには見えない。米国の保険も同様であると思われるが、どう考えられているのか、明らかでない。

 あるいは、保険がカバーする範囲は、約款の文言上では広そうにも見えるものの、実は相当に狭いということかもしれない。「実効性の疑問」として既に議論したように、実際、広く解釈することもできそうな免責条項がかなりある。こうした免責条項が、会社が保険料を負担することを問題ないものとするくらいに働く、ということなのかもしれない。しかしそれでは、役員として個人責任を負う可能性があるという点で、「保険に加入しているから安心」とは到底いかないことになりそうである。

 もっとも、濫訴に対する応訴の費用だけのためであっても、保険に加入する意味は十分にある。既に議論したように、会社の顧問弁護士が使えないなど、応訴にあたっての難点がいろいろあるからである。これに加えて、証券取引法上の責任などについては、保険がカバーする場合もあるように思われる。

10 まとめ  

 今回の改正により、株主代表訴訟がある程度増加することは間違いない。だが、株主原告にとっては他にも困難な要素がある上に、そもそもインセンティブがないから、激増するわけではないし、役員が敗訴する例は極めて限られるであろう。しかし、株主代表訴訟への対処には、特殊な要素が少なくないから、対応の準備をしておく必要があることは確かである。この意味で、役員責任保険への加入も検討に値する。この場合、役員個人が保険料を支払った方が問題が少ないが、保険のカバーする範囲は必ずしも広くないことからすると、会社が支払っても問題ないとの立論は可能である。役員が敗訴してしまうような場合の多くにおいて、保険会社は免責となってしまうものと思われ、その意味では保険の意義は小さいが、それでも濫訴的なものに対する応訴費用をカバーするだけでも十分に意味はあると言えるし、そのようにカバーする範囲の狭い保険だからこそ会社が保険料を支払っても問題ないと考えることができる。

11 改版経過

 2022年7月17日: 東電の株主代表訴訟の東京地裁判決(2022年7月13日)をうけて、大昔のこの原稿に少し加筆をしました。冒頭に書いたとおり、2022年7月13日の東電事件地裁判決を受けて、 2.7 控訴の手数料はどうなるか(2022年7月加筆) 6.10 東電事件(2022年7月加筆)を加筆し、ついでに体裁を整えたものです。



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